努力の矢印の方向

 私はマンガな絵を描く人間だった。この話でのキーワードは「マンガな絵」である。
 小中高、全て「校内で一番上手い人」だった。そこまで登り詰めるために、血反吐を吐くぐらいの苦労をしたと思う。

 私にとって、絵自体が勝負だった。必ず勝ち負けがあり、上には上がいて、下には下がいるもの。どれだけ両隣の者を蹴落とし、どれだけ勝者になるか。
 常々言っていたことがある。
 「絵なんて本当は好きじゃない」と。

 マンガな絵を描くことが、好きと思えないのも当然の話。何百枚、何千枚と描いても満たされることなどあるわけなかったから。
 紙の山ができるほど描いても、絶対に自分自身が「上手い」と思える日は来ない。それが分かっているものに対して好きだなんて、思えるはずがない。

 しかし、信じ続けた。みんなこんな風に上を目指しているのだ、上を目指すことと楽しさが並列しているのだ、だから私もこれが「楽しい状態」のはずなのだと。
 信じ続けた結果、挫折した。

 楽しさだけでマンガな絵を描き続けている人間が、許せなかった。他者の評価や、客観的な目を気にせずに、自分が満足するかしないかだけで突き進めることが、理解できない。
 私だって、そう居られるならばそう居たいのに、なぜお前らはそんな狂いまくったデッサンで堂々としていられるのだ、とさえ思っていた。
 常に劣等感と自己否定、そこからくる羨望や嫉妬に苛まれていた。

 自分自身のたった1つのデッサンの狂いが許せないため、当然、他人も許せるはずなどなかった。
 寸分狂わぬ完璧な絵。そして100人いたら、100人が「好みは別だが、上手いことを認めざるを得ない」と認定する絵がこそが、自分の中でのゴールだと思い続けていた。
 ここからはみ出した絵は、自分も他人も許すことなどできなかった。

 私がなぜ、ここまで絵というものに執着していたのか。たった一文で説明できる簡単な話である。
 上手い絵を描けば、「認めてほしい人」に認めてもらえたからだ。

 認めてほしい人、というのは、母親の役割を担っていた人(今はもう親ではなく一人の人として考えているためこの表現にさせてもらう)だ。
 彼女は、漫画家になるという夢を、両親の都合で潰されてしまった。
 そんな中、娘は絵を描き始めた。そうなってしまったら、彼女の中で「絵が好きなんだ」となるだろうし、当然娘も、楽しいという思いで始めたことだろうと思う。なので、親は応援する。ここまでなら、何ら問題は発生しない。
 しかし、次第に彼女は、無意識に自分の夢を託し始めてしまう。

 小学生になり「漫画家になる」という大業を成そうと語り始めた私に対して、道具を潤沢に用意してくれた。その折、私が弱音を吐くと「そんなんで漫画家になれるわけないだろ」と、何度も叱咤した。
 この人に何度も潰されるのなら、もう漫画家は向いていないからやめようと思い直し、シフトチェンジをして、イラストレーターになろうと考え始めた。この時すでに、私の中には、絵しかないと考えていたと思う。

 中学生になれば、当然高校受験が待っている。地元の底辺デザイン科を受けようとしていたが、そこですらも危ういと言われ続けた中学一年生を今でも覚えている。
 学年が上がり、二者面談では再来年に控える受験が話題に上がる頃。休日、親と電車に乗っていた時のことだった。
 「見て」と言われたので、窓の外を注視していると、大きく校名の書いてある看板が見える。それは、デザイン科として県内一位を誇り続ける学校の名前だった。それを見ながら彼女は小さく呟いた。
 「絵が上手いから、ここに行ってほしいなあ」
  そこは、彼女が行きたくても行けなかった高校。そんな高校の隣の駅の商業科に進学をしていた。
 
 彼女にとって、別に行けと強制しているわけじゃないということは分かっていた。「ここに行けたらかっこいい絵が描けるようになるんだ」と、その時から私は、ここを志望校に決め始め、死に物狂いで勉強と実技の練習をこなし、無事合格まで漕ぎつけた。

 高校生活については、スキルも手に入れられたため、満足している。
 しかし、やはり避けては通れない大学受験はやってくる。実技だけならば、金沢美術大学は通ると言われていたが、私は落ちた時の失敗に対して、異常な恐怖心を抱いていた。
 失敗を経験するぐらいならば、最初から底辺での成功を経験した方が、心は保たれる。
 そんな気持ちから、大学は底辺と言われる私立芸大に進んだ。

 大学に上がると、私よりも上手い人間はたくさんいた。少しだけ「こんな所でそんな人間いるんだ」と、最初は驚いたが、正直上手かろうがどうでもいいと思ったことを覚えている。
 「芸術」の存在は自分の中ではあまり大きな存在ではなく、興味が無かった。
 私が常に欲していたものは、色使いが上手くなるための「スキル」でしかなかった。それが芸術だろうが、デザインだろうが、なんでもよかった。「マンガな絵を描く世界」で、どう頂点を目指すかのみ。

 そんなことよりも苦しかったのは、周りはみんな楽しそうだということだ。
 絵を楽しむとは、どういうことか。絵というものは、論理的に分解して、どうしたら周りから評価される絵が描けるのかを常に考えるものではないのか。
 「自分が楽しければそれでいい」という感情など、理解ができるわけがなかったため、毎日苦しみだけが募っていき、私は耐え切れず、とうとう中退という形で挫折した。

 そこからはもう、燃え尽きの一途を辿るだけだった。
 気が向いたら描く程度に留めた。他者からの評価が分かりやすいTwitter(現、X)などはやめ、評価などもらえない前提のサイトで活動をした。拾ってくれる人間がいればそれいい。拾ってもらえたら万々歳。もう何も期待しない。そんな、日陰の生活を送り続けた。


 そして今日を迎え、私はもう降参をした。
 私には「完璧なマンガな絵」などは描くことができない。私はマンガな絵自体、ずっと好きじゃなかった。
 自分の意思だと思い続けてきたものは、誰かのためだったと気づいたのだ。
 もう闘うのは、やめることにした。

 マンガな絵は好きではなかったけれど、色の分析は好きだ。大学時代の周囲の上手さが気にならなかったのは、こういうことなのだ。
 芸術は、マンガな絵ではない。静物などの現実の物を見て、色使いを学ぶ場。知識を詰めることが楽しかったため、周りの上手い下手など興味が無かったということだ。
 今は色の分析を伸ばそうと、塗料調色技能士の資格を取得するために頑張っている。そして、化粧品と色の関係性も好きなので、いつか化粧品関係も学べたら、と思っているところだ。

 本当に好きならば、隣の芝生の青さに嫉妬などしない。良いものは良いと、取り入れる。闘っているのは、常に昨日の自分。どれだけ今までの自分を超えていくか、ということ。
 漫画が好きな人たちには、好きな人たちの世界がある。他人の好きという気持ちを見下すような無粋な人間などには、なりたくない。
 その世界の空気を知っているので、属していた者として、邪魔などはせず、「ぜひ楽しいことを楽しいと歌い続けてください」と、一線を引きながらエールを送り続けたい。
 これからは、趣味として描きたくなったら、描こうと思う。

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