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空想の効用

思い描く力はバカにできない。

私は田舎で育ったからか、小さい頃から「大人になったら都会に住んでこんなことがしたい…!」と日々空想していた。

そして、その空想力は本を読むことでどんどん育っていったように思う。

空想力、というとただ夢見がちで実現しないような印象を持たれるかもしれないけれど、私はずいぶんこの力に助けられてきた。

今日はそんなお話をすこし。

オレンジデイズとスタバのカプチーノ

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高校三年生の頃、繰り返しお風呂の中で空想していたことが二つある。

一つは、オレンジデイズ(※2004年に放送されていた青春ドラマ)のような大学生活について。

私にとっての大学生活のイメージは、このドラマで形作られたと言っても過言ではない、と思う。

緑あふれる大学のキャンパスで、男女関係なく仲良くできる友だちができたらいいな、キャンパスの中、自転車を2人乗りして通学したいな…ということを、よく考えていた。

もう一つは、スタバで飲むカプチーノについて。

私の住んでいた街には、スタバがなかった。

当時、大学生はみんなスタバに行っていると思っていた私は、「大学に受かったら絶対スタバでカプチーノを飲んでやる!そしてフランス語を勉強して過ごす!」と意気込んでいた。

いまだになぜカプチーノとフランス語だったのかはわからないけれど、その組み合わせが醸し出すおしゃれ感に憧れていたんだろうなぁ。

そして、一年後。

晴れて大学生になった私は、初夏のキャンパスで男友達と自転車を二人乗りしながら講堂へ向かい、ちゃっかりフランス語を履修してスタバでカプチーノを飲んでいた。

ふと振り返って、「あれ、あの時描いていたことが現実になっている…」と不思議な気持ちになった。

この頃、好きな人のことばかり考えていたら、偶然ばったり会う機会が増えてお付き合いすることになったり、YUKIの音楽ばかり聴いていたら、いきなり学食で知らない人から話しかけられてライブのチケットを売ってもらえたりと、幸せな偶然も多かったなぁ。

生き地獄からの脱出

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時は流れ、社会人2年目の春。私は最高にストレスが溜まっていた。

朝の7時すぎから22時まで働く日々。土日もよく出勤していたし、お昼ご飯を食べられない日も多かった。

長い時間をかけて作った資料を上司に投げ捨てられたり、女性の先輩から口をきいてもらえない日があったり、色々なことがあった。

辛くて辛くて、しょっちゅうトイレで泣いていたし、気持ち悪くなって吐いてしまったこともあった。

もちろん、優しい先輩も中にはいたけれど、私の頭の中には「ここは生き地獄。なぜ私はここにいるんだろう…」という問いがグルグル渦巻いていた。

そんな中、当時のコーチに勧められて「五行日記」を始めた。

①いつかやりたいこと
②すぐにでもできそうな、やりたいこと
③その日あった出来事
④その日の嬉しかったこと
⑤その日学んだこと

この5種類を短くても良いので書く、という方法。

疲弊しきっていた私は「そんなことできるかな…そもそも嬉しいこととかないし…」と感じたけれど、コーチと約束をしたので無理やり書いてみることにした。

その頃、朝の電車に乗るのも辛く、ワンメーターで行けることを良いことにタクシーで通勤していた。

10分間の通勤時間が、唯一空想を膨らませられる時間だった。

当時の手帳に繰り返し書かれていたのは、「心穏やかに働きたい」という言葉。

「そんなの無理だよ」と思っていたけれど、その半年後、部署を異動になり、あっさり穏やかな働き方は叶えられた。

水辺のテラスと、宝物のような時間

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29歳の秋、私は夫の仕事の都合でアメリカで暮らし始めた。

仕事をしているわけでも、子育てをしているわけでもない自分の状況が宙ぶらりんに感じて、不安だった。

心を落ち着かせるために、ノートにたくさんアメリカでやりたいことを書いていた。

・この街で国際交流に携わっている人や、日本文化に興味がある人とつながる
・2ヶ国語でブログを書く
・日本文化について英語でプレゼンする
・この街で親友をつくる

そして、毎晩気功の体操をして、「大丈夫」と自分に声をかけてから眠りについていた。

ある晴れた日の午後、私は何気なく近くのカフェまで散歩し、水辺のテラスで英語の勉強をしていた。

しばらくして、隣の席に座っていた老紳士から話しかけられた。

「君はシンポジウムに参加してるの?」

シンポジウムのことは全く知らなかったけれど、話は弾み、あっという間に時間は過ぎていった。

そして席を立つとき、「もしこの街で取り組めることを探しているなら、人を紹介するよ」と声をかけてくれた。

それがきっかけで参加したパーティーで各国の文化を伝える活動をしているNPO法人の代表と出会い、学生たちへ日本文化を紹介するワークショップができることになった。

それから、

語学学校で心を許せる友人と出会い、たくさんの時間を一緒に過ごした。

その街で出会った素敵な人にインタビューして、2ヶ国語で記事にした。

気がつけば、帰国する時に涙が止まらないくらい、そこで経験したこと、出会った人は私の宝物になっていた。

形を変えて叶った、あの日の夢

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これまで、叶ってきたことを書いてきたけれど、もちろん諦めざるを得なかったこともある。

大学三年生の頃、私は大好きな出版社で働くことを夢見ていた。

「言葉を通じて、人の生活に彩りを贈りたい」と考えていたから。

もし入社したら、営業先の書店員さんとこんなお話がしたいな、本の陳列とPOPはこうしたいな…と考えは止まらなかった。

でも、その会社へ入社することはできなかった。

それから12年。

選書とコーチングのサービスを受けてくださった方から、こんなメッセージをいただいた。

「わたしのこと見透かされてるのかなってくらい大好きな内容でした」
「視野がぐっと広がりました」

形は違うけれど、あの頃願ったことを少しずつ実現できているのかもしれないと気づき、嬉しい気持ちが込み上げてきた。

そうか。

自分は何がしたくて、どんな世界で暮らしていきたいのか、そのためには何ができるのか、ちゃんと思い描き続けていたら、タイムラグを経て、形を変えて叶うこともあるんだな。

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思い描くことは、時に怖い。

現実とのギャップに心が折れそうになってしまうこともある。

だけど、自分の望んでいることから目を逸らさないで、1日1日を大切に生きた先には、本当に思い描いた未来が待っているかもしれない。

だから私は、これからも思いっきり未来を描いて、前に進んでいくんだ。



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選書とコーチングのサービスをしています。

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