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ここにはないもの

 いつからだろう、飛鳥ちゃんがこんなに素直になったのは。こんなに笑うようになったのは。こんなに立派になったのは。ずっと見ていたはずなのに、いつのまにか彼女は、大きく、強くなっていた。

 雨の日も晴れの日も、楽しい時も辛い時も。嬉しい知らせを聞いたあの日も、これ以上ない幸せを共有したあの瞬間も、ずっと飛鳥ちゃんと一緒だった。彼女はいつだってその場所、つまり乃木坂46にいた。

 今日までは。

 今日は飛鳥ちゃんの、大切な「その日」。二度と来ることはない、飛鳥ちゃんの乃木坂46卒業式の日。そんな今の記憶を、大切に残しておきたい。そう願ってここに #齋藤飛鳥卒業文集 を記します。ここにあるのは、本当かどうか分からない、でもどこにも載っていない、僕と飛鳥ちゃんの記録。

『ここにはないもの』Music Videoより

齋藤飛鳥が「エース」になった日

 飛鳥ちゃんを語る際、多く取り上げられるのは「あしゅりん時代」とその後、時代で言えば2016年、裸足でSummerでの初センターになった頃のその前後の対比だろう。けれどここでは、僕が思うもう一つの大きな転換点、2019年のことについて振り返りたいと思う。

 2019年春。飛鳥ちゃんは乃木坂46 23枚目のシングル『Sing Out!』のセンターに選ばれた。その選抜発表で、彼女は泣いていた。自分に今センターは出来ない、そんな重圧は今の自分には背負えない、と。
 その少し前を振り返れば、2018年の夏、ジコチューで行こう!で単独では2度目のセンターを務めた飛鳥ちゃんは、初センターを務めたときに負っていた「センターの重圧」を見事に跳ねのけて、それはそれは楽しそうに、自由にやっていた。(話はそれるが、今思うと2018年の夏と2022年の夏、飛鳥ちゃんの姿を見ていると重なる部分がすごく多いような気がした。今年もまた、解き放たれていたんだね。最後に幸せな夏の思い出が出来て、本当によかった。)
 だから、23枚目は彼女にとって単独だけでも3度目のセンターであって、重圧を跳ねのけた後の話であって、今さらセンターが出来ないだなんて、それは一見不思議なようにさえ思われた。けれど、当時の乃木坂46の文脈を考えれば当然のことだった、ということに、我々は後になって気づく。

 2017年、18年と、乃木坂46はレコード大賞を取った。2017年に念願の東京ドームも経験した。シンクロニシティで過去最高のシングル売り上げも記録し、ドームツアーもやった。まさに、乃木坂46が名実ともにトップアイドルになった時代だ。(そして幸せなことに、そこがまだまだ頂上ではなかったことを、今の我々は知っている。)
 そしてほどなく訪れた、絶対的エースの卒業。色々な見方はあるだろうが、やはり2018年までの乃木坂46は西野七瀬を中心に回っていたと言ってもいい。握手会では数えきれないファンを集め、卒コンは「なぁちゃんがいないと成り立たない」歌で1日が埋まった。彼女こそが、乃木坂46の持つアイドル性の中核だった。そんなエースが、乃木坂46から旅立った。

 温めてきた才能が多方面に花開いた1期生、気づいたら目が離せない不思議な魅力の2期生、圧倒的な新風を巻き起こした3期生。みんなの力で上ってきた坂道を、まだ下りるわけにはいかなかった。なんとしても、なぁちゃんのいなくなった乃木坂46でまたヒットを生み出したかった。
 そんな中にあって、気づけば1期生の末っ子から乃木坂の看板になっていた飛鳥ちゃん。今野さんの「まあ、飛鳥だろ」にあらわれた、飛鳥ちゃんへの期待と、賭け。23枚目のセンターが飛鳥ちゃんになるのは、必然でもあった。

MBS『情熱大陸』齋藤飛鳥
「アジア進出!期待の星が泣いた夜」(2018/12/9)

 そんな期待を、飛鳥ちゃんは痛烈に感じ取っていたんだと思う。だからこそ、そのシングルのセンターポジションは、ただのセンターじゃなかった。とてつもなく重くて過酷な位置だった。

 しかも、飛鳥ちゃんはそんな23枚目のセンターが、自分だとは思っていなかったんではないだろうか。正確に言えば、違うと信じたかったんだと思う。順番から言えば、まいやん。あるいは、当時の勢いからすれば本格的に3期生を起用してもおかしくない。そんな期待を抱いていたのではないか。
 まだ、自分じゃない。なぁちゃんの卒業により、自分がエースを引き受ける可能性には薄々気づいていたけれど、それでも。どこかそんな期待があったのかもしれない。だからこそ、そのセンターの指名宣告は、かつてないほど飛鳥ちゃんに重大なものとして受け止められた。

 そんな思いを抱えながら、それでも飛鳥ちゃんはセンターになった。沈んで、泣いて、自信を失って、それでも覚悟を決めた飛鳥ちゃんは、それまでの飛鳥ちゃんではなかった。「センターの重圧」を、跳ねのけたのはなく、噛みしめていた。乃木坂46に対してかかる期待を、自分のものにしていた。そのとき誰の目にも明らかに、乃木坂46を背負っていた。

 最後に齋藤は「いわゆるヒット曲というか、誰もが口ずさめる楽曲ができるといいねっていう話はずっと前からメンバー全員でしていて。そういう意味では、今回の楽曲は頭に残るし、みんなが口ずさみやすいと思います。クラップとかも真似しやすいだろうし。途中で英語が入ってきたりもするので、日本だけとは言わず、世界中で『Sing Out!』のブームが巻き起こったらいいねという願望があります」と日本からアジア、そして世界へ進出していく乃木坂46の展望を示した。

リアルサウンド『「Sing Out!」視聴会で明かした制作秘話』
https://realsound.jp/2019/04/post-353650_2.html

 いま、あえて言おう。その夢が叶うことはなかった。シングルの売上で言えば120万枚を記録し、ヒット祈願だって、発売記念ライブだって、盛況のうちに終わった。明らかな失敗は何もなかった。それでも、その時たしかに願ったような「誰もが口ずさめるヒット曲」にはならなかったし、その年のレコード大賞は取れなかった。もちろん、飛鳥ちゃんのせいじゃない。でもきっとたぶん、彼女は悔し涙を飲んでいた。
 そして、飛鳥ちゃんはまぎれもなく、2019年、そのポジションを全うした。周囲の期待、声援、愛、そして否定的な声と、結果。その全てをその小さな体で受け止めて、押しつぶされそうになりながら、でもしっかりと背負っていた。

 齋藤飛鳥は、乃木坂46のエースになった。

 そんな彼女の大事な大事な歌が、今でもたくさんの人に愛され、ライブで大切に演奏され、齋藤飛鳥を代表する歌として位置づけられているようになったことは、すごく幸せなことだと思う。僕は素直に嬉しいんだ。あのとき叶わなかった夢には、続きがあったんだから。あの歌には、そんな悔しさも苦しさも、乗り越えた先の幸せも、全部が詰まっている。

 先日公開されたのぎ動画の「久保チャンネル#58」で、飛鳥ちゃんが驚くほど素直に、当時のことを語ってくれた。飛鳥ちゃんからの正直な言葉に、思わず当時の空気を思い出したのだが、中でも驚いたのは、Sing Out!MVの最後のシーン、撮影時に泣いていたという話だ。
 Sing Out!MVの最後のシーンの飛鳥ちゃんの表情は、言葉では表しがたい美しい表情だった。このカットが今までのMVでも一番好きと言ってもいい。愛に満ちたおだやかな笑顔。嬉しいことがあったわけでも、誰かに向けるわけでもない、ただその瞬間の幸せを湛えた目だと思っていた。
 なので、正直その事実を知って驚いた。勘違いだったのかと恥ずかしくなったりもした。けれど、あの笑顔はまぎれもなく本物だ。涙とともに抱えた苦しみを流して、吹っ切れた後だからこそあの慈愛のまなざしだったのかもしれない。それは演技ではなく、彼女の核心から自然に出た愛の形。

『Sing Out!』Music Video 最後のシーン

想像の中の「飛鳥ちゃん」

 ここ1年くらい特に、飛鳥ちゃんが思うこと、言うことがだいたい分かるようになってきた。僕がライブやメディアでの飛鳥ちゃんに対して抱いた感情とそっくりな言葉が、翌日飛鳥ちゃんから届くなんてことも幾度となくあった。
 そんなのは都合のいい解釈で、思い上がりだと言われればその通りなのだが、しかし、どちらかというと飛鳥ちゃんを「よく理解している」というよりは、単に僕自身が「飛鳥ちゃんに似ている」と思うことはよくある。(コイツさすがに思い上がりが過ぎるな、と思いながら生暖かい目で読んでください)

 普通のことだけじゃつまんないと思って生きてそうなところ。色々考えている割に自分の考えの正解が分からなくて、思ってもない話をしちゃうところ。自信は無くても信念は持ってるところ。自分が犠牲になっても、周りの仲間が喜んでくれるならそっちのほうが好きなところ。目に見える形じゃなくても、願ったり信じたりすることで何かが変わるんじゃないかと考えがちなところ。愛をもってすれば何だって叶えられると思ってるところ。とか言うけど叶わないことだってあるってことに気づいてるところ。でも、叶わないことにこそ意味があるって思ってるところ。

 と、ここまで恥ずかしげもなく語ってきたのは、どれもこれも全部、俺の中の妄想の飛鳥ちゃんの話。もし本物の飛鳥ちゃんに話してしまったら、ぜーんぜん違う、何一つ当たってないって、鼻で笑われるだろうね。

「あなたが好きになったのは、想像の中の私かも。」

「あの頃、君を追いかけた」より

 6年追いかけたけど、何一つ、分かっちゃいないのかもね。正直で素直なようで、謎に満ちているようにも見えて、たまにあまのじゃくで、気まぐれなときももちろんあるけれど、それでもしっかりとした芯があって、信念はいつも一貫している。そして何より、時代に合わせて変化し続ける人。だからこそ、これからも変わりゆく飛鳥ちゃんのことが知りたい。せっかく交わったこの世界で、この先の道も一緒に走りたい。

 これは、あなたがまだ知らない、大切な人が変わりゆく物語。

『いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46』より

 「全部100%、乃木坂でした」そう語る飛鳥ちゃんの「その日」の向こう側。いつも謙虚で、周りの仲間の幸せを一番に考えて生きる飛鳥ちゃん。「今は齋藤飛鳥個人として有名になりたい願望も特にない」と飛鳥ちゃんは言うけれど、乃木坂46にすべてを捧げてきたからこそ、乃木坂46で終わる齋藤飛鳥じゃない、そう信じている。飛鳥ちゃんには悪いけれど、随分勝手なこと言うけれど、はっきり言ってめちゃめちゃ期待している。飛鳥ちゃんの明日に。
 もちろん計り知れない苦労はあるだろう。あなたは乃木坂46しか知らない。ひとたび外の世界へ足を踏み出せば、思ってもみない困難が待ち受けていると思う。心が折れる日も来るだろう。重圧に涙する日もあるだろう。けれど、強くなった飛鳥ちゃんなら、こんなにも人に愛を配って歩ける飛鳥ちゃんなら、きっと乗り越えていけると信じてる。飛鳥ちゃんの幸せを、信じられないぐらいたくさんの優しい人たちが、願っているから。
 もしかしたら、明日の飛鳥ちゃんは表に見える世界にはいないのかもしれないけれど、それでも。あなたのこの先の人生に、期待させてほしい。

 壁の向こう側を想像したとき、すでにあなたは壁を越えている。

乃木坂46という、大きな夢

 乃木坂46を誰よりも愛していると語る飛鳥ちゃんの「乃木坂観」について。乃木坂工事中のヒット祈願卒業スペシャルでも、日刊スポーツ12/27坂道の火曜日でも、飛鳥ちゃんは「3期生が主役の時代が来る」「もう後輩に任せられるので卒業する」という趣旨のことを言っていた。
 飛鳥ちゃんが真ん中に立つことも少なくなり、随分前からすっかり3期生が第一線を張っていると思っていたから、この発言には少し驚いた。飛鳥ちゃんから見える乃木坂46はどういう景色なのか。色々考えてみたけど、飛鳥ちゃんが言うそれは、3期生が抱える「次」というゼッケンのことを言っているのかもしれない、と思った。

 乃木坂46 3期生。ここまで6年間走り続けてきて、名実ともに乃木坂46の中心を担うメンバーだ。しかし、今でもその姿には「次」の文字、つまり「乃木坂46の初期を支えた1・2期生の"次"世代」という宿命を背負っているように見えることがある。もちろんそれは歴史的には正しいけれど、もう「次」じゃない。3期生はもうとっくに、乃木坂46"それ自体"の中心にいる。「次」という烙印が一番生きづらいのは、飛鳥ちゃんが一番知っているから。
 そんな宿命から解き放たれ、乃木坂46の真の先頭を走りだすのが、2023年なのかもしれない。僕は3期生が大好きだ。この夏の「僕が手を叩く方へ」は本当に神秘的な体験だった。ひとたびあの歌が鳴れば、3期生の輪がライブ会場を支配する。3期生特有の、最初は内向きな、しかし決して内側にとどまらない、あの絆で。がんばれ、3期生。2023年の乃木坂46が楽しみだ。

 2022年、本当に楽しかったな。最後の1年がこんなにも幸せで楽しいなんて、飛鳥ちゃんと飛鳥ちゃん推しにとって、なんて幸せなことなんだろう。
 色々あった冬。世間にとやかく言われるくらいで勢いが陰るようなグループではないことを見事に証明して見せた、記念すべき10th YEAR BIRTHDAY LIVE。たくさんの思い出があるけれど、まなっちゃんの開会宣言は本当に愛おしかった。開会とともにステージに1人で上がり、今にも爆発しそうな7万人の期待を一身に受けていた彼女の姿は、この先も忘れない。
 そして、夏。後輩に主役を譲ると言いながらも、ずっと主役だった飛鳥ちゃん。残り少ない同志1・2期生と、大好きな3期生と、敬愛されている4期生と、まだ戸惑いながら5期生と。一瞬一瞬を噛みしめるように、心からその時間を楽しんでいる飛鳥ちゃんをいっぱい見守ることが出来て、本当に幸せだった。偉そうにする話でもないが、この夏、飛鳥ちゃんが最後の夏をめいっぱい楽しんでいることに、その姿が「いつもの夏と違う」ことに、最初から気づいていたのは、飛鳥ちゃん推しとして誇りだと思っている。

 バトンは必ず後輩に受け渡していくものだと思っていたんですけど、今回のツアーをやって、バトンを後輩と一緒に横に並んで持ちながら走るのも素敵だなということに、気付きました。

真夏の全国ツアー2022神宮 (2022/8/31) 秋元真夏

 2022年、ずっと夢みたいな1年だった。

『10th YEAR BIRTHDAY LIVE』より

一緒にいた時間は、夢じゃなかったよね

 ついに、その日が来た。この6年間、本当に幸せだった。ライブにいっぱい参加出来た年、なかなか行けなかった年、コ口ナで全てが吹き飛びそうになった年、色々あった。1人で応援していた時代も、乃木坂ちゃんを愛するたくさんの同志と一緒に楽しんだ日々も、全部宝物だ。この6年間で、僕は結婚もしたし、子どもも出来た。Sing Out!発売の翌週に生まれた息子は、もう「のぎじゃかのなかだと、あすかちゃんがすき!」と言ってくれるまでに大きくなった。気づけばそんな月日が流れたのだ。
 そして、卒業発表があったあの日からの2か月。寂しくて、心にぽっかり穴が開いたような日々だったけど、それでも、じっくりと過去を振り返りながら、これまでの飛鳥ちゃんとの思い出に感謝する日々でもあった。メンバーとの残された時間を大切に、たくさんの思い出を作っている飛鳥ちゃんを見守ってきたこの2カ月間もまた、幸せな日々だったと、そう言いたい。

 自分が大好きなアイドルの卒業に、推しとして立ち会えるってものすごく貴重なことだ。生活の変化で、忙しくて追えなくなることだってあるし、それ以上に、好きな気持ちって自分ではどうにもならないもので、好きでいたいと思っても興味なくなっちゃうともう戻れない。だから、飛鳥ちゃんのことが大好きな今、きみの卒業を見守れるのは、本当に幸せなことなんだ。

 僕はたぶん、飛鳥ちゃんに"恋"はしていない。もちろん飛鳥ちゃんの姿を見守っていられることは幸せだし、少しでも飛鳥ちゃんと時代を共有したいけど、会って話したいとか、ライブでレスが欲しいとか、そういう気持ちはあまり無い。でも、本気で心から大好きで、特別で、大切で。親心のような、真心のような、でもやっぱり少し恋しいような。

 卒業発表があってから、僕は何度も言ってきた。それはサヨナラじゃないと。それはたしかに「乃木坂46」との別れだが、齋藤飛鳥は齋藤飛鳥だ。卒業後、芸能界に残るか引退するかという話の前に、飛鳥ちゃんがこの世にいる限りずっと好きでいたいし、ずっと応援していたいと。
 でも、だ。飛鳥ちゃんはアイドルではなくなる。その距離感はきっと変わるだろう。舞台裏のわちゃわちゃを垣間見ることも、メンバー間の人間関係に耳を寄せることも減るし、モバメで日々元気をもらうことも無くなる。そして何より、もう我々ファンの勝手な干渉は許されなくなる。飛鳥ちゃんに頼ってばかりではいけない。独り立ちとはそういうことだ。
 それはまるで、どんなときもずっと見守ってきた娘が、家を出て独り立ちしていくかのように。決して別れではないけれど、今までみたいな家族ではいられない。いつかは子離れしなきゃならないんだ。

 ついに、その日が来た。就職して実家を出る娘を、送り出す日が。かわいがってきた我が子が、親元を離れて飛び立つ日が。


 それは、春を予感させる、でもまだ寒い冬の日のこと。いつだって一緒だった日々も、今日で終わり。それは確かに辛くて寂しい。出来れば、これから先も一緒にいたい。けれど、ずっと愛してきた娘が、ここにはないものを求めて一歩を踏み出すんだ。応援しない親がどこにいる。そう自分に言い聞かせて、どこまでも愛しい、その小さな背中を押した。


飛鳥、たまには帰ってきて、元気な顔見せてくれよ。くれぐれも体に気を付けて。無理するんじゃないぞ。しんどくなったら、いつでも帰ってきていいんだからな。


忘れ物は無いか? 財布は持ったのか?

・・・ごめんごめん。こうやっていつも心配ばっかりしてきたよな。飛鳥はとっくに、立派な大人なのに。ごめんな。


そろそろ電車の時間だろ、遅れるなよ。



いままで、色々ありがとな。
じゃあ、また。



いってらっしゃい