見出し画像

飛鳥ちゃんと僕と10thバスラ

 本記事は、大部分を憶測と(時にはネガティブな)思い込みによって書いているため、そのあたり許容できる方のみお読みください。
 そして飛鳥ちゃん、勝手なことを書く無礼をどうかお許し下さい。

 今回の10thバスラ、飛鳥ちゃん推しにとって「ある覚悟」をもって挑まなければならないと思っている。少なくとも僕はそう思う。もしかしたら最後かもしれないということを、どうしても考えてしまうからだ。

 いちいち言い訳すると、無神経に卒業を邪推して喧伝したりまして本人に言ったりするのは良くない。でも、推しメンを真剣に想うゆえに否が応でも考えてしまうその予感を口にするのは、悪いことではないと僕は思う。自己満足と言われればそれまでだが。
 もちろん、卒業してほしいなんて思っているわけではない。ただ一つ言えるのは、予感を口にすることと、それを受け入れる気持ちの準備が出来ていることとは、全く違うということ。準備なんて出来ない。

 その予感は、単に10年目だからとか、年齢的にとかいうことではなく(平均的卒業年齢からしても彼女は若いし、何よりアイドルに上限年齢など無い。)、ここ数年の乃木坂46における彼女のポジションに、少し寂しさを感じ始めたからだ。もちろん、いま中心を担うメンバーのみんなが気に入らないとか不十分だとかいう話ではまったく無いし、本当に立派だと思うし日々幸せをもらっている。けれど、乃木坂46の"大エース"たる飛鳥ちゃんを推してきたオタクとしては、ちょっぴり寂しい。
 正直な予感を言うと「乃木坂46として」やる仕事のセンターを飛鳥ちゃんが担うことも、この先あまり多くはないのかなと思う。映画映像研が発表されたときになんとなくそんな予感がしたけど、やっぱりそうなのかなと。1期生全員選抜という「1期生の大団円」をやり、生生星という生ける伝説も全員卒業し、残る4人の1期生はこれからも輝き続けるけれど、気づけばオリメン原理主義なオタクも少なくなったし、イチカスと呼ばれることも無くなって久しいなと。
 もちろん我らがスーパースター飛鳥ちゃんなので、個人での活動や乃木坂としての活動の中でもまだまだ重要なポジションを任されているものがたくさんあって、彼女からの発信を日々受け取れることは幸せなことだし、その姿を見れる限りは日々全力で返すしかないことは、理解しているつもり。


 さて、ついにである。8th YEAR BIRTHDAY LIVE の最後にキャプテンが「10周年も見えてきた乃木坂46」を宣言してから、予想もしていなかった環境の変化や、卒業・加入という内なる変化も経験しながら、結成10周年「他人のそら似」も経てついに、この5月「乃木坂46 10周年」の大団円を迎えようとしている。
 それは乃木坂46 1期生の飛鳥ちゃん個人にとっても、まぎれもなく節目であって、やっぱり「これを機に」という世界はそれなりに意識しておかなければならないのかなと思う。
 飛鳥ちゃんのことだから、乃木坂46にいても、卒業しても(そしてそれがもし芸能界引退であっても)その後の人生もきっと輝かしいものには違いないけれど、今まで乃木坂46でがんばるあなたの姿にたくさんの元気と幸せをもらってきたから。「この時間が、ずっと続けばいいのに」。そう思ってしまうことは許してほしい。

 乃木坂ちゃん全員を心から応援しているし、「乃木坂46の10周年」は1期生だけのものじゃない(これ重要)と思ってるけど、今回のバスラ、僕は飛鳥ちゃんだけを見ていようかと思うよ。やっぱり飛鳥ちゃんのことが大好きなので。