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43歳の私が始めてみた生き方 その2

前回の続きです。

長くなってしまいましたが、良かったらお付き合いください。


1年前の私

昨年の3月に地元仙台へ戻ってきた私は
これからの働き方について悩み始めていました。

40代、正社員として再就職できるのは、
このタイミングが最後かもしれない。
でも子供はまだ小さいし、急に休まなければならないこともあるだろう。
働き始めたばかりで、急に休んだりしたら迷惑がかかるよな。

しかも再就職したら、また今までみたいに頑張る日々が始まるのか、、、

12年前の私

地元企業で働いていた私は、縁あって同じ会社の人と結婚することになりました。

彼は新潟、私は仙台。誰もが、私が新潟へ行くと思っていたし、私もそう思っていました。しかし当時は、会社を辞めないと新潟へ行くことは出来ない雰囲気がありました。
彼と結婚する=会社を辞めて新潟へ行く、この式が当然のように、知らず知らずに周りにも出来上がっていました。

働くことが好きで、職場も慣れ親しみ、人に恵まれ、沢山のことを学べた約10年。周りから評価されることに喜びを感じていた私は、少しずつ、小さな憤りが生まれていきます。

何故私が仕事を辞めなければならないのか。
週末婚でもいいのでは?

彼にそんな話をしたこともありました。
彼は黙って、少し困った顔で、私の話を聞いてくれていました。

少しずつ気持ちの整理をつけながら、最終的には、会社の中で私の代わりはいくらでもいるけれど、この人と結婚できるのは私しかいない、ということで、新潟に行くことを決めました。

あれこれ悩んだけれど、会社でお世話になった方のおかげで再就職もでき、結果的には順風満帆で新生活を迎えることが出来ました。

理想と現実

とは言っても、ずっと同じ場所にいた私は視野も狭くて、新しい環境や価値観にうまく適応できず、苦しい日々が始まります。
夫も仕事が忙しかったこともあり、1人でご飯を食べることも多く、毎日一緒にご飯を食べ、週末になったら夫婦で買い出しに行く、といった新婚イメージを持っていた私は、理想と現実のギャップに、時に寂しいと思うことがありました。

新しい環境に慣れれば楽だったのだけれど、凝り固まった私の考え方は、なかなかすぐに変わることができません。翌年に地元で震災もあり、地元のことを考える日々に、数年間、新潟に慣れることはありませんでした。

時がたち、職場でとても信頼できる友人ができ、家の中ではなく外に関心を向け、趣味を楽しむようになり自分の居場所ができてくると、
だんだんと新潟が好きになりました。
特に子供が生まれてから職場復帰するまでの期間は、大変ではありましたがキラキラしていて、新潟で子育てができて良かったと思っています。

しかし、いざ職場復帰がはじまると、怒涛の日々が始まります。
初めての子育てで、「〇〇すべき」「自分で全てやりたい」という思いが
強かった私は、産後のいわゆる「ガルガル期」というものも残っていたのか、夫に対してとても攻撃的で、かなりピリピリしていました。

夫と声を荒げる喧嘩もあり、子供の前で大声で怒鳴ったこともあります。
今思うと、ホルモンバランスも乱れていたのかなと思うほど、
とてもひどい状態でした。

また、息子自身も、特に入園してからの1年間は、「保育園の洗礼」をばっちりと受け、毎週熱を出しているんじゃないかと感じるほど、頻繁に体調不良になっていました。仕事を急に休めない夫に変わり、ほぼ全てを私が対応していたので、有休はすべて使い切り、それでも仕事を休まなければならないこともありました。そのたびに、また同僚に迷惑をかけてしまった、あの仕事やりたかったけれどできなかった、そんな思いに駆られます。
毎日の生活でも、自分がやりたいことは全て子供のお世話などで遮られ、自分は何もできない、という感覚に陥り、どんどん自己肯定感が下がっていきました。

そして、少しずつ息子に抵抗力が付き、保育園を休む日が少なくなって
くると、今度は私が体調を崩すようになりました。
頭痛、身体の痛み、何を食べてもおなかを壊す、その他諸々。
結局子供の休みが減っても、今度は自分の通院のために有休がなくなるようになります。
無理をしすぎた結果が、1年たって自分の身体に出てきたのでした。

それでも、信頼する同僚が常に寄り添い支えてくれていたり、
同じように頑張っているママさんたちや、子育て支援センターなどが
あったり、私を大事に思ってくれている夫のお陰で、
何とか毎日を過ごすことができました。

そして、地元仙台へ

そうして、段々と新潟での子育ても落ち着いてきたころに、
夫の転勤話があったのです。
夫にとっては嬉しい、やりたい仕事ができるお話でした。

新潟から離れることは、気持ちの上でかなりの抵抗がありましたが、
夫には、やりたい仕事を選択して欲しいと思っていました。
やりたいことをやるチャンスがあるなら、それを選び取って欲しい。
そしてその姿を、息子に見て欲しいと思ったからです。
結局、息子の「パパのそばにいたい」という言葉もあり、
家族で新潟を離れることにしました。

失業手当をもらいながら考える

新潟での仕事も辞めなければならなかったので、失業手当をもらいながら
再就職先を探し始めました。
その時、冒頭の気持ちが出てきたのです。

40代、正社員として再就職できるのは、
このタイミングが最後かもしれない。
でも子供はまだ小さいし、急に休まなければならないこともあるだろう。
働き始めたばかりで、急に休んだりしたら迷惑がかかるよな。
しかも再就職したら、また今までみたいに頑張る日々が始まるのか、、、


そして、出た答えがこれでした。
もう、あの頑張りはできない。

本当に、パタッと気持ちが切れた感じでした。
頑張り続けることはできたけれど、一度切れてしまった気持ちを
元に戻すことは、私にはできませんでした。

いやだいやだ、自分の人生なのに、我慢ばかりするのはいやだ
やりたいことをやっていきたい。

夫に相談すると、すぐに賛成してくれました。
今までの頑張りを、夫はちゃんと分かってくれていたようです。

そうして私は、やりたいことを探すために、本を読んだりラジオを聞いたりし始めました。今まで自分のために時間を使うことがほとんどなかっため、とても充実した日々を過ごします。
そんなある日に出会ったのが「ライフオーガナイズ」という言葉でした。
「ライフオーガナイズって何だろう?ちょっと調べてみるか」

あの時もし調べていなかったら、今の自分はいなかったかもしれません。
ちょっとした出来事でしたが、人生の転機となる瞬間でした。


次回は「43歳の私が始めた生き方 その3」
今現在の私はどんな状態なのか。順調なのか挫折気味なのか?
40代のリアルをお届けする予定です。
また読んでいただけたら嬉しいです。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。

音声配信もしています。
「40代から始める居場所作りラジオ」是非聞いてみてくださいね。


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