真実のしっぽ 20240226
ひとつ、またひとつの繰り返し。
暮らしってそんなもので。
だけどその繰り返しは
決して同じじゃないから救われているんですね。
救われる、って表現は大袈裟かもしれないけれど。
「ひとは変わってゆくんだよ。
それはとても過酷なことだとおもう。
でもそのことだけが、ひとを救ってくれるのよ。」
〝そのことだけが〟なんて、なんて極端なことを言うのだろうと思ったけれど、それは間違いではなかったなぁと、ココまで生きてきておもいます。
なにかが変わるとき、わたしは必ず前へ進めたし、自ら選んで変わったときには、積み重なる後悔を投げ捨てることができた。
唯一変わらないことがあるとしたら、それはこの世界のひとつひとつが変わり続けていること、なのかもしれません。
昨日、民宿主催のイベントが、また一つ結びました。
「怖い」が「楽しい」と同じくらいの分量で襲い来る、異彩を放つイベント『豊島離島怪談会』。
来客数は決して多くないけれど、毎回とてもやさしい人たちが集まるから、話している内容は怖いのに、後には温かなほわっとした感覚だけが残って、とても満たされた心地になります。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が日本文化の一つとして推すほどの魅力を持つ「怪談」。
怖い怖いと言いながら、それを語り、それを聴くとき、その物語の中に「制御できないもの」が顔を覗かせていることに気付くでしょう。
それこそが、日本人であるわたしたちの血にそっと隠されている真実のしっぽ。
そのしっぽを掴んだり、掴み損ねたり、時にはその姿を目撃してしまったり。
きっと怪談界隈のひとは、そのスリルをただただシンプルに楽しんでいる。
わたしたち民宿カラフルは、その「楽しい」に、これからも積極的に加担してゆこうとおもっています。
「また次の怪談会でね」って手を振るみんなの笑顔は、痛いくらいに純粋で幼くて、わたしは、その向こうに見える青空をとてもうつくしいとおもいました。
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