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わたしあなたのこと嫌いなの 20240320

年をとってくると、前触れもなく過去が降ってきますね。

昨日は、ふっと、20代の頃、入院していた時のことが頭に浮上してきました。

同じ病棟に、病院食を一切食べず、ランチパック(たまご)ばかり食べていた女性が居ました。

そこはいわゆる精神科の半閉鎖病棟で、わたしも食に問題を抱えていたので、ランチパックしか食べない彼女も何かを患っていることは、ある程度理解できました。

同年代だったので、ときどき談話室でおしゃべりすることもあったのですが、ある時、廊下で気軽に声をかけたら、

「わたし、あなたのこと嫌いなの」

と強くはっきり言われました。

メンタルが非常に脆かったわたしは、呆然としてしまって、ふらふらと自分のベッドに戻りました。

自分的にはおだやかな関係が築けていると思っていたし、彼女が不快になるようなことを言ったつもりもなかったのですが、わたしのそんな当たり障りのない性格自体を不愉快に感じたのかもしれないし、わたしが無意識に行う言動の何かが、彼女の癇にさわったのかもしれない。

それは彼女にしかわからないし、人の感じ方にまで責任がとれるわけでもなかったのですが、若かったのですね。

わぁわぁ泣いて、自分のどこが悪かったのだろう、どうすれば仲直りができるんだろう、と延々考えて寝込みました。

今思えば、そんなに深刻になる関係性ではなかったんですけどね。
その頃は、人との距離感が全く分からなかったのです。

記憶はそこで途切れて、そのあとランチパックの彼女がどうなったのか、自分がどう立ち直って、どう退院したのか、まったく覚えていないのですが。

思えばあんなにもはっきりと、自分のことを「嫌い」と言った人は、彼女しかいなかったな。

あの時は、なんだかわからないパニックとショックで、自分を責めたり、心の中で彼女を責めたり、嵐の中にいるみたいな心持ちだったけど、今では、彼女はわたしの中で清々しく愛おしい存在。

嫌いと言われたことで、わたしはそのとき、徹底的に自分を省みることができたし、自分の弱さを認めて、だれかを諦めることを学ぶことができた。

もちろん精神科の閉鎖病棟という場所において起こったことは、健常者が体験することとは、また違った種類の状況や意味合いを含んでいるかもしれません。

けれど、わたしたちにとっては、他の誰とかけ離れていても、あの時感じたことや起こったことが真実であり、どんな幻覚妄想よりもいとおしい現実だったのだとおもいます。

最近はこんなふうに、記憶の底から、泡のように浮上してくる想い出を、そっと掬いながら過ごしています。

通り過ぎていってしまったひとたちに、ありがとうと伝えながら。

また、思い出したら書きますね。

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