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カナデナル 20240222

奏で鳴る。
春の気配がすると頭に浮かぶことば。

花が次々に咲いてゆく様子が、春の弦を奏で鳴らしているようで。

そういえばEGOISTの「カナデナル」という曲があったなぁ。。

話は変わりますが、「カナデナル」とか、「ヨルシカ」とか、カタカナってなんかいいな、って最近おもいます。
英語を日本語で書くときに使われることも多いけれど、カタカナは万葉仮名から生まれたれっきとした日本生まれの表音文字。

ひらがなのやさしい感じとはまた違って、瀟洒で軽やかな印象を受けます。

異国要素も加味されて「どちらでもない」イメージがフラットさを伝えているような気もするし。

どちらでもない、ということは、どちらでもある、ということだしね。

今夜は久しぶりにヨルシカを聴こうかな。
夏限定で聴いていたヨルシカを、近頃は四季のすべてに流しています。

花を見てうつくしいとおもったとしたら、それは見るひとの心が素直で健やかだからだとおもいます。

なんでもうつくしさというのは、それを映す瞳の側にゆだねられている、とわたしはおもっています。

枯れてゆく花さえ、うつくしいと感じるひともいる。

花はもちろん、そう感じた心も、わたしはおなじようにうつくしいのだとおもうのです。

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