流星群
書くことが好きなはずなのに、書き始めるまでが長くて、なかなかこのnoteも使いこなせていません。
書きたいことは色々あるし、さらけ出したいことは山ほどあるし、伝えたいことも星の数ほどあるのだけれど。
昨日流れ星を夫と目撃したとき、あれは生まれてこなかったわたしたちの子供かな、と思いました。
民宿の仕事をしながら、わたし達は人工授精を2回、体外受精を3回試みました。
最後の体外受精でやっと授かったと喜んだのも束の間、命はわたしの中からゆっくりと落ちてゆきました。
悲しかったし、泣きもしたし、身体もかなりしんどかったけど、もうがんばらなくていいんだと理解ったとき、なぜだか清々しい気持ちになりました。
あと、なんだかわからない偉大な存在に、ありがとう、と。
思えばいろいろと経験させてもらっていて、そのすべてを糧にして生きてもいるし、そのすべてを正解にするために生きているとも感じます。
だって悔しいじゃない。
あの選択が間違っていたとか、あの時こうしていればとか、過去の自分を否定するのは。
ひとはいつだって、その時その時で最善の選択をしているはずだから、「今」の自分は過去から続いてゆく未来まで、全肯定してあげたい。
風ってね、過去から未来へ吹くんだって。
最近は民宿カラフルには外国のお客様も頻繁に泊まられます。
「違い」から学ぶことは多いし、「同じ」に感動することもしばしば。
先日お泊りになられたフランスの女性に言われました。
「もう傷つかなくていいのよ」
そこに在る圧倒的に大きな何かをわたしはすぐに忘れてしまう。
豊島美術館の『母型』が、存在を作り出すための空洞で満たされていることを、わたしはすぐに忘れてしまう。
だからこそ、わたしは書くのです。
忘れるために書き、思い出すために読むこと。
わたしの「書く」ことの原点はそこにあるし、それがまわりまわって自分を満たして「生きる」ことだと、いつだって自分以外の誰かに教えられるのです。
風は過去から吹いてくると書いておきながら、未来から吹く風もある、とわたしは信じています。
だから歩いて行けるのだと、わたしは信じています。
わこ
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