きこえる。 前編

猫の声が聞こえる。
どこがで私を呼んでいるように、小さな猫の声が。

灰色の空は、このごみごみとした都会を表しているようだ。私はそんな小さな、けれども大きなビルが立ち並ぶ世界に住んでいる。12月の寒い空気に晒されながら、人々は忙しそうに行き交う。スクランブル交差点、駅前のロータリー、不思議なモニュメントがあるそこは見慣れた景色で、私は今日もその人々の中の1人だ。

こんな灰色の街を、不思議と寂しく思うことはない。帰れば電気さえ出迎えてくれないワンルームのマンション。部屋に足を踏み入れると、暗い部屋の中はひんやりとしている。エアコンをつけるとひと束に結った髪をほどいた。
帰りに買ったコンビニの弁当だけは熱を持っている。私はビニール袋をテーブルに置いて、ベッドへと倒れこんだ。

ふと、猫の声がした。
ここはマンションの7階でペット禁止なはずで、隣の住民もほとんど見たことがない。よほどのことがない限り生活音も聞こえないのに、私の耳は確かにそれを猫の声だと判断した。

猫の声はなにかを呼んでいるように小さく泣き続けている。その声に、ああ、もしあれが私を呼んでいるのなら、とぼんやりとした頭の片隅で思う。

私は昔から、なんでもそつなくこなす子どもだった。一芸に秀でることさえなかったが、親の言いつけを守り、期待に添えるよう生きてきたつもりだった。
しかしそれは、本当に“つもり”なだけに過ぎなかった。

要するに端的に言えば、私は「できること」しかさせてもらえなかったのだ。そのことに気づいたのは働くようになってからで、つまり、社会のヒエラルキーの中で私は、下の方に属する人間なわけで。

こんなに人で溢れているというのに、私の存在など、誰も認めてはいなかった。誰も私のことを必要としていない。それが当たり前のようになったのは、いつからだろう。

猫の声は相変わらず、泣き続けている。
私はそれを聞いている。

後編へ続く。

#小説 #短編小説

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