見出し画像

私は上手く”普通”に生きられない。

私は上手に普通に生きていたいと思っている、らしい。
らしい、というのは時々自分を振り返ったその時に大体抱いているのがこの気持ちであって、割と無意識だからだ。
”上手く”も”普通”も正解はイマイチ分からないのに。

私の両親は”普通”を求める人たちで、自分の常識を疑わない人たち。
例えば、普通に大学を卒業して、普通に就職をして、みたいな。
うちの場合は家業があるから、大学を卒業したら家業を継ぐのが彼らの”普通”だった。
特に私が学生の頃はその理想が酷かった。
年の離れた兄がゆるっとふわっとしている人で、何となく楽しく生きながら親の普通に逆らっていた。
いわゆる悪いこと、みたいなのは兄が全てやっていった。そして、何年も定職には就かず、ふらふらと遊んでいたように見えた。
そのため、父が兄を怒っている横で母が私に言うのだ。
「あなたは兄みたいにはならないでね」と。

その結果、私は彼らの言う普通に従い、大学に行き、家業を継ぐことを目指していた。
しかし、高校の頃から心身のバランスを崩し、その時お世話になったカウンセラーさんに憧れた。
それは結局、父の理論的で建設的な説得と学力不足により泡となって消えたが。
あと、中学3年生の時の3者面談で英語を学べる女子高(偏差値は多分低めだった?)に行きたいと言ったところ、母がその考えは気の迷いであると言い切られてしまった。そんなこんなで、大学までは普通に従っていた。
大学時代に親は絶対でないのだと、嫌いでも良いのだと知り、方向転換を始めた。
卒業後は全然関係ない会社に入社したし、そこもすぐに退職した。今に至るまで色々な職を渡り歩きながら、双極だと判明して生きてきた。

それなのに。私はまだ”普通”であることにこだわり続けている。
やっと腰を据えて家業を継ごうと思っているからなのか、未だ彼らの言う”普通”が輝かしく思っているからなのか、ここ数年の兄がいわゆる普通な道を歩み始めたからなのかは分からない。
でも、確かにいつも思うのだ。
『私は上手く普通に生きられない。』

正社員とか、終身雇用とか、キャリアアップとか。育休やら、何児の母やら、親孝行やら。
世の中で言われる”普通”の価値観を見ていると、ふと息苦しくなっているのに気が付いた。
私が出来てこなかったこと、やれなさそうなことにモヤモヤとして、いつしか息が深く吸えなくなる感じがする。
そういう”普通”なことを当たり前な顔で実行出来ちゃうような人になりたかったんだと思う。
それと、出来ている人と比べて落ち込んでいるのだと。
『普通でなくたっていいじゃないか!』みたいな私と、『普通でいることが正しい』的な私が入り混じっているからいつもちぐはぐな行動と言動をしてしまうのかもしれない。
だから、まずは”普通”を構築し直すところから始めたいと思う。
両親の言うものと異なっても許せる価値観も一緒に。
私は普通に生きられない。けど、そんな私も愛せるように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?