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【長文】2023年はPRする!

ソフトウェアエンジニアのこばやしです。Colony株式会社という会社の代表取締役をしています。
地元静岡市のソフトウェア開発業界で社会人スタートをし、そこで15年間会社員を経て創業。
この2023年で11年目がスタートしました。
ここまでやってこれたのはひとえにパートナーに当社を選んでくれたお客様方々の支えあってのことだと常々思っております。

長くなりそうなのでまず結論から言いいますと、2023年は(2023年からは)PR (パブリック・リレーションズ)にもっとも注力していきたいと考えております。
ここまでの10年でPRらしきことといえば、いくつか手を打ってきたものの、思い返せば何ひとつPR出来てませんでした。なにより私自身がかなりのコミュ症で繊細で拗らせてる人間てあり、人前に晒されることを極度に嫌ってきたことに起因しております。
そこでこれまでの経験と失敗を糧に、新しく地域創生事業に取り組んで行きたいと考えております。ざっくりいいますと、私の住む小さな地域の活性化に、ITのチカラを使って挑んでいく、ということ。このことは最後に詳しく記載します。

ここでいきなり話しは飛びますが、私の10年後の姿の目標をお話ししておきます。
私は重度の心配性でもあり、物事を始めるのに非常に時間がかかり、実際始まらないこともよくあります。
そんな私はこれまでの10年、そしてこのあとの10年後(56歳!もう初老ですねw)に目指すワークスタイルは、ゆとりあるソフトウェアエンジニア業70%、その他30%で、ゆとりを持って、やりたいことや、新しい技術の習得、研究などに時間を費やしたい、そこを目指しています。
つまり会社経営などメインは極力任せて、私は私自身が最も得意としている会計まわりを見つつソフトウェア開発を行うサブメインのポジションで二拠点生活をしながらワーケーションを楽しみたい、と考えています。
そのような想いに至った経緯やロールモデルの話しはまた別の機会でしたいと思いますが、私はこの仕事が大好きで、やりたい事とやれる事が被っていて、最初は全てが自分自身の采配で進む事にめちゃくちゃやりがいを感じて夢中で仕事をしていました。
しかし、やればやるほど将来の不安が常に付きまとうことに気付きました。
私にはまだ小さな子供がありがたいことに三人もおり、フリーランスに近い立ち位置でいる以上、やってもやってもこの不安は解消されず、いただいた仕事は全て受け、またひとつのクライアントのシェアが大きくなりすぎないように仕事量の分母を増やすことでバランスを取り、睡眠時間を削って自分を追い込み、家族に負担を強いてしまい、挙げ句の果て体調を崩してクライアントに逆に迷惑を掛けることにもなりました。
早くこの状態から脱却したい、フリーランスではなく、ある程度安定した事業規模と基盤を作らなくてはダメだ。そのためには仲間だ。
この考え方は創業から数年して持つことになり、ここまでの10年はそのための経営だったり、行動を取ってきました。

創業時のきっかけの話しに少し戻りまして、これまで15年のソフト業界で見てきたこの業界の悪しき習慣、たとえば人月(人工)という積算手法、ゼネコンのような特定人材派遣、といったものに違和感を感じておりました。つまりソフトを開発するために必要な人件費は、4人で10ヶ月掛かると見積もった場合、「1人月80万×40ヶ月=3200万円」みたいな考え方です。企業には様々な技術のスタッフがおりますので平均的に見た試算となり、極端な例を出すと、私が3日で終わることでも、平均社員が1ヶ月掛かってしまう場合は80万円/月となるわけです。
クライアントからしてみたら優秀なメンバーだけでチーム組んでよってなるわけですが、その選択肢はクライアントにはありません。
また職位が上がることにマネジメント職となりプレから複数のプロジェクトを掛け持ちしてマネジメントする役割を求められるようになります。
私自身、新しい技術を習得し、クライアントが実際に使うものを作ることにやりがいを感じてました。

我々が主に扱ってきた中小企業のソフトウェアは、(多くても)ほぼ4〜5人のチームでプロジェクトが進行しており、少数精鋭であれば大きな所体は必要ないと思っていました。
また、世の中はクラウド化により、ハードウェアの管理がほとんど要らなくなり、プログラミングなどソフトウェアの開発により特化することが出来るようになることが目に見えており、開発パートナーもスキルシェアなどのクラウドサービスによって適材適所で探すことが出来きて、なによりデバイスがPCからWebやスマートフォンにシフトしていく最中で、相応のスキルがマストになっていくだろう、という時代背景もありました。
なので私は少数精鋭の(4〜5人の)ソフト開発チームを創りたかったということが当時からいまもなお根底にあります。

そのための採用を行ってきましたが、我々のような弱小で、何者かもわからない零細企業には誰にも見向きされません。
このまま大手と同じ土俵で戦っても勝てない。採用コスト合戦をしても確実に負ける。
前の職場でさえ、最低ひとりに対して採用コスト100万円は見ているとのこと。(おそらく転職エージェントの報酬のこと)
私自身も藁にもすがる思いで、某ビズリーチの申込書に社印をあと数センチというところまで押すところでした。

そこで始めた新規事業が、2015年(創業して3年目)カフェに出資を行うことになりました。
当時は同時期にスタートした経営者仲間三名で、私はIT、ひとりはデザイン、ひとりはオペレーションと、それぞれ担当役員として起業しました。
私はこの飲食事業で目指していたことが二つあり、
ひとつは
「キャッシュレスがもたらす飲食店の未来」
というものを見たく、「現金お断りの店」を日本に先駆けて始める、ということと、
ふたつめはいま風に言うと、
「飲食店DX(フードテック)で経営効率の最大化」
を図ることが目標でした。
これについてはまた別の機会で書いてみたいと思いますが、このあと2022年までコロナの影響もあり、飲食店の経営は困難を極め、兎に角どちらも目指すところまで達成することなく、私の描いたPRは不完全燃焼に終わることになります。
いま思えば目的より経営すること、継続する事、が主に代わってしまったことが最大の敗因だったと切に思います。

次に考えたのは、
2017年に投資したコワーキングスペース事業です。私には働く場所や働く環境、働くカルチャーに、いわゆる海外や渋谷のITベンチャーに憧れがありました。自由でクリエイティブ的で、遊びの要素があって、社食があって…。Googleの20%ルールとか衝撃的でした。
これもシンプルに私と同様に思ってるエンジニアはたくさんいるだろうという思いから、素敵なワークスペース、カルチャーがあれば見つけてもらえるだろう、という発想からです。
これもいま思い返せば、維持するための資金を稼ぐために本業に奔走してしまうことで、ほとんど(いまだに)目立ったPRも出来ず、ただ競合が少ない分、見つけてくれた方々に今日までメンバーとして支えていただいております。

どちらの事業も本来の狙った効果を生み出せてこなかったのですが、PRが「広い認知」、マーケティングが「必要な人への認知」だとすれば、カフェは、SNSの総フォロワーも1万人を超え、テレビ等メディアの取材もバンバンしていただき、全国放送の出演や、インフルエンサーの来店などでPRはうまくいっていましたが、それをマーケティングに活かせることが出来なかったのが失敗でした。コワーキングはPRすら出来ておりませんでしたので、仲間にしたいエンジニアに来てもらえるはずありません。

2021〜2022年の2年間は、私にとってまたとないチャンスがあり、心の底からやりたいが溢れ出すようなクリエイティブ満載な仕事に付く事ができ、そちらに尽力して参りました。
また昨年後半は体調も崩し、その他の仕事をセーブしてきたこともあり、満を持して2023年は

  • PRに注力する

  • PRから本当に目指している姿への導線をキチンと設計して、新たな事業に取り組む

  • 地方創生(地域創生)へチャレンジ

この3つに投資していきます。

そして具体的な目標としては、

  • 私を含むソフトウェアエンジニアが4名(経営、財務、マーケ、技術)の仲間を創る

  • 合わせて弊オフィスにマーケター、デザイナー、動画クリエイター、ライターなどのクリエイターのチームを創る

  • チームのメンバーはオフィスの利用料を頂かず、チームで手掛ける仕事の一部を運営費として回せるようにする

  • オフィスの近隣の街を巻き込んで、いままで以上にクリエイティブでポジティブでエキサイティングな場にする

これらを実現するためのPR、マーケティングを推進していこうと思います。
長文でしたが、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


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