見出し画像

動画解説テキスト#02 『『絵本小夜時雨』を読む』

◉注意◉

 このテキストは、Youtubeに投稿した動画『【#02】蠱毒大佐の妖怪数奇チャンネル 『絵本小夜時雨』を読む』の脚本をもとに記した解説文になります。
 動画と併せて読めば、わかりやすさは実際倍増。一緒にコンテンツ利用しよう。

はじめに

 ドーモ、こんにちは。妖怪蒐集家の、蠱毒大佐だ。
 今回取り上げるのは、江戸時代の妖怪絵本の一つとして知られる『絵本小夜時雨』だ。
 『絵本小夜時雨』は享和元(1801)年に刊行された「絵本読本」と呼ばれるジャンルの書籍で、画作者は速水春暁斎(はやみしゅんぎょうさい)という人物だ。軍記物や実録文献などで扱われた怪異譚をリライトし、挿絵を加えて読みやすくした内容となっている。『絵本小夜時雨』は、かの水木しげる御大も妖怪画を描いた際の参考文献として挙げているので、知っている人も多いのではないかと思う。
 全五巻のシリーズに四十五話が収録されているが、今回はその中から好みで選出した七話を紹介しよう。

◉平川采女異蛇を斬

(『絵本小夜時雨』一巻所収)
 永禄年間の頃、滋賀県南部の三上山に大蛇が住み、人々を苦しめていた。当時の領主に仕えていた平川采女という武人が命を受けて三上山に赴くと、その大蛇が現れた。
 その姿、頭は馬のごとく、口は耳まで裂け、紅の舌をひらめかし、火炎を吹きかけながら飛び来たったが、平川は「えいや」と太刀で斬りつけ、その首を刎ねた。しかし、大蛇は首だけになっても動くので再び斬り払うと、首は鏡山へと飛んでいき、不篠の池に落ちたという。

 この話は『淡海温故録』などの本に収録された話だ。三上山は俵藤太の大百足退治などでも知られているな。
 蛇と書かれてはいるが、挿絵では馬のような頭をしているなど、どちらかというと龍に似た特徴を有しているようだ。

◉浪華東堀に異魚を釣

(『絵本小夜時雨』二巻所収)
 寛政十二年頃、大阪西堀平野町の浜辺で、川に流して運んでいた材木の間に異魚がいるのを見つけた。
 その大きさは三尺あまり、鱗はボラのようで、頭は人のように目鼻口があり、小児のような声で鳴いたという。

 大阪で「人魚」の類を見つけたという話だが、よく知られる半人半魚の姿ではなく、いわゆる人面魚に近い姿をしていたようだ。
 日本にはこういった人面魚体の存在についての逸話が幾つかあるが、
この話はどこか深海魚を連想させるものがあるな。
(例えばニュウドウカジカ(ブロブフィッシュ)などは人面に見える姿をしているが、こういった深海魚・底生魚の類が大阪の海で確認できるのかは不明)

◉仁伽利剣

(『絵本小夜時雨』二巻所収)
 奥村治右衛門という武士が伊勢国に向かう途中、夜半に墓場を通りかかると、草むらの中に火焔があり、不動明王の如き姿の者が、にかりにかりと笑いかけてくる。奥村が刀を抜いてこれを斬りつけると、火焔はたちまち消え、辺りは元の暗さに戻った。
 奥村は伊勢国で用事を終え再びこの墓場を訪れると、苔むした石仏の首から血が流れており、二寸ほどの切れ込みがあった。
 豊臣秀吉がこの話を聞いて、奥村からその刀を召し上げた。そしてこれに「にかり」と名を付け、秘蔵したという。

 この話は『武将感状記』という本に典拠がある。原話によるとこの刀は二尺五寸、備中青江の作刀だという。つまり、これはかの有名な「にっかり青江」の逸話というわけだ。
 現在よく知られる「にっかり青江」の逸話は『享保名物帳』などに記された女の幽霊を斬ったという話だが、この『絵本小夜時雨』や『武将感状記』には、不動明王のような化け物を斬った話が採用されているようだ。
(「にっかり青江」の逸話についての追跡調査は以前代理人がブログで公開していたので、こちらも参照してください)

◉木中の怪童

(『絵本小夜時雨』三巻所収)
 永禄年間、京都一条の古い家に松並久太という侍が移り住んできた。その家の居間の柱には、深い穴が空いていたのだが、この穴から小さな子供が顔をのぞかせ、久太を手招きするようになった。久太は驚いて穴に経文を結びつけたり様々な祈祷をしたが、一向に効果がなく、「早く此方に来い」と招いてくる。
 友人で剛の者である平塚何某という者が、これを狙って斬りつけると、斬られた子供が穴に引っ込んだ。柱を切って調べると、古い鼠が死んでいたのだという。

 この話の典拠は『今昔物語集』の二十七巻にある話(「桃園柱穴指出児手招人語」)だと考えられている。
原話ではその正体は曖昧にされているが、この本では古鼠の変化のようにしているな。鼠が化ける話はあまり多くないイメージなので、これは結構珍しいパターンかもしれない。

◉駒僧正

(『絵本小夜時雨』三巻所収)
 京都の南禅寺がある土地は、昔は最勝光院という寺院があり、亀山法皇の后が離宮を置いていた。
最勝光院の僧正だった道智という僧侶は、この地を深く愛していたので、死後も離れられず、その霊が昼夜妖怪変化をなして人々を悩ませた。多くの僧侶が祈祷をしても効果があらわれなかったが、東福寺の普門という僧侶が安居座禅を続けたことで妖怪は退散した。法王はこれに感じ入り、新しい寺を建立して南禅寺と名付け、道智僧正の霊を祀った。
 以降、僧正は南禅寺の守護者となり、時々白馬に乗って滝の周りを遊行するようになった。よって駒僧正と呼ばれ、僧正が現れる滝も駒ヶ滝と呼ぶようになった。今も、南禅寺に正しくない僧侶がいると必ず祟りをなすのだという。

 京都の有名な寺院である南禅寺の縁起に纏わる話だ。『雍州府志』という本に、この話の直接の典拠があるらしい。
 南禅寺の縁起、最勝光院の来歴、道智僧正についてなどの逸話をまとめ、
かなり怪異譚よりに語られているのが、この話の特徴だな。
 南禅寺には今も最勝院と駒ヶ滝が残っており、駒僧正道智として祀られている。妖怪スポットとしてはあまり知られていない場所だ。

◉樹木仏像に見ゆ

(『絵本小夜時雨』三巻所収)
 寛政十年七月、京都の大仏殿に落雷があり、大仏もろとも焼失してしまった。人々は壮観な大仏殿が失われたことを悲しんだが、誰ともなく「大阪寺町辺りの松の茂みが、大仏殿の本尊様のように見える」という噂が流れた。
 せめて面影だけでも拝みたいという人々が群れをなし、その松の茂みを見物した。見てみると確かに松の影が大仏の御体のようであり、一本高いもみの木が大仏の御首のように見えたのだという。

 ここで紹介されている「京都の大仏殿」は、記録からして天台宗の方広寺だと考えられている。『摂陽奇観』という本にこの樹木の大仏について記述があり、当時本当に大仏の影が見えるとして話題になったようである。
 この話は水木しげる御大も「仏の幽霊」という題で絵を描き、紹介している。

◉泉縄手の陰火

(『絵本小夜時雨』四巻所収)
 滋賀県水口の泉縄手という場所に、膝頭松という大木がある。この場所で昔、地黄煎を売って小金を蓄える者がいた。しかし盗賊がこれを殺害し、金を奪ってしまったので、その執心が今も残り、雨の夜には松の根元から陰火が飛行するのだという。
 この地ではそれを「地黄煎火」と呼ぶのだという。

 地黄煎とは、アカヤジオウという植物の根を煎じた生薬であり、日本では古くから作られてきた薬だ。
 煎じた薬を飴に混ぜることで、水飴や固めた切飴としても作られ、江戸時代でも一般的な薬だったようだな。

最後に

 以上、私が「面白い」とチョイスした怪異譚を紹介した。
 今回選考から漏れた話の中には、名刀・鬼丸国綱の由来や、塙団右衛門、荻生徂徠といった有名な歴史人物の逸話なども収録されており、バラエティに富んだ内容となっている。
 『絵本小夜時雨』は国書刊行会から出版されている『百鬼繚乱 江戸怪談・妖怪絵本集成』という書籍に全話収録されている。私もこの本を参考にしたので、視聴者諸君にも一読をおすすめする。

 このような形で、民俗学系の「伝承妖怪」とは違う、描かれた妖怪「画像妖怪」についても色々と紹介していきたいと考えているので、これからも楽しみにしていてほしい。
 第二回動画、今回はここまで。それでは、お達者で!

◉―◉―◉ー◉―◉―◉ー◉―◉―◉ー◉―◉―◉ー◉―◉―◉ー◉―◉―◉ー◉

蠱毒大佐◉妖怪蒐集VTuber
妖怪文化愛好系ぶいちゅーばー存在。
民俗、美術、文学などから妖怪を観察します。
調査報告動画、作業配信、妖怪文化について語る雑談などをします。
たまに妖怪以外にも何かします。
日本史・日本文化系VTuberの集い「和同沙倫」所属。
◉Twitter:@Colonel_Kodoku
妖怪伝承投稿企画「百怪蒐録」
マシュマロ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?