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動画解説テキスト#04『ヌリカベ最前線』

◉注意◉

 このテキストは、Youtubeに投稿した動画『【#04】蠱毒大佐の妖怪数奇チャンネル 「ヌリカベ最前線」』の脚本をもとに記した解説文になります。
 動画と併せて読めば、わかりやすさは実際倍増。一緒にコンテンツ利用しよう。

1.はじめに

 ドーモ、こんにちは。妖怪蒐集家の、蠱毒大佐だ。
 今回の動画のテーマは、ずばり「ヌリカベ」だ。ヌリカベは最も有名な妖怪の一つであり、妖怪をそんなに知らないという人々も「ヌリカベ」という名前から、水木しげるの描いた壁のような姿の妖怪を連想することができるだろう。
 しかし、現代においてはヌリカベという妖怪名から、全く違う姿を想像する人もいるかと思う。今回は、そんなヌリカベを取り巻く現在の状況を少し紹介しよう。

2.その時、ヌリカベに何が起こったのか

 平成十九(2007)年一月、ヌリカベ界隈に激震が走った。
 アメリカのブリガムヤング大学に所蔵されている、とある妖怪絵巻の画像が妖怪収集家として知られる湯本豪一氏の元に届けられた。このブリガムヤング大学の絵巻物は、十七世紀後半から十八世紀初頭に描かれたと思われるもので、湯本氏が所有する享和二(1802)年に描かれたとされる『化物づくし絵巻』と妖怪のデザイン・配置が類似する、同系統の絵巻物だ。
 その中でも注目されたのは、とある妖怪画の部分。湯本氏所有の『化物づくし絵巻』には名前の添え書きのない「名称なし」の妖怪に、ブリガムヤング大学の絵巻は「ぬりかべ」の添え書きがなされていたのであった。

(ブリガムヤング大学はこの絵巻物を『BAKEMONO NO E SCROLL(化物之絵)』として、特設サイトを作って紹介している。描かれている他の妖怪についても細かく紹介しているため、必見である)

 この情報は世間に驚きをもって伝えられ、八月には朝日新聞社から「ゲゲゲの「ぬりかべ」、こんな姿?江戸期の絵巻に登場」という記事で紹介された。
 これ以降、『化物づくし絵巻』の「ぬりかべ」の姿が水木しげるの描いた「塗り壁」よりも古い、ヌリカベの「本来の姿」であると取り沙汰されるようになってしまったのだ。
 実際の所、絵巻物に描かれた「ぬりかべ」と、水木しげるが元ネタとした民間伝承としての「ヌリカベ」はほぼ異なる存在である。
 この点を念頭に置いて、妖怪「ヌリカベ」の情報を整理していこう。

3.伝承における「ヌリカベ」

 まず、伝承の「ヌリカベ」の現在確認されている初出は、大正10(1921)年にまで遡る事ができる。『九州日日新聞』の大正十(1921)年一月二十一日に掲載された「木倉の怪」という記事に、「塗り壁」として取り上げられている。

 (前略)けれど此の坂の、村人に最も恐れらるゝのは、此の坂に於て、奇怪なる『塗り壁』の怪が現はれるからであります。
 日が暮ると村人はなるべく此の坂道を通らない樣にします、けれど夜、止むを得ぬ所用あつて此の坂を通る時は、必ず此の恐ろしき『塗り壁』に嚇されます。村人が此の坂を上つて、やがて中途まで來ると、突然、其の目前に眞白な壁が出來ます、壁より外何物も見えなくなります、月も見えなくなり絶壁も樹木も道路も消え失せます[、]もう恁(か)うなつたら駄目です人は一步も進む事は出來ません。強いて進まうとすれば屹度、溝に落ちたり崖に突き當つたりすると申します。眼前に此の生々しい壁が出來た時は、人は先づ第一に膽力を落ちつけるが肝腎だと言ひます、最も安全な方法は氣を落ちつけて此の壁を手で塗り廻すか、或は「ヤレ〳〵、出たか〳〵どれ、では一服やるかなあ」位の調子で其の邊の石ころに腰でもかけて、氣永に煙草でもふかして壁の消えるのを待つのが第一だと申されます。(後略)
(「妖怪と、人類学的な雑記『今のところ最古の「ヌリカベ」文献』」から引用)

 「ヌリカベ」の出典として最も有名な柳田國男『妖怪談義』の「妖怪名彙」に紹介されている例は福岡県遠賀郡のものだが、この記事の「塗り壁」は熊本県上益城郡の報告である。これに類似した伝承の報告が大分県や長崎県にもあるため、「ヌリカベ」系の妖怪は九州地方に多く見られたようだ。
 そして、これらはいずれも「壁のようなものが立ち塞がった」という報告であり、その姿形に言及はされていない。水木しげるはこれらの姿形を持たなかった伝承の「ヌリカベ」を元に、漫画のキャラクターとして「塗り壁」を創造したのである。

4.画像における「ぬりかべ」

 対して絵巻物の「ぬりかべ」は、十七、八世紀(1800年)頃に描かれたものであり、年代に大きな差がある。また絵巻物には解説が全く書かれておらず、この「ぬりかべ」がどのような妖怪なのかという文字情報は存在しない。

(この「ぬりかべ」に限らず、描かれた妖怪には文字情報がそもそも存在しない、単純に図像としてしか存在しない例がいくつもある。代表的なのは『百鬼夜行絵巻』に描かれたものなどである。これらは民間伝承や民話に語られる妖怪とは本質的には異なる分野である(しかし相互に影響し合う)という点は、基本として認識しておくべきだろう)

 伝承の記録の方も、描かれた「ぬりかべ」を連想させるような話が伝わっていないという点に注目したい。お話の「ヌリカベ」と描かれた「ぬりかべ」には、接点が名前の類似くらいしか無いというわけだ。
 これから先、この二つの間を繋ぐ新しい資料が発見される可能性もゼロではないが、現段階では別個に扱う必要があるだろう。

5.最後に

 漫画や小説といった創作において、この二つの要素をかけ合わせたぬりかべを登場させても特に問題はないだろうが、例えば美術研究において絵巻物の「ぬりかべ」を伝承の「ヌリカベ」を元に考察したり、伝承の「ヌリカベ」系の研究で描かれた「ぬりかべ」を利用するなど、妖怪を考察したり情報整理をする場で混合してしまうのは、ヌリカベという妖怪を考える上で陥ってしまいがちな罠だといえるな。

 妖怪はそのベースとなる情報から、人の手を渡り様々な媒体を経由していくうちに、新しい要素を取り込んで多面的になっていく。妖怪文化の豊かさはその多様性に裏打ちされているということができる。
 だが、だからこそ研究や考察においては、その多面性をきちんと解体・整理することが必要だ。ヌリカベ問題はまさにその典型例というべきものだろう。

 というわけで、今回はヌリカベをテーマに取り上げてみた。
 これをきっかけに、妖怪の擁する複雑な遍歴を整理する事の難しさと面白さについて、少しでも伝えられたら幸いだ。
 第四回動画、今回はここまで。それでは皆様、お達者で!

◉参考文献◉

◉西日本化物・妖怪同好会『怪魅型』所載
 塗り佶「ヌリカベイデオロギー」(同人誌)
◉柳田國男『妖怪談義』(講談社学術文庫)
◉湯本豪一『今昔妖怪大鑑』(パイ・インターナショナル)
◉小松和彦監修『日本怪異妖怪大事典』(東京堂出版)

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蠱毒大佐◉妖怪蒐集VTuber
妖怪文化愛好系ぶいちゅーばー存在。
民俗、美術、文学などから妖怪を観察します。
調査報告動画、作業配信、妖怪文化について語る雑談などをします。
たまに妖怪以外にも何かします。
日本史・日本文化系VTuberの集い「和同沙倫」所属。
◉Twitter:@Colonel_Kodoku
妖怪伝承投稿企画「百怪蒐録」
マシュマロ

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