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根拠のない夢から覚めた話

さあ、仕事もひと段落したし、ずっと我慢していたやりたいことをやろう、と、美容院を予約したり、登山計画を立てたり、イベントに参加したり、そんな矢先に飛び込んできた事件。ごく身近な人の、新型コロナウィルス感染。

もう、田舎でも安心できない。田舎のそれは、都会のそれとはまた別の深刻な問題がある。田舎は人口が少ないから、個人がいきなりアイドルになったり、また何か1つ失敗したりするとすぐに広がる。都会よりさらにシビアに同調が求められ、目立つことは避けなければならない。共助が成り立ったり、人と人の距離が近い安心感もあるが、新型コロナは田舎の暗部もものすごく浮き彫りにする。感染者の個人がすぐに特定されてしまう。噂話の種になる。感染第一号になりたくない、と誰もが怯えており、また感染第一号は非難され差別され、街を追いやられた事実がある。こんな投稿を実名で書くことすら、恐ろしい。今はもう令和。人間はものすごく進化したはずだし、理性的になれるはずだと思っていたが、実はそうではない。

そう思いつつも、どこか他人事として見ていた。真の意味での当事者意識が都合よくねじ曲げられて、自分だけは大丈夫だろう、と言う根拠のない夢を見ていた。

が、そんな自分を試されているのか、大切な人の感染が判明した。その数日前、私は、その人と半日行動を共にし、楽しい時間を共有した。空気も共有した。悩みも痛みも悲しみも共有した。だからもし私が感染していたら、その人の接触者として番号を振られ、地区の保健所の感染者一覧に載ることだろう。

私は、淡々としている。楽しい時間を共有したその代償ならば、どうしてその人を責められようか。もし、私の大切な人が私に申し訳ない、と思っていたのなら、その楽しい時間さえ、否定することになるじゃないか。何が痛いって、それがとても痛い。感染予防対策は、できる限り実行していたのだ。これは、理不尽と言う意外にないだろう。理不尽を、強いられているのだ。ただ、自分ごととなってから、一気に見える世界が変わった。その変化は、経験したものにしかわからない。私はその世界の始まりを、ようやく知った。知ってから愕然とすることがたくさんあった。私は、その世界の始まりを知ったことを、大切にしたい。だから、書き残す。悪いことばかりじゃなく、知ることができた。現実的に何がどうなっていくのか、ニュースで報道される以外の情報を得た、自分ごととして!そして、自分ならどう行動するか、をすぐに問われることになった。

私は、困っているであろうその人を助けよう、と思った。声をかけ、安否を気遣いつつも、自分も全ての打ち合わせや取材をキャンセルした。事情をどこまで話せばいいんだろう、まずそこにぶち当たった。自分がそうなったら、公表、どこまでするべきなんだろう。事業主として、私ならどうするだろう。主婦として私ならどうするだろう。市民として私ならどうするだろう。どうするだろう。どうするだろう。どうすべきか。

そこには、「自分のこうしたい」と言う思考よりも、「自分はこうあるべきだ」が優先されていることにハッと気づく。そこに、個人が尊重される思考が欠如していた。感染したら、人権がなくなる。そんなの当然だろう、自分のその考えがとても怖かった。例え行き着く結論が同じだったとしても、それは私らしくない。自身のそういう思考を徹底的に忌み嫌う。結果を導くのは、相手への配慮でありたいのだ。

ちょっと息が詰まってきたので、もし家庭内感染が出た場合、大切にしているペットはどうなるのか、と考えた。いてもたってもいられず、保護猫活動をしている団体に問い合わせてみた。入院予定が決まっている友人は大切な猫のお世話を、私に頼んできた。とてもとても猫を心配していた。体調が悪い中、治療に専念できず、猫のお世話を心配していた。なんとかしたい。

その活動家の言葉を聞いたとき、ああ、これが思想ってやつなのか、と感じた。すでに、その問題と闘っていた。みんなが遠巻きにする渦中に、その人たちは手を差し伸べ、淡々と感染者の大切にしている猫を守った。私は、今まで言えなかったことを、その人だけに相談した。「もし私が感染して隔離され家をあけることになったら、私が命ほど大切にしている猫のお世話、お願いできるんでしょうか」

「大丈夫です。安心してください。感染予防対策を万全にして会がなんとかします」

ズキュン!何かものすごくものすごく、衝撃を受けた。私に、それほどの覚悟があったろうか。山の活動を公言してやっているが、それほどの覚悟があったろうか。

未知との遭遇は誰しも怖い。まだよくわからないことも多いから怖いんだ。徹底的に知識をつけて、対処すれば怖くない、とその人から教わった。わかっていたはずなのに、真の意味でわかっていなかったかもしれない。

とにかく、この事件は本当にいろんな側面と知識を私にもたらしてくれた。こんなふうに言ったら、不謹慎だと言われるのだろうか、誰かを傷つけるのだろうか。けど、私は知りたい。

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