佐賀旭『虚らな革命家たち』

元々連合赤軍に興味があったこともあり、するすると読み進めていった。
森恒夫の赤ちゃんの誕生日を祝う、未発掘だった手紙が冒頭で紹介されていて、朝ま山荘事件後のメディアからしか彼を知らない私にとって、そのギャップは俄然次も読みたい欲を増しましにさせた。
相好を崩す森とか想像できない…
けれど、読後感にはどこか尻すぼみを感じてしまった。
それは、作者の問題関心である現代の若者の政治認識に帰結しているからか。
著者は最後で、暴力をもって既存の権力に立ち向かおうとする者たちを完全に否定し切れない自分を認識し、この問題をどう考えていくか、私たちに投げかけている。この問題提起自体、私も同意するし、連合赤軍が起こした事件を50年後の今に「総括」していくという彼の試みを今後も追っていきたい。
なのでやはり、私が、森の素顔を、あの凄惨な山岳ベース事件を起こした人間について深く知りたいと思っていたからこの終わり方は少々満足感を損なうものと感じたのだろう。うん。
ただそれ以前の章では、高校時代の友人から「文学青年の森くん」と、「活動家のモリツネ」との繋がりを浮かび上がらせようと試みており、その内容はやはり推測の域を出ない点が多くあるものの、面白く読むことができた。
まつりあげられたリーダーであった彼が、周りだけでなく、弱い自分とのギャップを埋めるために自分自身にも忖度した結果が、後の山岳ベース事件だった。
彼は事件から1年後の正月のお昼に、お節の鯛のお頭を全て平らげた上で自殺した。
しかし直前のクリスマスには、クリスチャンの女性にお祝いの言葉を贈っていた。
そして現在、その女性は作者に何も語らなかった。
彼は最後まで、自分ではない誰かを追い続け、自分を信じることができなかったようにみえる。(私にもそういう部分はあるから理解できるのかも)
なぜ彼は自分を信じることができなかったのか。



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