見出し画像

物語に救われている

あなたは私の母だったんだよ、

初めて言われたのは高校生の時だったか。
車を運転する母の、愚痴なのか相談なのか、職場の話か父の話か、
を聞いたわたしの言葉に対する返答だったと思う。
「あなたは本当にわたしの気持ちをすくい上げるのが上手だよね」
「あなたはきっと前世で私の母だったんだよ、もうずっと思ってる」
急にスピリチュアルな話だな~と笑った気がする。
わたしのこと愛してるんだなあ、とも思った、ちょっと息苦しかった気もするけど。
思いがけない言葉が呪いのようになっていることはけっこうあって。
いやつい最近まで、呪いだなんてついぞ思ったことはなかった。

母いわく、よく寝て食べて、周りをよく見て、達観した口をきき、慎重な子だったけど時々へんなダンスを踊り、マイペースではあるけれどひとりで勝手に機嫌が良いので、全然手が掛からなかった、らしい。
だから、留守番をしたくなくて泣いている弟の気持ちは全く分からなかった。小学校低学年の時、初めて飛行機に乗って祖父母の家に行った。不安だったけど、ゲートで見送る父を振り返ることもしなかった。という記憶はある。
そんな調子で 甘える、頼る、ということをせずに大人になってしまった。
たぶん、甘えようと思えば適切に甘えさせてくれる父と母だったのだけれど。

高校生、やっと甘えたい、頼りたい、と思ったときには、もう周囲がそれを許してくれる歳ではなかった。母の「あなたは私の母だったんだよ」という言葉は「わたしはおとなになってしまったらしい」と気付かせるものだった。


でも社会に出ると、しっかりしなきゃ、自分で考えなきゃ、と思っていても、どうしても駄目なときがある。そんなときでもわたしは誰かに頼るという対応を取れなかった(仕事ならきちんと頼れるんだけど)
自分でどうにかしてから、笑い話にして誰かに話す。
わたしは、「しっかりした子」から「ちょっと適当だけど楽しく強く生きている子」に変わった。いまだに甘え方も頼り方も分からない。

槙生「わたしには 人に助けてもらう価値が無いと思ってしまう…」
笠町君「なんでそんなに、悲しいことを言うんだよ」

『違国日記 』4巻

槙生ちゃんは、姉の「なんで、」「あんたがダメだから」という言葉に呪われていた。
わたしは母の言葉に呪われているなんて思ってはいないし、思いたくもない。きちんと愛情を掛けてもらった。ただ潜在的にわたしの行動を制限しているところはあって、それを呪いというならきっとそうなのだろう。
わたしもわたしの言葉で誰かのことを縛っているのだろうし。
でも、それでも(わたしには笠町君が現われてはくれないけれど、)
この呪いは自分の力でどうにかできるものでもあるのだから。
「ちょっと適当だけど楽しく強く生きているわたし」もわりとすきだから。

生きていく限り、こうやって何度だって物語に救われる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?