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父の日投稿:走れ「日掛け箱」

facebookの思い出機能が教えてくれた過去の自分

2008年の5月〜2015年の1月まで、実に7年もの間アメーバブログをずっと書いていたのを、先日facebookの過去の思い出を見て、まさに、思い出した。このfacebookの過去の思い出はなかなか良いサービスで、朝早起きしてこの思い出をみてしばし過去の時間に浸ってみたり、今はもう亡くなられた方のことを思ってみたり、そして時には結婚記念日や奥さんの誕生日などのビッグイベントがその日であることを気付かせてもらったり…とかなり助けてもらっている。
先日の6月14日の朝に見たfacebookの過去の思い出に出てきたのが、2011年、実に13年前の同日に投稿したアメブロの記事。
当時はまだfacebookにRSSフィードの機能があった頃で、アメブロに投稿すると自動的にfacebookにフィード投稿されて結構便利でした…その後のアップデートでこの機能はなくなってしまいましたが…

そのアメブロの記事がたまたま2022年に亡くなった父親が登場している記事だったので読み返してみると、自分が子供の頃の実家の様子が浮かんでくるようで、しばし30〜40年ほど前にトリップしてその頃の父と会ってきた感があったので、今日この父の日に改めて投稿しようと思った次第です。

このアメブロ、今思うと当時かなりこまめに真剣に投稿していただんだなぁと言うのが月別の投稿数を見て思います。7年間の総投稿数1302件。
2015年の元日に投稿した「フルモデルチェンジの年に」というタイトルの記事を最後に投稿が途絶えている…もし楽しみにしてくださっている読者がいたとしたら(少しいらっしゃいました…)、「あいつフルモデルチェンジしてどこ行ったんだ?」ということになっていたかもしれません。
でもおかげさまで、その後数回のマイナーチェンジと2年前に大きなフルモデルチェンジをして(今思えば2015年のモデルチェンジはフルじゃなくてマイナーチェンジでした)、今このnoteを書いています。

この1302件を先日思い出してから少しずつ読み返しているのですが、13年前の自分自身と向き合うことが出来ます。
「甘いこと言ってんじゃねーぞ」
と思うところもあれば
「おっ、いいこと言ってんじゃねーか、それに比べて今はどうだ?」
というのもあって、なかなか勉強になります。
過去に自分の書いた日記のようなブログが今の自分のテキストになる…っていうのは本当に面白いしありがたいですね。

というわけ、そろそろ本題に戻ります。
今日は父の日。そんな父の日に思い出す父の在りし日の思い出です。
文章力がなくて恥ずかしいですが、こんな文章でも僕はありありとそのシーンを思い出すことができるし、なんならその場にトリップすることすら出来ます。そんな投稿、よかったら御覧ください。

2011年6月14日 走れ「日掛け箱」


これが日掛け箱

「お~い、ゆうすけ、ちょっと塚本さんに“日掛け”を置いてきてくれ…」

店舗と居間を遮る引き戸が少しだけ空いて父の声が聞こえる。引き戸の上にある小さなマジックミラーは店側からは顔を近づけないと今の様子が窺えないから、父はマジックミラーすれすれまで顔を近づけて居間にいる僕を探しながら話すのだ。
居間にいる僕からはマジックミラー越しにどアップの父の顔が見える。
居間から見るとこれがなかなかの迫力で、

「はい…」と文句を言う事もなく、年季の入った木製の箱を受け取り商店街の一番端に位置する酒屋までその箱を届けに行く。

こんな事を小学生の時から大学生くらいまで、日課のように続けていた。

なんでこんな事を思い出したのか…というと、先日実家に帰った時に父の書斎からあの年季の入った木製の“日掛け箱”を見つけたからだ。


その“日掛け箱”は今から約9年前に景気の悪さもあって商店街ではお役御免になったのだが、祖父の代に作られて2代にわたって商店街をぐるぐると回り続けた事への敬意を表して…あるいは商店街の一つの歴史の象徴として、父によって大切に保管されていたのである。

この「日掛け」なるものは、商店街の店舗が協力して前もって納税を積み立てておくという商店街ならではのシステムで、毎日ぐるぐると商店街の各店を回っては、店ごとに自分のボックスの小さな細長い穴へ決められた金額を札を追って入れ、持ち手に括りつけられた自転車の鍵で穴の奥へ押し込み、次の店へ廻していく。全て廻り終えると納税担当者がそのお金をプールして来る納税へ備え、余った分はバックされる…というもの。

この「日掛け箱」はシンプルな構造ながら実に良くできていて、自転車の鍵で押し込んだお札が下に落ちると箱の株に張られたアクリルの窓から確認できるようになっている。

いわば商店街の知恵の結晶である。

気がついてみれば37歳を目前にして、この「日掛け箱」に実家にいながらにして強い望郷の念にかられると共に、この完成された商店街と言う小さなコミュニティーのアナログな納税システムがあったという事実に感動を覚えていた。

きっと、こう言う昔の商店街という小さなコミュニティーの中で完成されていたシステムに、これからの日本を復興して行く重要なヒントが隠されているんだろうな…

そんな事を思い出させてくれた「日掛け箱」だった。

結局その「日掛け箱」は平成13年に引退して10年近く経った今でも、その箱を回した店の次世代の記憶の中である意味「納税」の為に走り回っているのだ。

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