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食にまつわる考察を深める映画3選


4月の初め、京王八王子駅で新宿行きの特急を待っていたら電話がかかってきた。飛騨高山のフリーペーパー[BLESS]の編集長からだった。
「食関連で中川さんの推す映画3本を教えて欲しい」とのこと。
飛騨には映画館がなくて(2014年に閉館)スクリーンで見たい映画があれば富山まで行くことが多かった。コロナ以降はAmzon primeやNETFLIXで見ているのだけれど、こういった配信のお陰で気軽に色々な映画に触れられるようになったのはとてもありがたい。お陰で沢山のドキュメンタリー映画を知ることが出来て楽しめています。

今回ご依頼をいただいた[BLESS]は

「ひだ暮らしをいつくしむ、 ヒト、コト、モノのストーリー。 飛騨の「今」を映した情報を届けます」

月間ブレスInstagramアカウントプロフィールより引用

という、毎月違った切り口の飛騨を見せてくれる月刊のフリーペーパー。
飛騨スパイスカレー研究所も何度かお世話になっていて、実はもう10年以上も前になるけれど前職でオーガニックほうれん草を栽培‐販売していた時に1年間1頁購入して連載していたことがある。
僕には毎回学びの多いフリーペーパーという印象が強いのでご依頼の「食関連のオススメの映画」はいくつもあるけれど「せっかくならこれからの食環境や世の中を見ていく上で自分自身の学びが多かった映画を選ぼう」と

・食環境の川上(生産者や栽培の現場)の現状
・食環境の川下(食をいただく日々の営みの現場)の現状
・食の観点から見るこれからの未来への心の拠り所

という3点のテーマで映画を絞っていった。
この作業のお陰で京王八王子‐新宿の移動時間はとても有意義な時間になった。

食環境の川上の現状を考えさせられる映画

【生産者のこと】

自分の身の回りの衣食住を全て自分のチカラで調達(縫製したり栽培したり建築したり)出来れば良いのだけれど、今の時代そういうわけにもいかない。野生動物は日々それをやっていかないと生きてはいけないし、それは人間も同じなのだけれど、もう随分昔に役割分担を覚えて自分の不得手なモノ・コトは得意な人に作ってもらい、その対価を自分の得意なモノ・コトと交換してもらうという物々交換のシステムでやってきた。
昔、金八先生が「人という字は…」と成り立ちを語っていたけれどまさに支え合って生きているというのがこのシステムを改めて考えるとよくわかる。
逆に言えば、このシステムの中で暮らしている以上本当に一人で生きていくことはとても難しい…
その物々交換のシステムを効率化するために価値基準を設けたのが今僕たちが使っている「おカネ」であるというのが、とてもざっくりな流れ。

この物々交換のシステムの大元はフェアトレード。
命のやり取りの末に捕まえたイノシシ1頭と川で捕まえた小さなニジマス1尾では釣り合わない…そういう実物や相手の苦労度合いなどを含めた価値感の下で取引が行われていた…というのが本来の形であったはず。
フェアトレードの精神とは、トレードした双方がお互いにハッピーであること。コレが崩れた時に「相手がアンハッピーであることが自分のハッピーと感じられるかどうか?」という心理が働くとき、
「いやいやそういうわけにはいきまへんがな…こんな立派なイノシシ、ウチのニジマス30尾くらいよういせなあきませんわ」
という風になる。コレが本来のカタチであるはずなのだけれど、人と人、モノとモノの間の距離が離れていくとそれが見えないようになってくるというのが問題で「おカネ」というのが間に入ることによって少しずつ相手の苦労度合い(イノシシを獲った時の傷やら折れた槍やら)が見えなくなって、相手がハッピーである確認も取れず、このおカネが手に入ればきっとハッピーなんだろう…程度になって、気がつけば今は
「いつ・誰が・どこで・どんな風に・どの原料を手に入れて…」ということすらほとんど気にならないという状況になってしまっている。
それでも常にフェアトレードであれば問題ないのだけれど…
そうじゃない…ってことをなんとなくわかっちゃいたけど目を伏せていた…という僕自身がココにいるわけです。

2019年頃に新疆ウイグル自治区での奴隷制度の上に僕らの衣食住の「衣」が成り立っているとわかって「これはヤバイことだ…」と調べてみたら、僕らが安くて高品質だと喜んで使っている衣服の殆どが彼らの犠牲の上に成り立っているハッピーだと知って愕然とした。
それ以降は衣服を購入する際には、現段階でその制度に関わっているメーカーのものは買わないようにしているのだけれど、これは衣服に限ったことではないので、やはり川上(生産者)とともにハッピーでいられることの大切さを念頭に日々の消費を考えたい。
きっと生きたお金の使い方や美しさというのはこういうことなんだと思うのです…

ドキュメンタリー映画【おいしいコーヒーの真実】 

上映日:2008年05月31日 製作国:イギリス/アメリカ

僕は昨年からアウトドアで美味しく淹れるコーヒーの沼にハマっていて、色々なスペシャリティコーヒーを購入しては、手動のミルで豆を挽いてアルコールストーブで沸かしたお湯で淹れて楽しんできた。
そんな僕だから映画のタイトルに釣られるようにこのドキュメンタリー映画を見てみたら、やはりココにもアンハッピーな現実があった…
僕らが安くておいしいコーヒーを飲んでホッと小さな安堵感を覚えている時、そのコーヒ豆を栽培している人は貧困にあえいでいるのだ。

色々調べてみると2008年に上映されて以来、この映画が直接的な契機になったかどうか定かではないが、コーヒー農家を取り巻く環境は随分好転したという。
何が変わったのか?と考えると、変わったのは消費者の意識だろう。
消費者がフェアトレードのコーヒー豆を求めない限り市場は変わっていかない。現実を知ること、現実と向き合うことの重要性がまさにこういったことからも感じられる。

僕らにとってとても身近なコーヒーの上流部分をを知ることは、他のさまざまな生産物の生産者を知ることにもつながる。
食材には必ず生産者がいて、運ぶ人がいる。
食事には必ず料理する人がいて、それをサーブする人がいる。
そしてそのご馳走を食べる僕等がいる。
「ご馳走」という字の中に走るという文字が入っているのは、その食事をおもてなしをするために馬で走り回ってその準備をする人たちの存在があるということ…といいます。

そんな日頃の「ごちそうさま」を改めて考え、彼らが同じようにハッピーを感がじられる環境を作る鍵を握るのは食材のリレーのアンカーである消費者なんだと改めて思わせてもらった映画です。

【安全性のこと】

前項では食産業の川上にいる生産者のことを考えたが、ココでは同じ川上でも生産物の現状について考える。
「食」というのは生きていく上でなくてはならないもの。
「食」を牛耳れば世界を支配できるとも言える。
コーヒーもそうだが「食」が投資の対象になると、そこには様々な権謀術数が渦巻いてくる。これはまさに今現在もだし、僕らが生まれるずっと前からずっと渦巻いている。
上流で毒が流されたら下流はもちろん海まで汚染される。
その毒が人体に影響があろうがなかろうが少なからず何かはダメージを受ける。

野菜や果物を効率的に栽培するために使われるのが農薬や化学肥料。
「虫や雑草は殺すけれどそれを食べる人に害はありません」
「大丈夫です。安全なエビデンスはしっかり揃っています」
というのがよくある話。
虫も雑草も人も大きくくくれば地球上に生きる生物であると考えると、上の文章の内容はこうなる。
「生物は殺すけれどそれを食べる生物に害はありません」
この置き換え、コレはぶっ飛んだ考え方だろうか?

野菜のちょっと下流に位置する畜産物にも同じことが言える。
彼らのカラダを作っている飼料に農薬が使われていたら?
そのカラダからを肉としていただいている僕ら人間は?
そんな都合の良い話があって良いものか?

また「安全なエビデンスがある」という…けれど「安全であること」をゴールとして見つけに行くエビデンスに意味はない。
「安全かどうか?」を積み重ねたデータ分析結果だけが本来のエビデンスで、その分析はずっと続けながら精度を上げていくべきものなのだけれど、食の安全のエビデンスなんて10〜20年くらいのデータでは100%の安全性はうたえない。世代を跨いで後世に影響が出てくることも考慮しなければならないから、安全性を語るにはもっと慎重になるべきだ。
でもその安全性のハードルを落としてでも経済を優先してきた結果の今である。農薬の濃度然り、原発然り。

前項でも書いた
「現実を知り向き合うことにより消費者が変わっていくこと」
やっぱりコレが重要なのですが、コーヒー豆の様に遠いアフリカ等で生産されているものならまだしも、同じ国内で作っているお米や野菜について、その安全性まで考えが及んでいないのが現状。考えが及んでいないというか「安全だ」とどこかで聞いたニュースや政治家の言葉を鵜呑みにしているという人も多いんだろうと思う。
そして更に問題なのが、農薬により体調を崩したというデータに一般の僕たちがなかなかリーチできないということ。
本来マスコミとはこういう時のためにあるものだけれど、彼らも権謀術数の渦に巻き込まれていて「安全である」というゴールに向けて邪魔になる要素はなかなか報道できないから、それを知らない僕らは普通に暮らしていたら安全性に何の疑いもなく実はそこまで安全性が確保されていないものを接種し続けることになる。
SNSやYouTubeなどでは「安全ではない」というエビデンスを農薬により体調を崩された被害者や研究者が発表をしてくれる。コレは本当にありがたいし頭が下がる思いだ。
でも世の中は「テレビ・新聞が報道していないマイナス要素は全て陰謀論」で片付ける風潮があるから浸透させるのが難しい…
結構うまい具合に浸透してきたなと思うと、政治家が顔を真赤にして少し言葉を荒げながら否定して、それがニュースになる。
ワイドショーでは御用学者がその否定を後押しする。
せっかく振り向きかけてた人たちは「なら安心だ…」とまたもとに戻る…

ココで大事なのは、僕らには自分の責任で選択する権利があるということ。
しっかりと情報を知ったうえで選択した結果、長生きする人もいれば、食べたものが原因で病気になる人もいる。でもそれは自分が選択したことだから仕方がない。権利を行使する自由には必ず責任が伴う。こういう事がなかなかできないのが今の日本。
多くは「誰かが言ったから…」「あの芸能人も良いって言っていたから…」という他責思考。

2021年あたりから食品ではないけれど、とてもインパクトのある大きな事案がありますよね…なぜか日本だけがそれに気付いていない。
コレは野菜とかでも同じです。何も調べずにマスコミの報道するがまま信じてきた「日本の安全神話」は特に食や医療の分野ではとっくの昔に崩れ去っているというのに…

こんな風に偉そうに書いているけれど、僕も同じ様に何も調べずに40年以上を生きてきたのです…
でも自分なりに調べて真実のようなものが見えてきてからは自分で調べて選択して進んでいるつもりです…

ドキュメンタリー映画【食の安全を守る人々】

 上映年:2021年 製作国:日本

2009年頃から前職でオーガニックのほうれん草栽培を事業としてやっていたことがあった。その時にオーガニック農業の手法については色々学んだのだけれど、理屈ではわかっていても実践はなかなか難しい。
「野菜の生育に邪魔なものは排除すれば良い」という考え方が根底にあると余計にダメで、上手にオーガニック野菜を作る農家さんの話を聞くと
「雑草も虫も結局土中環境の状態の現れだから、排除するんじゃなくて僕らが見えない土の状況を教えてくれる唯一の手がかりなんだよ」という。
上手なオーガニック農家さんのマインドはたいていこんな風にセットされている。

普段から土の向き合っている農家さんは、たいてい僕と同じ様に知識としてはわかっているけれど、経済的な合理性がそれ以上に優先されてしまう現状。そこに来て、更に問題なのは日本の農業市場が世界のアグリビジネスの最後の楽園とされてしまっているところだ。
完全に権謀術数に渦中にある。
最近のことで言えば、まず僕らの食の基礎を守ってくれていた「種子法」の廃止がある。これは2017年4月に可決されて翌年8月に廃止されてしまった…
正式名称は「主要農作物種子法」。主要農作物とは、コメ、麦、大豆のことで、主にコメを対象としている。
前述の主要農作物の種子を国民の公共財として国が確保してくれていたのが戦後長い間僕らを守ってくれていた食の砦であるはずのこの種子方であるが、廃止に至るまでの議論の時間はわずか半年程度のものだった…

コレと連動するように「改正種苗法」が2022年4月に完全施行された。
育種の知的財産権を自家増殖にも求める…というもので、国は「日本で品種改良された優良な野菜や果物の種苗が海外に流れて行くことをなくすため」と言っているけれど、裏を返せばおカネを払ってくれれば海外に流れても良いし、多国籍企業が品種改良した種苗を使うときにはお前らもカネ払えよ…ってこと。

要するに種子法廃止も種苗法改正も、人間が生きていくうえで必要な「食」を海外を含む民間に売り渡してしまう…ということになるのだ。
これによって日本の車を海外が沢山買ってくれたりするのかもしれない…けれど、自国通貨を刷れる日本で食の安全性よりそんなに「外貨」が大事なのかよ?って話。対外純資産は世界一です。つまり世界一金持ちな国なのに。

っていう現代農業事情を知りながら、命を作ってくれる「食」を切り売りして安全性よりも経済性を優先しようとする人間の傲慢さを感じながらこのドキュメンタリー映画を見てもらいたいと思います。
そして、こういった現実を知ったうえで向き合って自分の意志で自分たちの食を選択していくこと。
僕の進めているもう一つの事業「飛騨スパイスカレー研究所」で販売する商品は自分の意志で選択して完全に振り切ったカタチにしています。

映画の中でも取り上げられていますが、韓国ではオーガニック給食が普及し始めているし、日本国内でも様々な自治体でオーガニック給食に着手し始めている。
そんなこれからの未来に向けた「食の安全を守るコト」に少しでも関わりたいな…と思っていたら、
僕の住む飛騨市では昨年スポットでオーガニック給食の試みが始まり、なんと今年からは「種を蒔くプロジェクト」として未来につながる子どもたちへ向けて、新しい一歩がスタートしている。コレはとてもすごいことである。

食環境の川下で見られる一つの理想形

【日々の営み】

オーガニックの野菜をいただいたり、普段絶対自分には購入できないような飛騨牛肉をいただいたり、美味しいお酒をいただいたり…
地方に行って美味しい食事にありつけたり…
何かこういう特別なことがないと記憶の1ページに付箋が貼られないような…そんな気がするときもあるけれど、その1ページに付箋が貼られたことによってそれ以外のページに書いてあることをじっくり考えることが出来たりする。
僕らがコレはステキだ!コレは特別な食だ!と言って喜んでいる食事は、誰かの日常であるし、逆に僕らが日常だと思って食べている食事は、誰かから見たらバズるに値する本当に贅沢な食だったりする。

日々の営みは淡々と進められる。空気を吸うように玉ねぎを刻み、汗を拭うようにフライパンの油を広げる。でもその一部を第三者が切り取った時にとてつもなく美しく見える瞬間がある。その瞬間があるから僕らも日々の営みを少しずつ洗練させようと思う。誰かの日常は誰かの非日常。このつながりが心地好い時「自分の人生は今充実しているな…」と感じる。

ドキュメンタリー映画【聖者たちの食卓】

上映年:2011年 製作国:ベルギー

毎日10万食を(10万食ですよ!!!)を提供するインドのシク教の黄金寺院。人種も、階級も、宗教も関係なく、誰もが平等に無料でお腹を満たすことができる。コレを無料で500年以上続けているのだから、彼らにとっては特別なイベントでもなんでもない日常。
この日常の舞台裏に迫るドキュメンタリー映画が「聖者たちの食卓」である。

決して整っているとは言えない調理環境で、
無償奉仕する人々はそれぞれの仕事をひたすらこなす。玉ねぎを切る人、にんにくを切る人、調理する人、配膳する人…そんな風に役割分担していかないと毎日10万食(10万食ですよ!!!)なんて提供できない。だからといって機械的に動いているわけではなくて、それぞれの仕事が作業中の表情や雰囲気とともにとても有機的につながっているのがよく分かる。
きっと、それぞれの役割をそれぞれがリスペクトしていて、常に平等な関係性の中で進んでいるから、この映画を最初から最後まで通して見た時にゆらゆらと緩やかに揺れる川や湖の水面を見ているみたいな心地好い感覚に包まれる。
コレが「ゼロの概念」が生まれた国「インド」の懐の深さなんだろう…

自分の日々の営みを考えるきっかけにもなる映画でした。
ちょっと前の2本とレビューの質が異なるのは川下に下ったからかもしれませんね…

茶道のマインドに見る食の未来への心の拠り所

食関係のオススメ映画を3本…と依頼を受けた時にどう絞っても4本になってしまうという状況になった。
ドキュメンタリーだけじゃなくて、作家が紡ぎ出した一つのストーリーとしての映画を一つ選びたかったのもあるし、前述の3本を観てもらったうえでこの映画を見ると、何か自分たちが忘れていたものを取り戻せるような…
まさに食後に飲む一服のお茶のような効果も期待したりもしていた。
でも結局、悩みに悩んで熟考の果にフリーペーパーで紹介いただく3本のセレクトには入れないことになった一本がコレです。

映画【日日是好日】

上映日:2018年10月13日 製作国:日本

原作:森下典子『日日是好日-「お茶」が教えてくれた15のしあわせ-』

「世の中にはすぐにわかるものと、すぐにわからないものの二種類がある」
こんなナレーションが印象的なスタートだ。
終始この言葉に尽きるというのが僕の感想。これ以下でも以上でもない。
「食」はすぐにわかるようで、すぐにわからないものの代表格だと思う。
安全性のエビデンスの件もそうで、食べた人の人生だけをとりあげてそこに影響がないから良いわけではなくて、子供の世代、孫の世代にまで悪い影響がないかを調べていくにはやはり時間がかかる。

すぐにわからなかったものは歳を取ると少しずつ分かるようになってくる。
今まで理論武装とかをして自分を大きく魅せるために着飾っていたものを一つずつ引き算していくと、やっと今までずっと探してきたことの一部にたどり着くことができる。
「食」に関しては僕自身は今まさにそんなところにいる気がする。やっと少し見えてきたというところ。

またこの映画は各シーンでとても季節感が溢れている。
掛け軸や茶碗、茶菓子などの設え、服装に至るまで、二十四節気に則って、少しだけ季節を先取りする粋さも表してある。
このあたりが日本人のマインドにビタッとハマる。
地球のリズム、月のリズム、太陽のリズムとリンクしながら楽しむ…というのは「食」の本質を楽しむための重要なエッセンスである。

冒頭の「おいしいコーヒーの真実」のところでアウトドアで淹れるコーヒーにハマっている…と書いた。
沼にハマって1年くらいだけれど、だいぶ色々なツールを試してきた。
そしてある段階から引き算が始まる。アウトドアの場合はこの引き算が比較的しやすい。アウトドアにそう沢山のモノは持っていけないという物理的な制限があるからだ(特に山歩きなどは軽量化が必須なので)。
なるべくコンパクトに、自分の気に入ったものを吟味してまとめていく作業は、一度自分が無駄だと思えるようなものにも手を出してみないと出来ない。一度足していかないと引き算も出来ない。
そんな風に思う。
そういったツールを揃えることと同時に所作も洗練させていく。
この所作は何のためにやっているのか?そんなことを考えたりしていくことは茶道の様な「道」に通ずるところがある。
コーヒーにハマっている僕には「日日是珈日」とも言える…

…というのが、僕が選ぶ食関連の映画3本…に絞れず4本…
BLESSの紙面ではもちろんルール通りの3本で「日日是好日」は外しましたが、セレクトした3本についても紙面の関係上細かいところまではご紹介できなかったので、補足的にこのnoteを書いています。

もっと気楽に見られる3本を選んでも良かったのだけれど、やはり「食」ってなると自分の信念に基づいて真剣に選ばないと…と引かれるくらい真剣に選びました。
もしこのnoteを読んで、気になる映画があればぜひ鑑賞してみてください。
「食の安全を守る人々」以外はAmazon Prime Video や NETFLIX で配信されています。

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