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200425 たばこをめぐる5人の話。

話は長くなるが、
たばこをめぐる5人の話を聞いてほしい。

1-たばこを売る人


「いらっしゃいませ」
同じような時間に来る客がいる。

毎日来るような客はたいてい、番号も見ずに銘柄と数量だけぼそりとつぶやいて1000円札をトレーに乗せる。
4年もいれば、誰がどれを何箱買うか覚える。
レジに向かってくるのが見えたら、頭のなかで、背後の高い壁のどこに手を伸ばすかイメージしておく。

バイトをはじめた頃は高校生だったので、銘柄も種類も略し方も知らず、ほとんど同じパッケージに見えていた。もうちょっとであがりだなという時間に、くたびれて目の据わったおっさんに「いつものだろうが」と怒鳴られたときには、「知らねえよ」が喉まででてきて慌てて飲み込んだ覚えがある。

栄養ドリンク剤の瓶がカウンターに置かれる。
近くの会社に勤めてるサラリーマンだ。
しょっちゅう夜の8時10時頃に来る。今日はネクタイをはずしてるし残業っぽいな。
「これと…」と言いかけたら、嫌味にならないような早さで瓶の横に置く。ハード、8mm、2箱。
「せんごひゃくえんおあずかりします」
レシート無し、ビニール袋なし。
「…円のおかえしです」
流れ作業でお釣りを渡す。流れ作業で受けとられる。

「ありがとうございました」
いつものスーツの後ろ姿を見送る。軽快な開扉のメロディーが鳴って、入れ違いにカップルが入ってきた。

2-たばこを吸う彼氏の彼女


最近、彼が冷たい。
冷たいのは今に始まったことじゃないけど、口数がすごく減ったし、話を聞いてくれなくなった。

大学でも、授業に出席はしてるけど、あたしが話しかけても上の空だし、たばこの本数も増えた気がする。友達が、大学の喫煙所で会ってもずっとスマホ見ててあんまり話さないって教えてくれた。

コンビニを出たとき、風が吹いたのでちょっと首をすくめる。夜はやっぱり肌寒い。そろそろ葉桜が目立つ頃なのに。
かるく二の腕をさすりながらきく。
「なんかさぁ、体調、悪いの」
「なにが」
「なんか、」
「べつに」
「ふぅん」

買ったばっかりのたばこの、透明のビニールをはがしてポケットにいれて、紙のふたを開けたところで舌打ちが聞こえた。
「ライター忘れた」

そんなの家につくまで我慢すればいいじゃん。
5分くらいでアパート着くじゃん。
最近吸いすぎだよ。
ていうかあたしと付き合いだしたときさあ。
あたしの前では吸わないようにするねって言ったじゃん。

あたしはどれも言わずに、なんとなく、彼から1歩ぶんくらい遅れて歩く。左手に下げたビニール袋は、買ってもらった炭酸のジュースしか入ってないはずなのに、なんだかすごく重いような気がする。

3-死ぬためにたばこを吸う大学生

うるさい。
視線がうるさい。
ひとりにさせてくれ。

思っているが言わなかった。
気をつかっているのか、彼女がしつこく話しかけてくることに辟易しているのは事実だ。俺だけじゃなく、大学の同級生にも俺について聞いたりしているらしい。
スマホがしょっちゅう鳴って、親切でおせっかいな奴が「かわいいカノジョは元気か」「いつ飲み行ける?」「かぜ?」と茶化すようなメッセージを送ってくる。
元気も何も、俺のいないところで話してるだろ。
返事をするのも面倒なので、既読だけつけて通知を切る。

わかってる。
最近たばこの本数が増えた。
人付き合いが悪くなった。
睡眠が浅くて、日中でも眠い。

今日は彼女がバイトで家に来ていないので、わざわざ換気扇の下に行かず灰皿をテーブルに乗せる。
溜まった吸い殻をごみ袋に捨てるだけでまともに洗わないから、押し付けられた灰で白くなった灰皿。ベッドにもたれて、カーペットの上であぐらをかく。やけに鮮やかなクリアピンクのプラスチックライターで火を着ける。ゆっくりと息を吸う。
視線がうるさいんだよ。
ゆっくりと息を吐く。ご機嫌をうかがうような態度と、何か言いたげな目が白い煙のなかに浮かんで滲む。
テーブルに片肘をついて、ため息みたいに肺に残った煙を吐き出す。
何も言われないことに負担に感じる。
言いたいことがあるなら言えば良いだろ。
どんどん長くなっていく灰が塊で灰皿に落ちる。
雑に揉み消してベッドに頭をあずける。

生きるのがめんどくさい。
たばこみたいに、簡単に煙になりたい。
人間も、燃えたら灰になるんだろ。

いますぐ死ぬ勇気もないから、肺を汚して長期的な自殺を図ってる。
そういえば、睡眠も死ぬ練習って聞いたことあるな。

ゆっくりとまぶたをとじる。
なんか、バカみたいだな。

4-生きるためにたばこを吸うおっさん


「はーー生き返る」

夜のオフィスの端のガラス張りの喫煙室でひとり。
禁煙と分煙が進んで、もう与えられた小部屋でしか吸えない。肩身は狭いが、狭いなりに息抜きはできる。

ふと顔をあげると、薄暗い室内を反射したガラスの中で、うつろな目をした俺がやけにはっきり映る。スマホの光で顔を下から照らされているからか。自分の顔なのに、一瞬判断が遅れる。

疲れた目を労るように眉間を押さえると、ずりあげた眼鏡の鼻当て部分がカチャカチャと鳴った。
「どこのおっさんかと思った」
何も考えずに口から出た言葉に慌てる。
「いや、おっさんじゃねえよ」
眼鏡をかけ直し、短くなった煙草を揉み消す。
「いや、ひとりごとが多くなるのはおっさんの特徴か」

社会人になって9年目。31歳。
最近、部下との年齢が開いていくのをひしひしと感じる。敬語がどことなく堅苦しいし、距離を感じる。ジェネレーションギャップというのか、話も合わなくなってきた。煙草休憩で席を立たないと息がつまる。
息抜きというか、息継ぎというか、何にしろ小休止できるこの隔離された煙たい空間が、俺にとってはオアシスみたいなもんだ。

部下も何人かは喫煙者だが、若者になるほど電子タバコ派が多い。そりゃ歳が10も違えば時代は変わるよなぁ。おっさんということを自覚しないとなぁ。

気軽にはじめた作業だが、想定よりも時間がかかった。途中煙草が切れてコンビニまで歩いたのが気分転換にちょうどよかった。
夜風が気持ちいい季節になってきたな。
いつもいる若い店員が銘柄を覚えてくれているので、何も言わなくても8mmを2箱レジに通してくれる。

今年入った部下はあの店員とほとんど歳が変わらないはずだ。
彼がバイトをはじめた頃のことをよく覚えている。高校生のはじめてのバイトかな、すぐ辞めるだろうな、などとと思っていた。
今やすっかりこなれて無愛想な彼と、はじめて交わした会話を思い出す。

残業終わりに夜食を買おうと立ち寄ったとき、酔っぱらいがレジに向かって指差しながら「いつものだろうが」と怒鳴っていて、思わず「どれですか」と割って入った。バイト初心者の未成年だぞ、煙草の略称なんて伝わらないだろう。番号で伝えて会計を済ませるのを見届けて、猫背でふらついた後ろ姿を見送る。「酔っぱらいとはいえ、さすがに不親切だよな」と笑って自分の夜食をカウンターに置くと、彼は何も言わずに会計を済ませ商品を袋にいれる。
「ありがとね」
と短く言って持ち手がねじられた袋を持ったとき、思い切ったように顔をあげた彼が口を開いた。
「あの、ありがとうございます」
マニュアルの挨拶ではなく、感謝の言葉だとわかる。いいこだな。
「ありがとね」
もう一度ちゃんと目を見て言った。

まともに会話をしたのはあの一回だけかもしれないな。大学生だったらそろそろ卒業か。いやぁ、時の流れが早く感じるなぁ。


うわ今の、親戚のおばちゃんに言われたことがある。
諦めよう。
俺はもうおっさんだ。

5-はじめてたばこを吸う女の子


彼と別れた。

適当につけたテレビを見て何も考えず笑って、ジュースみたいな缶のお酒を飲み干す頃に、ほとんど喋らなかった彼が話し始めた。
ずっと嫌な予感はしてたから、なんとなく姿勢を正した。今はひとりになりたいんだって言われた。
あたしは支えになれなかったのかな、って俯きながら聞いたら「そういうのが重いからひとりになりたい」って言われちゃった。
テレビの中では芸人のひとりがなにかを言って、司会の人が大声でツッコミをいれて、かぶせ気味に観客が大笑いしていて、その雑多な音がやけに部屋に響く。
やだな。静かな部屋より寂しくなるじゃん。
のどがつまってうまく声が出なかったけど、
「そっか」ってむりやり絞り出した。
「ごめん」って言われて、よけいに寂しくなった。

別れるまでどのくらいだっけ。
そういえば、第一印象は「薄いひと」だったな。
なんかすぐに消えちゃいそうだなって思って、気付けば目で追っていた。
付き合いだしたころから煙みたいな人だと思ってたから、彼がたばこを吸いだしたときには、あれじゃん、あの、共食い、ってよくわかんないこと言っちゃった。

思い出したら、涙が止まらなくなった。
歩き慣れた道が見えない。
駅までが遠い。彼と遊びに行くときはぜんぜん遠くなかったのに。
積もった雪にはしゃいで足跡をつけながら歩いたこととか、よく行くコンビニでアイスとお酒を買ってアパートまでの道にある公園でお花見したこととか、逆再生みたいに頭のなかでぐるぐるしてる。

お水を買おう。
頭の端のほうではすごく冷静な自分がいて落ち着けって言ってる。さっき飲んでたお酒がまわってるのかもしれない。酔いなんかずっと前に醒めてるけど。

鼻をすすりながらゆっくり歩いて、いつものコンビニにたどり着く。ペットボトル1本だけ持ってお会計をしようとしたころで、店員さんの後ろの、一面のたばこに目が移る。
「あれもください」
無意識に指をさす。
「何番ですか」
彼がいつも言っていた番号。いつも吸っていたたばこ。
「これ6mmですけど、……あの、大丈夫ですか」
レジを通す前にきかれた。
6mmが何を表しているのかわからない。
なにが大丈夫なのかもわからない。
なんだ、あたし何もわかってないんだな。
「大丈夫じゃないです」
鼻声できっぱりと言いきったら、ちょっと笑ってお会計をしてくれた。

店を出てすぐにビニールをあけて、蓋をあけて、中の紙まではずしたところで気付いた。
「ライター無いじゃん……」
肩を落としたあたしを見て、店用の灰皿の前の、仕事帰りっぽいサラリーマンがぶはっと煙を吹き出した。
くっくって噛み締めたように笑いながら、「火かそうか」って聞いてくる。ライターなんて、もう一回コンビニに入って買えばいいのに「ありがとうございます」って言ってしまった。

一本咥えて火をつけようとするけど、ぜんぜんつかない。にやにやしてたサラリーマンがまた笑いだした。
「はじめてたばこ吸うときのあるあるだよなぁ。吸いながら火つけてみて」
言われるままに吸ってみると、先が赤く灯る。
おっ、と思ったのもつかの間、とたんに口の中が苦くなって、めちゃくちゃに顔をしかめて口を離してしまった。
「そうそう最初は肺まで吸えないんだよなぁ、なつかしい」
さっきまでとは違う涙が出て咳き込む。苦しむ私をよそに思い出にひたっている眼鏡に、ライターを突き返す。
「おっ返してくれるのか」
「もういらない」
「それがいいよ、なあそれ、彼氏のたばこだろ」
「なんでわかるの」
「見るからに吸わなそうな女の子が6mm選ぶわけないもんな」
さっきも聞かれたな。6mmですけど。大丈夫ですか。
「それ、もう吸わないならもらっていいかな」
さっきとはちがう笑顔で小銭入れから500円玉を出してくる。
「いいです、お金」どうせもう吸わないし。
「まあまあ、アイスでも買って帰れよ」
たばこの箱と入れ違いに、手のひらに500円玉がのる。

「なんか親戚のおじさんみたい」
「はあ、やっぱりおじさんかぁ」

6-たばこを吸わない人

部屋のチャイムを鳴らしても誰も出てこない。
昼に既読はついたから、生きてはいる。
さすがに夜にいきなり来るのは良くなかったか。
念のためもう一回だけ押そうと思ったところで、ドアノブが回った。
「なに」
「うわ!」
驚いて思わず身を仰け反らせてしまった。
煙草と酒の臭いがする。
「なに」
部屋の主は不機嫌とも無表情ともつかない顔で繰り返す。
「いや、しばらく大学来ないからさ、体調崩してんじゃないかなって思って、ゼリーとか買ってきたんだけど」
ガサガサとビニール袋を揺らす。
「母ちゃんかよ」 
そう言って顔を緩ませた。後頭部の髪がはねているので、寝起きかもしれない。
「いきなり来て悪い」
「いいよ別に」
「あーあのさ、悪いついでにトイレ貸して」
「いいけど」
本当トイレなんか行きたくなかったけど、あまりにこいつの顔色が悪かったので、部屋にあがりこむことにした。

部屋に入って、すぐにカーテンと窓を全開にして空気を入れ換える。曇った空気が、涼しい夜風に押し流される。テーブルの上には空き缶と煙草の空箱と灰皿からはみ出そうな吸い殻。足元には酒の瓶がいくつか転がっている。
「こんな部屋で過ごしてんの」
「んん、まあ」
ぼんやりとしていて、まだ覚醒しきっていない様子で、よろよろとベッドに座り込む。
「今日なんか食った?」
「んん」
「冷蔵庫勝手に使って良いならなんか作るけど」
「彼女か」
こんどは笑わずに答えが返ってくる。
「なに、最近彼女と仲悪いの」
「別れた」
「そっか」
「知ってただろ」
「うーん、なんとなく」
ほとんど空の冷蔵庫に、おにぎりふたつと、ゼリーとプリンとヨーグルトを入れる。
「まあいいんじゃないか」
コンロの上に置いたままのヤカンに、コップ一杯分の水をいれて火を着ける。
「生きてりゃそういうこともあるだろ」
流しに乱雑に積まれた洗い物の中から、味噌汁椀だけ拾って軽く水洗いする。
「そうかな」
聞こえた声が思いがけず小さくて、振り返る。
俯いたままだ。こりゃだいぶ弱ってんな。
「そうだよ」
椀に入れたおにぎりにだしを少しかけて、ゆるく湯気があがり始めたタイミングで火を切って注ぐ。コンビニのビニール袋から白いスプーンをとりだして、小さいローテーブルに一緒に置く。
「それから、生きてりゃお友達様がディナーをご馳走することもある」
ビニール袋から水とスポーツドリンクのボトルも出して、入れ違いに空き缶をカラカラと突っ込む。
「体調が悪いときはさ、マイナス思考になりやすいんだよ。温かいもん食って寝ろよ」
「んん」
曖昧な返事は返ってくるが、なかなか手をつけようとしない。

酒の瓶が足に当たって少し転がる。酒と煙草の数が異様に多い。このままではこいつは、ほんとうに生きるのをやめてしまうかもしれない。俺はこいつといるのが楽しいと思ってるから、いなくなるのは嫌だ。すがるような気持ちで言った。
「いっぱい食って飲んで寝て、またうまいもん食いにいこうぜ」
切羽詰まると、切実だとしても普通のことしか言えなくなるんだな。

ゆっくりした時間が流れて、ちょっと俺のほうを見たと思ったら、ふっと笑った。
「必死かよ」
「必死だよ」
薄く笑ったまま、海苔のふやけた器に視線をもどす。強く風が吹いて、カーテンを持ち上げた。

プラスチックのスプーンを手に取って言う。
「そうだな」

7-たばこを売る人


めちゃめちゃ鼻声だったな。

こないだ一緒に来た彼氏と別れでもしたんだろうか。泣いてるから大丈夫ですかって聞いちゃったけど、あんなにはっきり大丈夫じゃないって答えられるとは思わなかった。ライターはありますかって聞くべきだっただろうか。でも吸わない人に6mmは重すぎるだろうし。
けど決意の顔をしていたから。うーん。

店内に客はいないし、ちょっと気になって外の様子を見たら、さっき買い物をしていったサラリーマンが笑ってた。
声は聞こえないけど、女の子がまだ長いタバコの火を消してしかめ面で水を飲んでるのが見えたので、ライターを貸したんだろうか。

いつまでも外を見ているわけにもいかないので、品出し作業を進める。商品のパッケージの向きを揃えながら、期限時間ごとに並べていく。

なんて言うか、いいひとだよな。善良なひとだ。俺が見る限り。30歳くらいかな。ああいう大人になれればいいよな。
そろそろまわりも就活を始めていて、大学生の期間なんてあっという間だなと思う。
そうだな、就職するならああいう人の部下になりたい。

酒を買い出した時期のことを思い返せば、あのカップルと同い年くらいだと思うんだよな。
酒と言えば、目の下のくまの濃い彼氏のほうは大丈夫だろうか。たまにびっくりするような顔色で、酒とタバコだけを買っていく人。背が高くてやたら声の大きい友達と来ることも多い。

まあ同じコンビニにしょっちゅう買い物に来るのなんて、会社が近いか近くに住んでるかのどっちかだもんな。
関係性としては希薄なのに、よく見る顔ってだけでなんとなく親近感がわいて安心する。いまとなっては、たまにあるトラブルも思い出か笑い話にしてしまえる気がする。
うまくいけば来年の今頃はこのコンビニに居ないけど、俺はどこに居るんだろう。俺はどこに行けるんだろうな。そこでもうまくやっていけるといいな。

軽快な開扉のメロディーが鳴って顔をあげる。
さっきまで泣いてた女の子が、右手を握りしめて入ってくる。

「いらっしゃいませ」

吹き込んだ風が、昨日より暖かい気がする。



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