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団体のファンや仲間を増やすためには

前回、「コレクティブハウスが流行らない理由」という、あまり気持ちの盛り上がらない記事を書きましたが、今回は、じゃあどうしたらいいのか、という、前向きなことを考えていこうと思います。

仲間が欲しい


今のラメールにもっとも必要なのが、共感してくれる人たちや、一緒に活動してくれる人たちの存在です。
ラメール三条の運営チーム、MUGENプロジェクトは、現在3人ですが、私以外のメンバーは、ラメールビルのオーナーと、その友人のファイナンシャルプランナーのHさんで、ふたりとも、どちらかというとサポーター的な立ち位置にあります。がんばってるから付き合ってやるか、という感じでご協力いただいているという感じです。
ラメールのコンセプトを胸に握りしめ、自分ごととして、自分が安心安全快適に孤立せず生きる場所を希求して活動しているのは、いまのところ私一人です。

私にもっとエネルギーがあれば、一人でももっとたくさんのことができるかもしれないけれど、あいにく、年々どんどんと体が弱って、できることが少なくなっていっている。(年齢のせいもあるだろうけれど、体質のせいが大きく、同じ年代の他の人や、上の世代の元気な人と比ぶべくもないという感じ。)
もっとがんばれ、なにもやってないじゃないか、と言われると本当につらい。やろうと思っても、具合が悪くて動けない日がある。1週間寝込んでしまっているようなこともある。このような非力な私一人では、船は進んでいかない。

1年目の去年は、準備期間という感じだったので、2年目の今年は、コンセプトに共感する仲間を増やして、できることを増やし、力をつけていけたらと思います。

どんな仲間が必要か

・「守り」が得意な人
私は、アウェイの場所に出かけて行って営業や宣伝をすることにはあまり抵抗がなく、むしろ外でどんどん新しい人と知り合っていくのが楽しいというタイプなのですが、一方、自分の拠点で人をおもてなしすることに苦手意識を持っています。イベントを開いて、見知らぬ不特定多数の人に応対しなくてはならないようなことが、とても苦手で苦痛です。「攻め」は得意だけど「守り」が苦手なのです。
この弱点をカバーする、「守り」が得意な人が仲間にいるといい。

・継続的に関われる人たち
一回会っておしまいとか、ずーっと会ってない、というのではなくて、何ヶ月かに一回でも定期的、継続的にコミュニケーションでき、場合によって協力しあえる関係性があるといいです。
去年から、私たちの住む東山区で、民間の人が主宰する「東山しゃべくり大作戦」「東山とーくとーく」といった交流イベントが継続的に開催されており、時々行くようにしているのですが、こういう場がとてもいい、とても大事だと感じます。
このイベントに行くといつも会える人たちがいて、「最近どうですか?」と立ち話ができる。お互いのやっていることが面白そうと思ったら、いっちょかみすることもできる。地域の中で、こういう交流や有機的な協力体制があるというのは、とても素敵なことだし、仲間がいると思えると、心がすごくほっとする。安心感が違う。
コミュニティのよさというのはこういうことなんだなと実感します。
いろんなレベルのコミュニティがあって、まず一番近くて小さいのが、家族、次に、友達どうしとか、コミュニティ住宅の居住者どうし、その外に、先ほどのイベントのメンバーとか、地域で関わりのある人たちなど。
たくさんの依存先やサードプレイスがあって、その地域で住むことに安心感や守られている感じを持つことができる。

ラメールに時々遊びに来てくれる友人たちも同じです。先日、ラメールの月1会に、久しぶりの友人が遊びに来てくれたのですが、居住者たちも楽しそうだったし、こうして外から時々やってきて、いろんな話をしてくれる友達の存在は貴重でいいな、と思えました。

いわゆる、関係人口を増やす、ということですが、これは黙っていても勝手に増えていくものではなく、こまめに声をかけたり、SNSで発信したり、イベントに足を運んだり、もしくは、街をブラブラして面白そうな場所がないか見て回るなどのアクションが必要。
私は外回りや外交はまあまあ好きなので、体がしんどくない時であれば、フットワーク良く出かけていくのですが。

なぜ仲間が増えないか

これまでも、同じように動き回ってきたので、知り合い自体は少なくないのです。でも、継続的に関わっている人となると、とたんにとても少なくなる。結果として、仲間をあまり得られていない、ということになります。
これには、コロナの流行で人と会う機会が減ったことも一因としてあるにはあるのですが、それ以外に大きいのは、私が出不精、連絡不精なこと。
あの人どうしているかなと思い出して、相手の拠点に時々遊びに行ったり、連絡を時々するようにしてコネクションを保つことが重要と思えます。はじめましてと知り合うことは多いけれども、その関係を育てるための水やりをあまりしてこなかった。まあ、合わない相手に無理に取り入ることはないと思っているし、こちらは向こうに興味があっても、向こうが関心なさそうな時はあまりしつこくしないようにしていますが…

それから考えられるのが、私自体の人間性の問題。
人間的に人格者ではない、癖がある人間で、いろいろ難しいところがあるというのは自分でよくわかっているのですが、それをSNSで自分で発信してしまうことで、余計に人が離れていってしまっている、ということもあると思います。これはあまり認めたくないのですが、思い返すと、やっぱり時々やらかしてしまっていたなと思います。SNSとの付き合い方は気を付けなければなりません。

もう一つあり得るのは、関係者の人格の問題。私自身が気をつけていても、一緒に活動している人や友人がなにかやらかして人から嫌われてしまうと、場所自体が一緒にイメージダウンしてしまうことになる。まあ、人の性格は変えられないのでどうしようもないところも大きいのですが、一緒に活動する仲間選びはある程度慎重に。

強みを活かす

などなど、個人としての私ではなく、団体のメンバーとして活動するようになって、個人でいた時に比べて、いろいろと意識を新たにしたことがあります。上に書いたように、団体用のSNSに、人が見て心配になったり嫌な気持ちになるような、私の個人的なことをあまり書かないようにするようになったり(時々書いているけれど)など、みんなから自分の言動がどう見られるか、それが団体にとって利益になるか不利益になるか、ということを少しずつでも考えるようになってきたと思います。

まあ、でも嫌味のない優等生だから魅力があるか、人が集められるかといったらそういうわけでもなく、めちゃくちゃ癖がある変人なのになぜか人にいつも囲まれている、と人だっているので、これはある程度素質が関係しているとも思っているので、どう見られるかということにそう神経質になりすぎなくてもいいとは思っていますが。
私はこのように、書くことにかんしては比較的、雄弁で強いものがあるのですが、実際に会うとそういう感じではない(対人恐怖が元々あり、ある程度克服できたと思っていたけど、人に会わない生活で逆戻りしつつあるし、疲れていたり体調が悪いことも多いので、暗い印象を与える場合もあり不利)のはよくわかっているので、人を集めるとしたら文章の力を使うのが有利だろうと思えます。SNSやホームページ、募集サイトなど文章でアピールできる媒体をできるだけ活用していくようにしよう。

思いをもって動いていけば、実現しそうにないことでも実現することがある。今年は、「仲間を集める」ことを念頭において動いていくようにしようと思います。

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