あなたの作品を読みつつ、お話をしましょう

お世話になっております。
B-reviewに参加させていただいております。
百均と申します。

今回、B-reviewで投稿者及びレッサーとして活躍されており、また2020年の9月に選考委員として参加されていたなかたつさんと一緒に、B-reviewに参加されている方へインタビューを実施しようという企画をたちあげました。

インタビューは百均となかたつの個人ツイキャスアカウント上で実施し、B-Reviewに投稿された作品を軸に、創作にまつわるお話や、ゲストの方の創作のルーツについて、また、作品を作られた動機などゲストの皆様の素顔を掘り下げる放送を約2時間程実施しようと考えております。

また、放送の前企画として放送から一週間前の期間にて、ゲストの方の作品をツイキャス上で読ませていただこうと思っております。

当日になりましたら、百均もしくはなかたつのTwitterアカウントにアクセスいただき、直近の呟きtweetからリンクを経由して放送にお越しください。

それでは、皆様の参加をお待ちしております。



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といって始めたコラボキャスだった。

「ツイキャスを始めた切っ掛けというのは忘れもしないが」とか言えたらよかったけどそんな事はない。いつから始めて何をしゃべってきたのかというのは忘れてしまっているし、多分初期の頃の放送のいくつかは見れるが見れなくなっているものも多い。

自分が録画を公開するというツイキャス上で実施できる一操作すら億劫になってしまうみたいなカス人間(これはもう客観的にそうだと思うので、自虐ではない。能力的に劣っている部分をカスと評価しているだけなので、これから多用してもぎゃははと笑う事)なので、過去沢山の人と色々な話をしたのに、それらを忘れてしまったり、なんだか覚えて居たりする記憶も消えてしまっているなと思う。

自分が高校生の時の全ては、間違いなく合唱とネット詩だったので、誰よりもネット詩の作品、レスについて熟読し、熱中していて、コラボで出てきた相手の作品は全部読んで、大体の内容を把握し、それらを肴に泣きながら、わめいていたような気もするし、そんな事はなかったかもしれないなとか思っている。今は自分でも驚く程あらゆることを忘れているし、偶に作品やレスを思い出したりするが、それもあの時読んでいた高揚感を持って、再読はできない。(といっても最近読んで読めてなかった事がわかったりして面白くなることも多々ある。死ぬまで誤読、生きてる間は再読である)

「思っている」というぼんやりした感情と、コラボをした時の時間の記憶の濃度が明らかに違うなと思うとき、それを思い出すために必要な事は、歴史を刻む事で、アーカイブ化して自分の喋りをもう一度解凍して味わう事だ。

コラボキャスのアーカイブ化を決めたのは、単に僕が録画を公開する能力がなくて、放送を見る事のできなかった人たちへの配慮という側面もあるが、それ以上に自分で自分の放送を見返す機会を残していくという事なのではないかと思う。

誰かと誰かが詩という媒介一つで、あるいは一人の人生を濃縮した、いや、深すぎる浅瀬の上で2時間潮干狩りをした結果を残して、それを後から掘り下げていくための場所みたいな感じ・・・とかいうと、別にどうでもいいのかもしれないし、どうでもよくないのかもしれない。

***

僕の中の体験として、誰かの配信がアーカイブとして残っていて、その内容は他の人にとってつまらないかもしれないが、僕にとっては面白かったという出来事がある。忘れもしない、伝説の「もののけ姫脚本ラジオ事件」である。

僕が好きと言うよりは雲の上の存在として思っていたネット詩人たちが肉声で、もののけ姫の脚本を今は亡きUstreamという配信サイトで、ひらすら読んでいたのである。それを見た高校生の時の僕は、その場に居合わせられなかった事の後悔と、文字の上で賢いやり取りをしている人たちが、まるで人間であるかのように、ネット上で遊びをしているという光景に感動なのか、なんなのか分からないが興奮した事を憶えている。

ネット詩から始まる人との付き合いというのは、文字の上から緩やかに立ち上がった文字と文字の繋がりから、少しだけ密度が上昇して声が乗り、実際にあって、詩の話やそうじゃない話をしたり、とかそういう事を持って変な憧れが取れていって、なんだか普通の付き合いに変化する事もあるのかもしれないし、そうじゃないのかもしれないが、ただ、掲示板の上でやり取りしている人たちが、人間としてリアルタイムに物ごとを語っているというのは、結構上位の存在しかできないいいことである。

いいこととか適当抜かしたけど、まぁでも、人と人が出会ってそれが何か物を残る時、残っているものというのは後々なんかの効果を産むと思っている。

それは僕には検知できないことだ。もののけ姫の朗読ラジオを公開した方にその話をぶつけた時は、聞いている人なんていないと思ったと言われたし、あの光景を見ていた僕の気持ちはある意味で伝わらないだろうと思っている。この場合、伝わらない事をとても肯定的に書いているのでなんか気持ちいいな。ああ、つたわらない興奮っていいよね。

***

これから投稿されるコラボキャスは「わかりあう」ための放送かもしれないし、でしかないかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

毎回色々な失敗もするし、全てがうまくいくわけではないし、全てがうまくいっているかもしれない。毎回成功しているともいえる。それは聞く人の全てにかかっているし、それは司会をして話を誘導している百均やなかたつにかかっている。

ただ一つだけ言える事は、会話に惰性を持ち込んだ時点でどんな会話も社交辞令のつまらないインタビューに成り下がるという事だ。

人に興味を持つことをわすれるべからず。作品だけを取り上げて人を無視するべからず。作品をみずに人ばかりを取り上げるべからず。べからずべからず。の先にある繋がりなのか、感動なのかしらんが、まぁそういう事が見つかったりみつからなかったり、俺が忘れた頃にここにある全てが、何かを祝福してくれますように。

終わり

(うそ、終わらない、以下、なかたつ)

コラボキャスをやろうと言い始めたのは百均。言うは易く行うは難し、言ったもののなかなか始まらなかったから、結局俺から動いた。
そもそもコラボキャスの主旨は何であるのか。そういった理念を突き詰めてからやってもよかったのだが、「やる」ということを先に決めてから始めた。
単に、あなたのお話を聞くということ、それがしたかった。
そこに生産性などあるのだろうか。
そこに有用性などあるのだろうか。
いや、だから、そういった理念とか考えてもしょうがないんじゃないのではないだろうか。

それでも考えてしまう、コラボキャスをやる理由を。だからこそ続けるのだし、いろいろな人を招き続けていきたい。

season1が終わってからこの文章を書いているため、これからやる意気込みなどもはや書けないのだが、毎回毎回、百均とふたりで1時間前後の振り返りをした。いかに話を聞きだすべきなのか、いかに進行をすべきなのか、いかにコメントを拾うべきなのか、いかに先品を読むべきなのか、いかに、いかに、なぜ、なぜ、と、問い続け、考え続け、答えはない。

百均はすごい。俺より簡単に他者の話に感動できるし、俺より簡単に他者の作品を取り込んでそれを踏まえて書けるし。俺は一体どんな役割を果たしているのだろうかと悩む、ことは、正直全くない。俺は俺から離れて他者になる。それがコラボキャスをやる理由の一つだと思っているから。

ようやく本題に入るのだが。
「あなたは、詩を、書く」
どの人を招いたとしても、このことは共通している。
しかし、ここにある「あなた」「詩」「書く」って何だろう。その3つを考えるということがコラボキャスの主旨だと言えるのではないだろうか。

1.「あなた」とは
これは後で述べる。

2.「詩」とは
知りたければ、「詩」と呼ばれるものを読めばよい。

3.「書く」とは
知りたければ、書けばよい。

以上。
うそ。

ここでいう「詩」はwhatであって、「書く」とはhowのことである。簡単に言えば、「何をどうする」ということ。これを言い換えれば「〇〇を〇〇する」というごくごく簡単なこと。だから、「詩を書く」ということは、「〇〇を〇〇する」ということで、別の何かからも考えることができるんじゃないのかって。「(名詞)を(動詞)する」ってこと。
「野球を見る」とか、「蕎麦を食べる」とか、「レッチリを聴く」とか、「ドクターペッパーを飲む」とか、ほら一緒でしょ?
え、ちがうって?
なにがちがうの?
どうちがうの?

「詩を書く」ってことは、これら「(名詞)を(動詞)する」ってことのただの一類型であって、人ってのは、この類型を組み合わせて生きていると思うんです。いや、宗教を説きたいわけではなくてですね。
でも、「あなた」がしているこの類型を好きとか嫌いとかという「とある人」というコンテクスト(文脈)の中で差異化されているものを並べてみたら、何か見えるものがあるかもしれない。

そう、だから。
1.「あなた」とは
「あなた」そのものも「人」の一類型であるけれども、「(名詞)を(動詞)する」ということの価値を決めるコンテクストの持ち主。
何言っているのかわからないって?

俺は「あなた」とコラボすることで、「あなた」になっていけるかどうかってことです。
「作品」は「作者」がいるからうまれます。「作者」は「あなた」です。「作品」を読むということは、自分の日記を読むことではありません。他人の人生が書かれているものです。そこで、重ね合わせるも、照らし合わせるも、同意するも、拒否するも、写し鏡のように跳ね返ってくるものがあれば、それは、「あなた」の話を聞いて、「あなた」になれることもあるのかもしれないですね。

ごちゃごちゃ言ってますが、とりあえず、録画でも聞いてください。作業用BGMでもいいですし、追っかけのラジオを聞く感じでもいいですし。
この企画は「あなた」がいるから成り立っています、これまでもこれからもありがとうございます。

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