つながってゆく思いのチカラ
パワフルな夏至と日食新月が重なった昨日(2020/6/21)、大好きな漫画の最新刊を読みました。
キングダム58巻(2020/6/19発刊)
秦の始皇帝の中華統一プロセスを題材とした大人気漫画。
"アメトーク"で取り上げられたのを見て以来、夫婦でハマっています。
気迫に満ちた壮大な戦闘シーンもさることながら、魅力的な登場人物のキャラクター設定や描かれる人間心理の描写が秀逸なのです。
その最新刊、58巻に、今の自分にとって意味深い気づきをもたらすシーンがありました。
(以下、ネタバレを含みますのでご注意を)
それは、主人公、秦国の信と、趙国の武将・龐煖(ほうけん)との因縁の一騎討ち。(58巻の表紙にもなっています。)
自らを鍛え上げ、武神として武を極めることで、全人類を救わんとする道を歩む龐煖。その強さは文字通り神憑り。
それに対する信は、親友である始皇帝・嬴政(えいせい)の中華統一の夢を叶えるべく、彼が人生で出会い、交わり、亡くなっていった者たち全ての思いを背負って闘います。
武力では圧倒的に勝る龐煖が、皆の思いをのせた信の鉾(ほこ)重さの前に敗れるというシーン。
これを見た瞬間、自分の中の"何か"も共に断ち切られたように感じたのです。
私は登場した時から龐煖というキャラクターが大嫌いでした。
私の大好きな王騎将軍をはじめとする、魅力的な登場人物たちをことごとく倒した宿敵だから、というのも理由の一つですが、彼の禍々しい存在そのもの、そして、その立ち位置が不可解なところに心がザワつくような違和感を覚えていました。
前巻のエピソードで、彼が"圧倒的な武力を自らが体現し、人としての限界を超える模範を示すことで全人類を救わんとする求道者"だった、ことが明らかになりました。
しかし、その道を歩みながら、彼は葛藤を抱えていた。その道の正当性に疑問を突きつけるのが、信のように、単なる人でありながら、人々の思いを背に彼の前に立ちはだかる存在でした。
そして、今回の一騎討ちに決着がつくことで、私の中でも一つ答えが出たのです。
龐煖とは次元が圧倒的に違いますが、実は私も自分自身が何か一つのことを極めることを通じて、自分の人生、ひいては世界を変革できるのではないか、という思い込みを抱いていた一人でした。
その"何か一つ"を探して今まで右往左往してきた、それが私の人生だったとも言えます。
でも、その道では自分の目指すところには行き着けない、という事実が、今回、はっきり示された。
個の力で何かを成し遂げようとする傲慢さ。
それは、たとえ"人類を救う"という、一見、佳き目的に基づいたものであったとしても、必ず魔的な要素を纏ってしまうものです。
私の中にもあったその種を、一刀両断、薙ぎ払ったのは、"連綿とつながる人々の思いのチカラ"でした。
これは、遅ればせながら私もハマったもう一つの漫画、"鬼滅の刃"にも通じるテーマとも言えます。
(どうも私、刀で戦う系の話が好きです…”祓い”に繋がるからだと思いますが。そのことについてはまた別の機会に書いてみたいです。)
人一人の思いのチカラには限界がある。
でも、それが他の人々の思いとつながった時に、時代が動くような大きな創造が可能になる。
今ここに自分がいるのは、何のためなのか?
どんな思いの連なりの果てに、この私が存在し、何を為して生きたいのか?
そのつながりに思いを馳せ、意識化できた時に、本当の意味で自分の潜在力が開花する。
この事実が、自分の中にくっきりと刻まれた日食新月でした。
その一方で、誰かと思いを一つにして何かに取り組むということに対し、強い苦手意識と同時に強烈な憧れを抱いている私。
何事も一人で取り組む方が楽、と思い込むに至った自分の中にある傷の存在にも気づかされました。
自分が取り組むべきテーマを提示する土星が蟹座ということもあり、この蟹座新月をきっかけに深く内省に入ってみようと思っています。
*見出し画像には、フレネルさんの美しい暁月の写真を拝借いたしました。どうもありがとうございました!
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