僕が抱えている呪い
相互フォローしている龍中さんに紹介していただいた福澤徹三『怪を訊く日々』を読んでいる。これがまあ、めちゃくちゃ面白い。僕は自分が執筆する際は、なにかを読んで活字に対する勢いをつけるタイプなので、作品に取り掛かっているときこそ本が必要。なのでとても助かっている。(それにしても専門分野を持っている人はやはり凄くて、僕の注文に対して龍中さんは何作もお勧め本を教えてくれた。流石である)
さて今回は僕の持っている劣等感についてのお話。お前の劣等感なんて知らねえよと言わず、お付き合いください。
僕は小学校1年生から小学校6年生まで、ずっと学年で1番背の低い男子だった。しかし背が低いというコンプレックスは、初めてできた彼女が162センチの僕より長身だったことでなくなった気がする。
顔が不細工というのもそうだ。これも人生初彼女のお陰でなんとも思わなくなった。
太っていることはかなりコンプレックスだ。ただ、僕は痩せている期間の方が圧倒的に長いので、まあダイエットすればいいかな、くらいに思っている。
じゃあなにがコンプレックスかというと、それはダントツ1番で「性格の悪さ」、これに尽きる。
キリスト教の世界では、神の教えのために生きない人、つまり洗礼を受けていない人については、悪人と呼ばず、「無知ゆえに道を外れている人」という考え方をしている。なので、僕の会衆は洗礼を受けていない人の悪業に対しては、必要以上に怒らないこと、義憤にかられないこととなっていのだ。洗礼を受けた人が買春でもしようものなら大変怒られるが、洗礼を受けていない人の買春は無知ゆえにと考える。
僕は思うところがあって洗礼を受けていないのだが、やはり自分は神との約束を守るのは難しいと感じている。とにかく、僕自身の中にある悪魔の部分が怖いのだ。具体的になにか悪いことをしたことがあるわけではないけれど、いつも自分の悪意を抑え込んで生きているという気持ちでいる。そしてそんな僕の底意地の悪さにみんなが気づいて、僕から離れていく、そんな不安がいつも消えない。