「世界に一人のコーラ職人」 伊良コーラ物語 第5話 IYOSHI COLA STORY
見えたもの
2018年の11月、初めて伊良コーラを販売してから4ヶ月が経った頃、祖父の漢方工房を改装する目的で「クラウドファンディング」というものに挑戦していた。
自分が挑戦したいテーマと目標額を決め、支援してくれた人に返礼品を返すという仕組みだ。
目標金額は200万円。
200万円あれば工房の設備を整えることができるからだ。
学生時代の友人、さまざまな人に連絡をし、なんとか目標額を達成することができた。
そして、このクラファンをやって本当に良かったと感じた。
というのも長く連絡をとっていなかった学生時代の友人が支援をしてくれたり、知り合いからご紹介いただた方に自分の思いを伝えたところ、その時点では全く見ず知らずの状態だったにも関わらず、大きな支援をしてくださったりと、昔のつながりも復活し、新しいつながりも生まれたからだ。
一方で、「何かあったら力になるよ」と言ってくれていた人がいざ支援となると、急に返信がなくなったりしたこともあった。
だからこそ、まだ何者でもない自分のことを支援いただいたことは本当にありがたかったし、一生忘れない。
新しい道へ
クラファンも終え、日々の取材もこなし、さらに移動販売車「カワセミ号」には初めてのアルバイトスタッフも加入した。
実はその頃、ある悩みが生じていた。
元々、私は平日はサラリーマンとして働いていたため、伊良コーラの活動は週末限定の活動として行い、現職のパフォーマンスを落とさないことを自分の中の決まり事として始めた。
だが、取材対応や日々発生する実務など、並行してやっていくには現職のパフォーマンスを落とさざるを得ないところまで来ていた。
また、業務用シロップの卸の話が決まったことで、会社を辞めてもなんとか生計を立てられる目処も立っていた。
だから、伊良コーラの活動をこのまま副業として続けるか、独立して一本で生計を立てるかの選択に迫られていたのだ。
そこで、会社のベテラン社員の先輩に相談をしてみた。
すると、
「コーラなんて絶対失敗する。コカ・コーラとペプシ・コーラが存在するんだから無理だよ。辞めときな。好きなことを仕事にしたら、嫌いになっちゃうから、趣味として行い、仕事は仕事として割り切ってパフォーマンスを発揮しろ。」
と言われた。
一方で、昔からフリーランスとして仕事をしている同年代の友人にも相談をした。
すると、
「大企業のサラリーマンなんて辞めて自分が好きなことをしなよ。」
と言われた。
各々が異なる見解を持ち、その時点では結論を出せなかった。
そんな時、ひょんなことから直属の先輩に伊良コーラの活動のことを話す機会があった。
実は、伊良コーラの活動が忙しくなってきて本業のパフォーマンスが落ちそうになった時、この先輩に叱られたことがあったことから、この先輩には少しだけ苦手意識があった。
そのため、
「そんな活動してないで、本業でパフォーマンスを出せ!」
というふうに叱られるかなと思っていたのだが、
意外な返答をもらった。
それは
「本気でやりたいならすぐに会社を辞めて挑戦しろ。」
と言うことだった。
この先輩の言葉は自分の心に刺さった。
というのも、ある種、ベテラン社員の先輩の言葉も、独立した友人の言葉も、彼らが歩んできた人生と同じ方向性を示唆する意見だったのだが、この先輩の言葉は彼の人生の方向性とは逆の方向性を示唆するものだったからだ。
誰しもが、自分の人生と正反対の人生を薦めることは自己否定とつながるため、そのようなアドバイスはしづらい状況の中で、先輩のアドバイスはフラットで俯瞰的なものだからだ。
この言葉をもらい、自分の気持ちが明確になった。
「サラリーマンの広告代理店の仕事は自分以外にももっと得意な人がいるかもしれない。だけど、伊良コーラは自分にしかできないことだ。伊良コーラに自分の人生全てをかけてみよう。」
そして、一気に退社と独立の準備をした。
根回しというほど大袈裟なものではないが、会社に伊良コーラを持ってきて、お世話になった先輩方に毎日配り、自分が今後独立することを話して回った。
ほとんどの人が温かい言葉をかけてくれて応援してくれた。
そして、退社日にはなんとサラメシの撮影もさせてもらった。
通常、退社というのは会社にとってある種ネガティブなものだとは思うのだが、私が勤めていたADKの広報の責任者の方がたまたまサラメシの大ファンだったのと、シンプルにコーラで独立することを応援してくれたためだ。
とても懐が深い会社で有り難かったし、とてもラッキーだったと思う。
そして、12月31日、コーラ小林はサラリーマン小林という肩書きを捨て、
正式に「コーラ小林」となる。
手作りコーラで生計を立てる、世界で唯一のコーラ職人が誕生した瞬間だ。
2019年、年明けより怒涛の日々が始まる。
続く。