【読書】 生き物の死にざま(稲垣栄洋)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07XLBB7VF/ref=dbs_a_def_rwt_bibl_vppi_i3
色々な生き物が一体どのようにして死を迎えるのかということについて、物語形式でまとめられています。
例えば、セミ、ハサミムシ、サケ、アカイエカ、カゲロウ、カマキリ、アンテキヌス、チョウチンアンコウ、タコ、などなど。
一つ一つの物語は短く、読みやすいです。
そして、なるほどそうだったのか、の連続。
生き物の死にざまって存外知らないんですよね。
生き物が、とても哀しく美しい死にざま、あるいは宿命を持っていることを知れます。
その中でも、シロアリは目から鱗でした。
女王アリの死にざまが語られているのですが、それもまた、とても哀しい。
哀しいというと凄く上から目線な気がしますし、女王アリも精一杯生きた結果として満足な死を迎えているのかもしれないですが、とにかく哀しい。
ぜひ皆に読んでほしいです。
その中で、女王アリと働きアリの関係性についても触れられているのですが、僕は、「女王」等の言葉に引っ張られて、主従関係や上下関係があると思いこんでいました。
しかしながら、それは人間がつけた分かりやすい呼称でしかなくて、シロアリにしてみれば、単なる役割分担をしているだけなんですね。
卵を生む役割、卵を守り育てる役割という。
女王アリも働きアリも、種の保存という共通・唯一の目的のために、ただ、自らの役割を全うしているだけであり、その結果として外から見れば主従があるように映るに過ぎず、両者の関係性としては対等なんです。
これ、本当に目から鱗でした。
人間社会には上下や主従がありますが、本来、これも単に役割分担しているだけで、関係性としては対等であると理解すべきなんだと思います。
少なくとも、「上」「主」側にいる人間は。
もちろん、強い規律が必要な場面や関係では上下や主従があるべきだと思いますが、これも、それが合目的的だからこそそうなっているだけであり、上・主側の人間が本来的に偉いわけではないんですよね。
ところが、上・主側に立つと、どうしてもそこを忘れ、本来的に偉い、優れていると勘違いしがちです。
この勘違い、とても怖い。
気をつけなければなりません。
生き物の死にざまそれ自体が興味深いですし、それを通じて、人間社会や人間関係を考える端緒にもなる本だと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?