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仕事レイヤーを発動する

約半年ぶりに仕事を得て、なかば慣れてきた無職の日常が変化した。
お気楽な日々からの脱却であり、収入への安心感と裏腹に自由から遠ざかる虚しさもある。

社会人になってからずっと、仕事に対してポジティブになれたことがない。
課された役割はこなすしそれなりに成果も出したが、充足感を感じたことがない。何をやっても頭の上っ面だけで処理している気分だった。上っ面で処理できるのが仕事だった。その上っ面の流れを下から見上げている自分が常にいた。
俯瞰の視点で見下ろすのではなく、見上げていたのだ。

こんなふうに感じることになった原因は高校時代まで遡る。
当時、古代遺跡にハマっていた。
ナスカの地上絵やマチュピチュの空中遺跡、ストーンヘンジやピラミッドなど世界の不思議を特集したNHKの番組を見て以来、その不可思議さと成立の謎に心を奪われてしまった。そしてそれらの多くが古代に不釣り合いな技術の存在を示していて、現代の常識だけで物事を考えても解決しない議論があることを知った。そして、それらの多くに天文学との関わりが示唆されていた。

それから、宇宙に想いを馳せた。
小学生の頃に学研「宇宙のひみつ」などの漫画本をみて関心があったが、もしかしたらこれもNHKの特集番組を見ていたかもしれない。
それを見上げたその向こうに無限と思える空間の広がりがあるのだと思うと自分を含めた人間の世界そのものがちっぽけなものに思えてくる。
自分たちはこんなに小さくて狭い世界にいるのだと、考えるようになった。
この感覚は日常世界ではまるで役に立たない。

仕事も人間関係も、目の前の現実と向き合うことなしにはうまくいかない。
そこには守られるべきルールがあり、習慣があり、裁量が働く。
狭い小さいなどと言っていられない。
ぼけっと宇宙のことなんか考えていたら、隙を突かれることもある。

そのうちにちっぽけな自分を内側に押し込んで、自分の意識に別のレイヤーを構築することに成功した。仕事用のレイヤーだ。
思考を切り離し、計算機として活動するレイヤー。
このレイヤーの上で僕は仕事をする。
計算機であれば悩むことはない。
必要なことを必要なように処理していく。
淡々と、淡々と、カタカタカタカタ、ピー、ガチャリ。
PCの一部みたいだ。

小さな僕はその姿を静かに見上げている。
なにやってんだか、というような面持ちで。
こんな感じだからすぐに飽きがくる。
転職を繰り返してきた一因である。

仕事モード、という言葉をみんなよく使う。
僕でいうところの仕事レイヤーを、みんなもっとうまく使っているのだと思う。それはレイヤーというような切り離されたものではなく、もっと日常との結びつきが深いものなのではないかと想像する。

人間関係にしてもそうだ。
ぼくの人付き合いレイヤーは貧弱で、まったく成熟していない。
こんなものは必要ないのかもしれない、と思いながらもいまだにコミュニケーションの取り方がわからない場面が頻発する。
仕方がないのでここでも計算機を発動する。しかしこの計算には多くの事例が必要になる。心理学が必要になる。材料が増えないと解が導き出せない。
ディープラーニングみたいだ。
だから僕の人付き合い能力はもう人工知能以下なのかもしれない。

さて
僕は何が言いたいのだろう?
仕事から離れ過ぎていたせいで、めんどくささが頂点に達しているだけかもしれない。
8時間労働って、働きすぎだよね。
とりあえず、早寝早起きの習慣だけは続けていこうと思う。

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