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リーダーって何だ #4 「ゆるいバランス」

   最近『ブループリント』という本を読んだのだが、その一説に次のようなことが書いてあった。

文化の維持と進化は社会的ネットワークにおける個人間の繋がりの数と構造、および情報がどれだけ容易に、かつ自由にやりとりされるかによって決まる。したがって文化の伝達は、その集団がどれだけ協力的でどれだけ友情にあふれているかにかかっていることになる。

 『ブループリント』は社会科学や組織論、生物の遺伝や進化の研究を背景とした観点から人間の進化の過程や可能性を論じた内容といえる。
 僕はこの本の主張はこの一説に集約されていると理解した。つまり人間は協力し合うことによって進化してきた。協力体制を確立していくには互いに仲良くしてコミュニケーションを密にすることが大事だと言っているのだ。これまたこれだけ聞くと「何を当たり前のことを」と言われるかもしれないが、この本は上下2巻にわたるボリュームで、膨大な実験と観察を論拠として提示し科学の結果としてこの結論を導いているところが面白い。感情論や人生訓とは一線を画した上で「仲良くしようぜ」と言っているのだ。人類はそうやって文化を育て発展してきたのだと。

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 仕事だってそうだと思う。
 働いてる人間ひとりひとりを大事にし、リスペクトがある場所にこそ発展性がある。逆にそれがない場所では成長は望めない。会社が人を大事にしているかどうかは経営陣次第で変わってしまう。良い雰囲気だった職場がたった一人の人間によってボロボロに崩壊していく様をなんどか見てきてしまった。崩壊後の職場で得られるものは多少の経験値と苦い思い出、あとは「関わり合いにならない方がいい人間がいる」という教訓くらいなものだ。いまでは(なんかこいつ怪しいな)と思ったら全身にアラームが鳴り響く体になってしまった。
 具体例を話し出すとまた話だとっ散らかってしまうのだが、ざっくりいうと「嘘で邪魔者の悪い噂を流して信用を落とし、自分の地位の向上を図る」タイプの人間に出会ったことが2、3回ある。僕は彼らを見て巧妙な嘘のつき方を学んだ。学んだと言っても自分が実践するわけではなく、怪しげな噂への気づきと対応、もしくは対抗の手段を考えることができた。このタイプを「くだらないやつ」「いずれ自滅する」と放置したり馬鹿にしてるだけでは何も解決しないどころかあっという間に物事は悪化する。彼らは騙せる人間さえ騙せれば良いし、騙されない人間が邪魔だと思ったら今度はそっちも標的にしていく。こういう輩に対処するのもリーダーとしての役割かもしれない。不毛な争いにしか思えなかったりするものの放置する時間が長くなるほど職場環境が悪化するので実害が迫ってきてしまうのだ。

 うん、やはりこの手の怨念がこもった話は止まりませんね。まあ平和な環境のためにはそういうのも乗り越えていくことが必要な場合もありますってことです。なんせ僕が目指すリスペクト環境には最大の敵です。うそで互いを信用せず、一人の人間だけが利益を得るように仕組まれていく人員配置。四方八方に嘘の網を張っているため、辻褄合わせのために情報を全て自分のところで独占して処理できるようにしていく。その結果現場の横のつながりがなくなります。また、繋がらせないために互いが仲悪くなるようにありもしない噂を流したりしていく。雰囲気が悪くなり仕事が面白く無くなる。離職者が増える。こうなると中堅の人材がいなくなるのでベテランと新人しかいない現場が生まれたりします。人使いの荒い会社、そういうところないですか? みんなわかってても簡単に騙されちゃうものなんです。特殊詐欺と一緒です。嘘のつき方はみんな同じなので。怒りを呼びやすいような内容の噂にはすぐ乗っちゃダメですよ。

 つまりはこれが僕の得た教訓だった。
 雰囲気の良い場所で仲良くやっていかないと仕事捗らないじゃん。
 っていうね。真逆のこと言う人多いんだけど。
 その上でもう一歩考えると、嘘をつきまくってた人だって、環境次第でそうはならなかった可能性もあるんじゃないか。……正直これは望みが薄いかもしれないが、相手をリスペクトし合う環境にいられれば自分もそうなれる、そうなろう、そうすることが心地いいのだと思えるのではないか……という期待もある。
 そんなことを考えているうちに、
「もっとゆるくいこうぜ」
 という声があたまの中で浮かんできたのだ。
 結論そこかよって感じだけど、毒気のある人から毒気を抜いてもらって、互いにリスペクトする雰囲気を全体に広げて、コミュニケーションを密に取り合うような環境をどう作っていくか、と考えた時、まず自分が力を抜こうと。そうじゃないと雰囲気がつくれないと。リーダーなんてちょっと抜けてるぐらいでもいい。そういう場所ほど周りがしっかりするものだ。抜けておきながら信頼を得るためには自分の責任をしっかりと果たす。究極、それさえできてたら良い。良いというか何とかなる。
 いろいろと理由や理屈を考えてもみたのだが、結局のところ僕にとって一番やりやすいやり方だろうというのもあった。

 さてやり方の方向性は決まったものの、実際にこのゆるい感じでやっていこうとするとちょいちょい躓いてしまう。ぬるいゆえに「ぬるい」と批判されてしまう。しかしこのフィルターを外さない限り、どこかで過労死は起こるし鬱病になるし自殺者も減らないだろう。だから僕は主張するのだ。批判を越えていく必要があるし、潰していくやり方も試していかなければならない。ゆるい雰囲気のままで。だから本気でゆるくなってしまうと困る部分も多いので、あえてゆるさを演出する。
「みんなのびのびやってよ〜」
 という雰囲気を丸出しにしながら頭はフル回転だ。
 全てはバランスなのである。
 全体の調和を保つためのバランス。
 みんなが仲良くしていくためのバランス。
 なんでも言い合える雰囲気を保つためのバランス。
 誰かが困っていたらすぐに助けようと思えるためのバランス。
 仕事が楽しくてやめようと思わなくなるためのバランス。

 職場の人間関係やブラック環境が原因で辞めていく人が多い。そうやって辞めていく人は後悔や自虐や嫌悪感を抱えて職場を離れていくだろう。キャリアはそこで終わってしまう。でも続けたほうがいいのだ、本当は。続けられるのならスキルは上がるし経験も積める。自信もつく。時間をかけて成長していくのが本来の姿ではないか。そうさせない職場がいけない。
 僕が所属していた会社もそんな雰囲気が蔓延していた。僕はそれが嫌いだったので、せめて自分の手が届く範囲だけでもやってみようと思った。

 しかし、である。
 ゆるくやろうと決めたからといっていきなりヘラヘラしたノリを見せては失敗する。それは迂闊であり隙を見せすぎということになる。よく人事異動の時期に見られる光景だとは思うが、それなりのポジションに着く上で新たな職場に入るときには特に隙は見せられない。ちょっと不機嫌に見えるくらいの顔つき、目つきで厳しめの様子を印象付けておきたい。そこから徐々にゆるめていく。世の中、相手が下手に出ていたり敬語で丁寧に接しているだけで勘違いして舐めた態度をとってくる輩が一定数いる。二十人にひとりくらいの割合でいる。こういう人物をどういう言葉で表現したらいいのだろう。ちょうどいい慣用句でもあればいいのだが。この輩は蓋を開けてみなければわからないところがある。ある日突然正体を現したりする。しかし正体などどうでもよくて表向きだけでもいいから真っ当にしていてくれればいい。「自分」を取り戻して欲しいみたいなことを何度も言って入るけれども、悪い影響を出すようなことは抑えといて欲しい。
 そもそも何よりも仲良く楽しくを目指すことが前提なのだから。

というわけで緩くやるためのいくつかのポイント

・細かいことで怒らない
・ミスを責めない → 誰でもミスはする
・「全てを完璧に」しない → メリハリをつける

 ちょっとしたミスや手違い、そこまでいかなくても要領が悪かったりして業務がスムーズにすすまないスタッフがいたとして、そのことをチマチマネチネチと文句言ったりきつい言い方で注意や指導したりすると大体萎縮してしまって余計にミスを繰り返してあたふたしてしまう。
 この状態がなぜ起こるか考えたとき、答えはそんなに難しくなかった。自分ができることは特に意識しなくてもできることであって、可能な限り似た状態にしてあげれば自然とできたりすることもある。だからそういう要領が悪い人や覚えが悪い人がいても、
「繰り返せばできるようになるよ」
 としか言わない。
 徹底して指導、主導したがる人はこれができなくて強く言ってしまう。僕に言わせれば我慢がない。そんなすぐ出来ないだろ、と思う。それにこういうところで普段からガミガミいっていると、報告が遅れがちになる。うるさく言われたくないからなるべくミスを隠そうとする意識が徐々に育っていく。
 責任者としては実はこれが一番困る。小さなことが積み重なってどうにも誤魔化せなくなったところで報告されても手遅れの場合が多い。不穏な芽は早めに摘みたい。
 だから僕は繰り返して言う。「何度でも聞け、何度でも教えろ」と。そのやりとりが日常的に浸透していれば分からないことが組織レベルで全体的に減っていくし、ミスの報告を恐れなくなる。そして早めに報告をしてくれた人には
「早く言ってくれて助かった」
 と伝える。これができればまた次もそうしてくれる。
 ミスとは宝くじのようなものである日突然誰かのところにやってくる。どんなに優秀な人でも避けられるものではない。これを完璧にゼロにするという努力はかなりの精神力を使う。だからそのちからは大事なところに集中するようにしたい。

 完璧を目指すのは大事な精神だが、疲れることでもあるので選択と集中で労力を分散させたい。
 例えば個人情報の取り扱いみたいなことは失敗できない。これは完璧をめざす。チェックを重ねて管理できるようにする。
 一方で日報にイラストが描いてある。結構上手く描いている。これはこれでいい。面白いからOK。外に出すものでない限りは許容範囲だ。
 いざというときにしれっと笑って誤魔化せそうなものなら杓子定規にやっていくことはないのだ。
 メリハリさえつければ「ゆるいは作れる」
 これが僕の今回の主張である。

(※トップの絵は自分で描いたパステル画です。
  Instagramやってます → https://www.instagram.com/cokoly/ )

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