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リーダーって何だ #3 「命令」

 「仕事だから」に偏りすぎてまた妙な方向に話が流れていったけれど、職場で自分を出すのをタブー視するのは、それぞれが個性全開だとコントロールが効かないからだ。各々が勝手に動くと期待した成果が出せないということで管理者側はそれを嫌がって手っ取り早く軍隊を作ろうとする。
 この流れをずっと見続けた結果、これは単に教育の問題だと気づいた。
「好き勝手やっちゃダメだよ。成果と報酬のバランス考えようね」
 という事をちゃんと教えればいい。
 命令が速やかに実行される組織づくりは、戦場で生死をかける軍隊では必須なのかもしれない。戦場はまさに殺し合いで人権など配慮されないし、躊躇すれば死につながる場所だろう。一瞬の判断の遅れが部隊を全滅させるんだって、何かの映画で言ってた。それは本当なんだろう。
 だが仕事をしていて目の前で人が死ぬわけではない。銃を持った敵はいない。ここから考えられるのは成果と報酬のバランスを崩したまま働かせたい人がいるからこうなるのだろう、ということだ。これ話しだすと止まらないのでちょっとここで止めておこう。教育だ。教育。

 巷のビジネス書にはコーチングの本とかも出ているが、じっくり取り組んでいる会社はどれくらいあるのだろうか。どうもみんな手っ取り早く成果を出す事を考えすぎではないだろうか。求人広告を見ても「即戦力として働ける人」という言葉をよく見かけるけれど、こういう会社には教育の概念がない。
 みんな教育を舐めすぎている。
 人が育つには時間がかかる。そんな当たり前のことを無視している。なぜ一年かけてみてやろうと思えないのか。
 もちろん成長が早い人もいる。通常半年かかるところを1ヶ月で追いついたり、一回の説明で手順を全部覚えられる人もいる。これは特別な人たちだが、なぜか一時期この特別な人を基準にしようという風潮があって、どこの会社でも「できる人に合わせる」みたいなことを言っていた。どこもあまりに同じことを言っているので、僕はどこかのコンサルが無理矢理普及させてるんじゃないかと疑っていた。これは僕が転職しまくっていたから実体験で味わったことだ。本当にどこでも同じことを言っていたので、研修を外注された大手のコンサル会社が「他社に優位に立つためには」とかいってどこでも同じことを言ってるんだと想像していた。そう思うくらいに画一的だった。
 僕はコンサルを信用していない。めちゃくちゃ疑っている。まともな会社もあるのかもしれない。いや、どこかにはあるんだろう。
 しかし時々おかしなビジネスマナーが広がるのは全部コンサルが原因だと思ってしまっている。例えば僕は某新古書店で働いたこともあって、あそこもなんか色々ルールがあったけど、「やっぱりここもか」と思うことも多々あったので社員に言っていた。「研修でコンサル使ってるならやめた方がいいですよ。どこでも同じことやってるからむしろ差がつかないですよ」というふうに。まあ影響があったかどうかはわからない。事実だったかどうかもわからない。規模が大きくなった会社は研修を外注し始めるけど、あれはやめた方がいいと思う。企業文化が死ぬだけだ。
 ほかには「お疲れ様」と「ご苦労さま」の使い分けとか「了解」は目上の人には使わないとか、そんなのずっと無かっただろう。教えることがなくなってきたから無理矢理捻り出してきたんだろう。そうじゃないならそれでいいけど、窮屈なルール増やすのはもうやめてくれ。

 また話が逸れた。
 人が育つには時間がかかる。これは基本なのだ。即戦力なんて求めるな。求めた時点で教育の放棄が始まる。即戦力きたら両手を上げて感謝すればいいけれど、その幸運を当たり前に考えると話がおかしくなる。まともな方向には進まなくなる。人を育ててこその社会ではないか。ないですか。教育もせずに業績を上げようなんて都合の良すぎる姿勢ではないか。ないですか。
 ただし成長を早めることはできる。相互教育とマニュアル整備でこれはなんとかなっていく。ベテランは経験を若手は新しい視点を持っている。こういう価値あるいは価値観の交換は各々がしっかりと「自分」を捉えていれば自然に生まれる。指導なんかいらない。環境さえあればいい。僕がやるのはそれが大変に良いことだと知らせることだ。

 ここまできてようやく話が進む。
 「自分」の存在、教育が大事だということ、「仕事だから」フィルターを外して尚且つ命令嫌いな僕が取る戦法は、
【「お願い」レベルで自発的に動いてもらう環境づくり】
 になる。
 ここでいうお願いとは、命令のようなきつい言い方、やり方ではないということである。土下座して平身低頭とかではなく、今風に言えば
「おなしゃす」
 くらいのノリをイメージしていただきたい。
 流石にちょっと軽すぎるか。
 大事なのは「命令は嫌だ」ということだ。これは声を大にして言いたい。
 何度でもいうが命令はするのもされるのも嫌だ。するのが好きな人もいるだろうけどやっぱりされるのは嫌だろう。命令されるのが興奮するという人はちょっと話のジャンルが違うのでどうか落ち着いていただきたい。

 命令は権力者のやることだが、責任者やリーダーになると強権的な方向に走ってしまう人がいる。置かれた立場を誤解してしまうのだ。与えられた役割を権力と同一視してしまい、上から目線の指示を四方八方やっていくと当然ながら反発を喰らう。こういうタイプの人が反発を喰らった時真っ先に出てくる言葉が「仕事だから」である。これまで述べてきた通り、これは理由ではない。理由にならない。最低限の説明にすらなっていない。仕事であることに全責任を押し付けて権力を振る舞っているのだ。
 これは必ずしも本人の性格や人格によるものではない。
 権力の罠なのだ。
 非常に陥りやすい罠。この罠に陥ると
「あいつは責任者になってから人が変わった」
 と言われてしまうので要注意。この後で修正できるか、さらに頑なになって孤立していくかは人によって道が分かれる。「リーダーは孤独なものだ」という歴史的認識があるが、孤立と孤独は別物だ。孤立した自分を肯定するために「リーダーは孤独なものだ」とか言っていると永遠に大事なことに気づけなくなってしまう。
 何でこんなこと言うかというと僕自身が一瞬この罠に陥ったからだ。幸いというか相手との年齢差があったため(僕が上)に大きな反発を喰らったりはしなかったが、いやいやと思い直したのだ。そもそも自分の物言いが気持ち悪かったし、(俺そんなキャラじゃないのに)と持ち前の自己評価の低さが僕を正気に戻したのだった。こういう時は自己批判も役に立つ。
 だって指示出したら相手は聞くじゃないですか。それぞれが役割に準じたらそうなっていくんですよ。ところが内省無しにそれを繰り返していくと、それが当たり前になる。麻痺しちゃう。あっという間に麻痺してしまう。人間って単純。

 その反省もあって「お願いぐらいがちょうどいい」という結論に達したわけです。また、その後いろんな仕事を経て徐々に自分の長所や短所がわかってきて、得意や不得意もわかってきて、ある意味で自分の限界も見えました。例えば図書館で展示の企画を考えるとなったときに、いくらでもアイデアが出てくる人っている。僕はほとんど何も出ない。だったら任せた方がいい。口出すよりも「じゃお願いします」ってなりますね。これはまあ分かりやすい例というか、責任者ったってなんでも全部できるわけないよねっていう事。自分をちょっと諦めてるくらいがいい。その代わりやるとこはしっかりやる。それでバランスが取れればいい。

 思うに指示とか命令っていうのは「頼む」という行為の延長線上にあるものではないでしょうか。プライベートの人間関係なら、誰かに何かをやってもらいたい時は「お願い」「頼む」みたいなことになる。個人ならそれでいいが集団をまとめようとするとそれだけではうまくいかないって事で強制力をつけたわけです。人間が社会的な生き物である限りこうなります。宿命です。
 でも命令っていうのは軍隊とか封建制度で必要なものかと思うんです。いまの民主主義下、しかも互いの顔が見えるさほど大きくもない会社でそんなものいりますか? いらないと思うんですけれどもめんどくさがってブラック体制築いちゃうところが多いんですよ。結局離職率ばかり上がって慢性的に採用コストがかかると思うんですけど。しかもほぼ確実に職場の雰囲気悪いので、僕はもうそういうところはいるだけで気持ち悪くなってしまいます。人を育てるのをめんどくさがった結果封建体制を築いて、そうした自分たちを肯定するために「仕事は戦場だ」とか言い出すんです。北朝鮮と同じです。
 そういう北朝鮮的会社をもう増やしたくないし、それを仕方ないと受け入れる社会もごめんです。嫌でしょ? 僕はもう嫌なんですよ。だから変えていきたいんです。北朝鮮で革命起こすのは難しいけど職場の雰囲気変えていくのはもうちょっと簡単にできるはずなんだ。

 ところが困ったことに命令されたり理不尽な指示に従うことに慣れてしまった人たちには真逆のやり方は案外受け入れにくかったりする。
 実際新たに赴任した先で何度も言われたのは「もっと厳しく言わないと」とか「もっと怒った方がいいですよ」という言葉だった。正直この反応は意外だった。前任者はいったいどんなふうに指揮を取っていたのかと思ったものだが、それにしても慣れというのは怖い。厳しい物言いにさらされることや怒られることが当たり前になっていたのだ。
 僕は控えめに聞き返した
「そんなに上から言われたい、ですか?」
 と。そうすると
「別にそんな風に言われたいわけじゃないけど」
 みたいな答えが返ってくる。そりゃそうでしょう。そこでこう言うのだ
「ざっと見てましたけどみんな普通に仕事する人たちだし、あえて厳しい言い方しなくても大丈夫だな、と思ったんですよ」
 実際見てそう思ったからそのまま伝えたのだが、「へえー」という感じでどうやら納得してもらえた。このセリフは「信用できそうなので信用します」を「信用」という言葉を使わずに伝えたものになる。「信用」という言葉はそれ自体が重いのであまりペラペラ使いたくないというのもあるが、信用を向けたい相手に直接言ってしまうと逆に言葉が軽くなりそうに思えたからだ。こういう言い回しは色々考えておくといい。僕は小説家になろうとしてセリフをいっぱい考えたおかげで鍛えられていたところはあると思う。
 ちなみにこういう会話を交わした相手はその現場のベテランさんだったのだが、ベテランさん達との会話はとても重要。影響力の強い人がこちらの意を汲んでちゃかちゃかと動いてくれたら、現場が変わるのは早い。「あ、あの人が認めてるんだ」と他のスタッフに伝われば流れが生まれる。ブラック要素に侵食された現代の社会で意識を変えようと思ったら彼ら彼女らの存在は絶対に無視できません。そしてこういう人たちの「仕事だからフィルター」を剥がしていくことができれば、気持ちの良い職場づくりへ一歩前進することができます。

(※トップの絵は自分で描いたパステル画です。
  Instagramもよろしくです → https://www.instagram.com/cokoly/ )

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