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親切って難しい。正解はないのかもしれない。

親切は、相手のことを思っての行為であることが多いですが、他人の心の中をのぞくことはできません。
だから、自分の思う親切は相手にとっても親切なのだろうかと悩むことがありました。

人の生き方が様々であるように、親切のかたちも様々。今回はそんなお話です。


朝の通勤電車でたまに見かける視覚障害のある(おそらく全盲)方がいます。
便宜的にここではAさんと呼びますね。

Aさんはいつもドアに1番近い座席の前に立ちます。希望の駅でスムーズに降りるためにドア付近にいると私は推測しています。

あるとき、ドアから離れた位置に座る方(Bさんと呼びましょう)が「こちらどうぞ」と言いながら、Bさんに背を向けて立っていたAさんに席を譲りました。

そんなBさんの姿を見て優しいなと思った反面、どの席に案内されたかわからないAさんは、降りたい駅で無事に降りることができるか、無事にドアまで辿り着けるか心配になったのです。
私は離れたところにいたため、朝の混雑した車内でAさんに駆け寄りドアまで案内するのは困難な状況です。

事実としてあるのは、
Aさんはドア付近に立っていた
BさんはAさんに席を譲った
これだけです。

だから、今から述べることは本当に私の推測にすぎませんが、「自分だったら」という観点で彼らのやりとりを考えてみました。

もしも私がAさんだったら、
席を譲ってくれてありがたいものの、車内のどこに自分がいるか把握できていないのは困ります。場合によっては、立ってでもドア付近にいたいかもしれません。

もしも私がBさんだったら、
車内は混雑してて揺れますし、ドア付近にいると人の乗り降りの際にぶつけられてしまうかもしれない。だから、ぜひ座って欲しい。

私が考えた限りではAさんの本音とBさんの思いは食い違ってしまいました。
でも、これはあくまでも「私が」考えたにすぎず、他の人が考えれば結果は違うものになる可能性は大いにあります。
そもそも、私にはAさんは降車しやすいという理由でドア付近に立ってるように見えましたが、実際は他の理由があるかもしれませんし。

結局、その人が望んでいることはその人にしかわからないのです。
自分の思う親切は、本当に相手にとって親切なのだろうかと不安にもなってきます。

困っていそうな方がいたら声をかけて相手の希望、意図を聞き取った上で、求められる手助けをすることが理想です。

でも、現実問題として電車内で時間をかけて話を聞き出せないし、話したくない人もいるでしょう。

そんなジレンマがある世の中だから、自分にできることは、求められたら快く協力することなのかもしれません。
助けを求めればみんなが協力してくれる社会になったら、困ったときすぐに助けを求められますよね。

これは障害のある方だけに限った話ではありません。
私にも体調が悪くて電車で立っていることが辛いときがあります。
それでも、見た目にはそのことはわからないし、席を譲って欲しいと言っても断られるかすごく嫌な顔をして譲られることになるでしょう。

助けを求めても、誰も手を差し伸べてくれないから…なんて心配をしない社会になったら素敵ですよね。

とは言っても、これも単なる私個人の考えにすぎません。
理想的な親切のかたちは、助けを求める側、助ける側、どちらであっても当事者にしかわからないのです。
私の思う親切のかたちだって、人によっては、気づいたのなら助けを求められる前に手を差し伸べるべきだと思うかもしれませんよね。

だから思うのです。
親切って難しい。親切のかたちに正解なんてないのかもしれない、と。

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