カップ付きキャミソールを捨てるのに何年かかったんだろう

先月まで4回ほど「ときめき片付け」のコンサルタントさんと一緒に家の中を片付けて気がついたことと、小田桐あさぎさんが「毎日自分の気持ちと丁寧に向き合う、違和感を突き詰める」ことがなんか通じてた。

昨日も、タンスから、全然持ってて嬉しくないのに「プレゼントで貰ったものだから」という理由で、自分の気持ちがそれを持っててどう感じるかを無視して持っていたポーチを1つ処分。

着るたびちょっときついからあんまり着たくないんだよなぁと思っていたのに「これないと洗濯間に合うかわかんないから」という理由で取っておいたカップ付きキャミソールを2枚処分。そのカップつきキャミソールがあったせいで、本当に着たい着心地のよい下着を着る頻度が落ちてて、自分は自分を幸せにしてなかったじゃん〜!ってなった。

目に入って「これはもういらないな〜」と思えるものは捨てられるけど、いやいや、そもそも!私の目は全然ちゃんと全部見えてないんだなぁ。目の前にあるのに、そこにあるのが当たり前だったり、なんか適当な理由があったりして、自分がどう感じてるのか、ちゃんと見えてない。

小田桐あさぎさんのいってたことは、そういう自分が何を感じるかについて、モノだけじゃなくて、自分の行動、つまり家事も仕事も、なんなら朝起きて息をするところから、なんでも自分の感情を見つめて、自分を知ろうってことなのかな。

ものが多い我が家を見て、ときめき片付けのコンサルトさんに言われたのは「減らしましょうね」とか「スッキリさせましょうね」とかじゃなくて、「家の中をときめくものでいっぱいにしましょうね!」だった。優しいー。家のなかもだけど、生活も自分のなかも、ときめく楽しいものでいっぱいにできるようになりたいわ!

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