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日曜の夜、餃子の王将で過去の自分と決別する

大型連休に入る前から、夫が「連休は餃子の王将に行きたい」と言い始めた。はいはい、と適当に受け流していたが、昨晩も「明日王将に行こうね」と言い、今朝も「今日の夕飯は王将ね」と言い残して、畑に出かけて行ったので、本当に行きたいみたいだ。

王将の何が彼をそこまで突き動かすのだろうか。
王将には、32歳男性を虜にする何かがあるのだろうか。


都内に住んでいたとき、最寄り駅のすぐ近くに餃子の王将があった。いかにもな町中華ではなく、暖色のダウンライトと目隠しの竹のようなグリーンで装飾されており、餃子チェーンらしからぬモダンで洗練された店内。

当時から我が家はあまり外食をする方ではなかったけれど、3か月に1回くらい、平日の夕飯をその店で済ませることがあった。
訪れるのは、決まってお互いに仕事がいっぱいいっぱいで帰宅も遅く、「今から夕飯つくる?無理無理無理」というとき。
本当に切羽詰まったときの最後の切り札だった。

綺麗な店内で、お店の人が作ってくれた美味しい餃子やチャーハンを食べる。後片付けをする必要もない。家計を圧迫するほどの出費でもない。
夫に文句も言われない。誰にも迷惑をかけていない。

なのに、何となく後ろめたい感じがいつもあった。
お金で時間を買っている。
自分がもう少し頑張れば出ていかずに済んだお金。

水を張ったボウルに墨汁を垂らすように、後ろめたさは「美味しい!楽できてよかった!」という気持ちをじわじわと「甘えてんじゃないよ」という気持ちに染める。
仕事の疲れも相まって、なんと器の小さい人間なんだと自己嫌悪。
そんなちょっぴり苦い思い出が餃子の王将にはある。


とはいえ、夫は今日が連休最終日なので、ご所望の通り夕飯は王将にした。
20分程の待ち時間の後、入店。それぞれ餃子定食を注文する。

よかった、ちゃんと美味しい。
連休らしく混みあう店内は騒がしくて、ちゃんと楽しい。
カウンター席から覗く厨房で行儀よく餃子が並ぶ様子が、ちゃんと面白い。
隣にいる夫が幸せそうに餃子を頬張っているのが、ちゃんと嬉しい。

お金で買えるのは時間だけでなく、心のゆとりでもある。その心のゆとりが、また仕事や家事を頑張る活力にできるなら、それは大人として素敵なお金の使い方だ。

「東京にいたとき、いつも切羽詰まったときに王将に駆け込んでいたよね」「隣が宴会のテーブルだったときはムカついたよね」と夫と話す。
二人の間ではもう過去の話で、笑い話。
ほろ苦い過去もそうやって上書きできる力を、私たちは持っている。


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