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バラバラなようで、バラバラではないことの本質。

こんにちは、みほです。

今日はやや小難しい話になってしまうかもしれませんが
わたしの頭の中を書こうと思います。

ちょっと考えてみると答えが掴めそうな物事ほど
人間らしい脳を育てるのに最適なものはありませんので、ぜひ一緒に考えてみてください。

さて、タイトルでは
『バラバラなようで、バラバラではないこと』
と表現しました。

昨今では、社会において活動するにあたり
「個の時代」が囁かれていますが、
その本質とは一体なんなんでしょうか?

わざわざわたしの口から言うことではない程
すでに多くの方が言っておられますが

いくら個の時代とはいえ、過去にも一人で偉業を成し遂げた人はいないように、必ずと言っていいほど周囲との関係性を築いていくことが必要だと言えると思います。

個のスキルを磨き
他者と協力することで
より大きな目標を達成できる

一見

「バラバラなようで、バラバラではないこと」

です。

これを踏まえて、今日は
わたしの行うボディワークの視点からの考察を
シェアしたいと思います。

関節を「分化」させることの意味。そして社会にどう応用するのか。

人間の身体が動く時というのは

動きがスムーズで
複雑な要素が、いかに「ひとつの動き」として
表現できるかで、その質というものが
変化すると考えています。

例えば
「椅子から立ち上がる」
という動きをしようとした時、

スムーズな動きというのは
自分の意図する動作のために
足首や股関節、背骨や頭などが
同じタイミングで動くことを表します。

逆に、スムーズでない動きは
立ち上がる時に
まず顎が上がって、それから脊柱が動いて、骨盤が傾いて…
などのそれぞれの関節が
違ったタイミングで動くことを表します。

イメージするならば、
ひと昔前のロボットのような動きとでも言いましょうか。
カクカクしていて、ひとつの動作を遂行するのに
何段階かに動きが別れていましたよね。

もしくは、身体がひとつの塊になったように動くこと。
これはキョンシーをイメージするとわかりやすいかな。
デフォルトされたゾンビの歩き方とか。

身体の動きが流れるように滑らかになれば
そこに余分な力は必要なくなり
自由に身体を操ることが可能になっていきます。

…さて、ここでもう一度
この章のタイトルに戻りましょう。

関節を「分化」させることの意味。そして社会にどう応用するのか。

でしたね。

ここで言う「分化」とは、
動きを分ける」ことだと
まずお伝えしておきます。

矛盾しているように聞こえるでしょうか?

どうしてひとつの動きにすることが
身体の心地よさに繋がるというのに
「関節を分化」させるの?

と思ったあなたは、するどい。
思わなかったあなたも、するどい。

詳細を知ることの重要性

それでは理由を説明しましょう。

ボディワークで関節の動きを
「分ける」ことをするのは
「詳細」を身体の中に見つけていくためです。

例えば、「動作の分化」の例をあげると
あえて目線を固定したまま
首を動かしたりする、といった具合です。

すると、私たちの身体(脳)の中で
起こることは

どこに何があるのかわかる、認識できる

ということです。

つまり、
今まで固まりとして動いていたもの(ゾンビの動き)を滑らかに動けるようにする為に身体の各部位を使い始める

たくさんの過程を生んでいた動き(ロボットの動き)も同じく、身体の各部位をどんなタイミングで使ったらいいのか考え始めます。

あえて関節を分離させて動かすことで
「ここにも関節があるぞ〜」
ということを脳へ刺激として送っている。

そしてその事により、
身体の細かい部分を
認識できるようになっていきます。

関節が、良い意味で
きちんと存在感を持ち始めると

「やりたい動作」に対して
「どの関節を」
「どうやって」
動かしたらいいのか?

を脳が無意識に指令を出してくれるようになります。

それぞれの関節が、やるべき仕事をしてくれる。
そんなニュアンスです。

もちろん、詳細を知るということは
身体の関節だけの話ではなく
「自己理解」の観点からも、必要になってくる要素です。

「個の時代」に本当に必要なこと。

さて、これまでの話を
社会生活において置き換えてみるとしましょう。

「詳細を知ることで、それぞれが役割を果たす。
そして、その結果、全体の質が上がる。」

詳細を、個人
全体をプロジェクトや企業
と仮定するならば

「個人」を知る(自分が何をしたらいいのか?何ができるのか?)ことで
果たすべき役割を、いいタイミングで果たすことができる。
そして、その結果「プロジェクト」や「企業」の質向上に繋がる。

ということが言えそうではありませんか?

冒頭にあった「個の時代」は
決して個人で活動することが求められているのではなく
「自分にはどんな強みがあるのか?」
「その強みをどう生かすのか?」
といった自己理解を深めていくことこそが
必要とされているのではないかな。

と、そんなことを考えています。

そしてその自己理解は、経験を通じて学ぶことのできるものだと信じています。

心理テストや適性テストを受ければ、知らなかった自分の良いところに気が付けることはあるでしょう。

しかしそれを知っているだけでは「自分」を理解したことにはならず、自らの経験が乗っかってはじめて「知っている自分」になるのではないでしょうか。

あなたは、どう考えますか?

2019.05

日々精進


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