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高校を卒業するも大学に行けず、新聞配達員になった話

受験シーズンですね!

受験生の皆さまは勉強で大変な時期だと思いますが、実は私、高校生の時に大学受験をしませんでした。

というより、できませんでした。

あまりにも勉強ができなさ過ぎて、高校の先生から「おまえに行ける大学はない」とサジを投げられる状況でした。


しかし当の本人はそれを悲観するでもなく、超然としておりました。


そもそも受験勉強というレースにエントリーすらしてなかったですし

むしろ「これからの時代、人と違うことをしないとね!」というもっともらしいことをいって、自身の差別化を図っていたのです。


勉強とか偏差値とかいう軸で他の男子と比べられては勝てないと思ったからです。それでは、女子にモテないと。


個人的に人生初のブランディング戦略だったのかもしれません。

まあ結局、女子にはモテなかったわけですけども。


でも、この戦略を維持したまま高校を卒業しました。

それでどうしたかというと、新聞配達員になったんですね。


理由はいくつかありました。

まず、住み込みの仕事だったので、ひとり暮らしが出来ることです。

なんだか、社会人として一人前っぽい。


もうひとつは、「新聞奨学生」という制度があったので、万が一ここから大学なり専門学校なりに行こうと思った時に、家族に負担をかけることがなくなるかなと。


そして、個人的にもっとも重要だったのは、今までとまったく違う環境だったことです。


高校生の時、人と違うことがしたいと思っていたけれど、人と比べて何かが秀でたわけでもなく、そのギャップがある種の閉塞感になっていました。


今までと異なる環境に身を置けば、新しい世界がひらけるのではないか、と考えたのです。

両親はもちろん大反対しましたが、家出同然で出て行きました。



わくわくドキドキの新生活が春からはじまってひと月が経った頃。

もうすでに、自分の選択を後悔し始めていました。


毎日、朝2時半起き。そこから配達する新聞にチラシの折り込み。

その新聞を自転車に詰め込んで(原付はうるさいという苦情が近所から出ていたので、私の所属していた販売所は朝は自転車を使っていた)、2時間近くかけて配り終え

朝ごはんを食べて一息ついて、お昼を食べたら夕刊の配達。

夕方に仕事を終えたらもうウトウト。

次の日に備えて寝る、という生活の繰り返し。


いや、そういう生活なのは良いのです。わかっていたことですから。


問題は、他の人とは違う新しい世界がひらけるはずだったのに、気がついたら結局高校生の時に感じていたのと同じ閉塞感に囚われていたことです。


確かに、新しい世界には違いない。

でも、もはや「新しかった」世界で、すぐに日常になってしまったのでした。


すっごいモヤモヤした気持ちを抱えつつ、でも、今更しっぽを巻いて実家に帰ることもできないので、何かはじめてみようとモゾモゾしていたら、秋になっていました。



そんなある日、高校時代の友人と晩ご飯を食べることになりました。

彼は頑張って勉強して大学に進学していました。


そこで彼の近況を聞いていると、法律の勉強をはじめていました。大学の授業を聞いてたら、興味が出てきたと。

しかも、彼女までつくっていました。


高校生の時は非モテ仲間で、童貞同盟の契りを交わした仲だったのに。


私も負けじと自分の近況を盛りに盛って話したのですが、なんだか苦しくなってきました。

彼の反応も正直でした。

「ふーん、大変そうだね」


新しい世界を求めてここにいるはずだったのに、世間の常識に囚われて普通に勉強をしていた友人の方がバリバリ充実しているのはどういうわけだ…?

っていうか、彼女いるってどういうこと…?



決定的な敗北感を味わい、自分の人生にいよいよ疑問を持っておよそ1週間が経ったある日のこと。

大雨が降りました。

そのうえ、冬も近かったので、吐く息も真っ白でした。


その日も自転車に新聞をいっぱい積んで配達してました。


この新聞ですが、80kg近く積んでるんですね。新聞配達をはじめて半年以上経ってましたが未だにこの運転は大変でした。

道を曲がるのに車体の傾きが一定以上になると、新聞の重みを腕力では支えきれなくなりそのまま転倒してしまうのです。


なので、普段はとても慎重に運転するのですが、この日は集中力を欠いていました。


そして、見事に大転倒したんですね。

この時のことは今でも忘れられません。


午前3時頃の真っ暗闇。

道路のど真ん中。

大雨が降っていて、積んでいた新聞は散乱して全部ずぶ濡れ。

身体の芯まで冷えていたけど、転倒してできた傷口は熱い…


新聞配達所には予備の新聞は多くないので、この量をダメにしたとなると、再配達は追加の新聞を発注してからの午後になります。

当然大クレームなので、一軒一軒、謝罪に回らねばなりません。


もう、大泣きしました。

18歳のいい歳した男がおいおい泣いて、涙で顔がぐちょぐちょ。

大量の新聞紙も雨でぐちょぐちょ。

自尊心もぐちょぐちょ。

もう、全部ぐちょぐちょです。


自分の選択肢が間違っていたことを認めたくないという鼻くそみたいなプライドで支えていた心がポッキリ折れました。


もう薄々わかってはいたことですが、自分が求めていたのは「新しい世界」とかではなくて、単に人に認められたかっただけでした。

学生時代を通じて人より秀でたことがなにもなかったので、シンプルに「すごいね」と言ってもらいたかっただけ。


新聞配達でもなんでも、そこで一番になる覚悟があればよかったと思うのですが、そんなものはありませんでした。


翌日、退職を願い出て、程なく実家に帰りました。

両親に頭を下げて、大学に進学させてほしいとお願いしました。


幸い、日本の大学受験制度は高校の内申点はボロボロでもテストの点数さえよければ良いので、ここなら一発逆転できるのでは、と思ったのです。

非常に安直な考えですが、難関大学に行ければ一目置いてもらえるのでは、と。


全科目偏差値測定不能状態からのスタートでしたが、勉強して、慶應義塾大学に合格しました。

ビリギャルもびっくりのビリ男です。


人生で初めて色々な人に「すごい」と言われて、認めてもらえた気がしました(もっとも、それも一瞬なんですけど)。

大嫌いだった勉強が面白くなって、すると、新しくはないけど、毎日みていた世界の見え方が変わりました。

今も変わり続けています。


でも、女の子にモテることはありませんでした。


加筆✏️ この記事がきっかけで、通信制高校ナビさんに取材をしていただきました!

【大人の失敗から学ぼう Vol.01】 みんなと同じタイミングじゃなくてもいい!新聞配達の経験が教えてくれたコト(前田晃平さん) | 通信制高校ナビ



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