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忠勝っちゃん

まだ初期の頃の『信長の野望』シリーズをやっていた頃のことです。
兄が何作か『信長の野望』を持っていて、それを借りて遊んでいました。
その頃、『信長の野望』のゲーム自体はそんなに複雑ではありませんでした。


当時の私はまず、治水から着手しました。
河川が氾濫したりすると、農業に大ダメージが出てしまうし、疫病や飢饉の元にもなってしまうからです。
そして、間をおかずに、隣国に攻め入りました。
僅かでも兵を揃えて、戦に臨みました。1ターンだけ攻めて打撃を与えては退散して、というのを何度も繰り返して、少しずつ相手の兵力を削っていきました。
そして兵力がほぼ互角くらいになったら、全軍を上げて攻めて行き、領地を拡大しました。

その年が豊作だろうと不作だろうと、年貢は90%取り上げていました。ひどい領主です。
当然、民の忠誠度は下がります。
民が怒っているのが伝わってきます。
放っておくと一揆が起こる可能性もあります。
でも翌月に盛大に施しを与えると、民は大喜びして、忠誠度はグンと上がります。
民から徴収した税で軍備を整えて、また戦に出ました。


僻地のあまり強くない武将でスタートしても、ちゃんと日本統一できました。
初めの武将が強くなくても、敵国に攻め入って、有能な武将を手に入れれば、どんどん戦果を上げてくれるので、どこからスタートしても勝てました。
でも、信長だけは家臣には加えずに、首を刎ねていました。
信長はほんとうに切れ者なので、駒にはできませんでした。近くに置いても遠くに置いても、危険なのです。
(実際のところは、信長が何をしてくるか分からなくて、生かしておけなかったのです。信長をうまく扱えなかった私の度量の問題でもあります。)


私が一番好きで、大事にしていた武将は、本多忠勝でした。愛称は、忠勝っちゃん(ただかっちゃん)。
どこの国から始めても、忠勝っちゃんだけは必ず手に入れて、たくさん活躍してもらいました。
当時の私は歴史的な背景も知らず、忠勝っちゃんがどんな武将かも知らずにいました。
ゲームで出逢い、ゲームのなかで支えてもらい、一緒に修羅場をくぐってきただけです。
それでも、忠勝っちゃんと共に歩んだ統一への道のりは、手に汗握り、心湧き立つ時間でした。


友だちと千葉方面へ旅行へ行ったとき、大多喜城趾がありました。
通りがかりだったのですが、「寄りたい」と私がお願いして、見に行きました。
そして、本多忠勝の名前を目にして、「えっ、ここ、忠勝っちゃんが住んでたとこなの?!」と、びっくりしました。
偶然、大好きな忠勝っちゃんの元お家を目にすることができて、同じ空気を感じることができて、とても嬉しい思い出になりました。


元々、この記事のタイトルは、『ゲーム:信長の野望』でした。
でも、書いているうちに、「なんかこれ、忠勝っちゃんの記事だなぁ」と感じて、タイトルを『忠勝っちゃん』に変えました。
それで今、忠勝っちゃんのこと調べてみようかな、と検索してみたら、すごく有名な武将だったことが分かりました。
なんていうか、『忠勝っちゃん』とか書いてたら、歴史好きな人とか、武将好きな人とかから怒られそうな気がして(ごめんなさい怒らないでください)、『本多忠勝さま』になりました。

13歳で初陣とか、考えられない。
むかしは、13とか14歳辺りで成人扱いだったんだもんね。心構えが違うんだろうね。
むかしの人の精神の高さや意志の強さを感じる。


そうか、忠勝っちゃん、すごく名の通ったお人だったんだね。強くて有能なわけだ。

私、『私だけの忠勝っちゃん』だと思ってた。
ゲームの世界で、私だけが知ってる存在だと思ってた。
よく考えてみれば、製作陣が知ってるから、登場してくるんだよね。

でも、うん、そうだね、私のなかではやっぱり、『私だけの忠勝っちゃん』だなぁ…。
よく仕えてくれた家臣、数々の武功をあげた猛将、一緒に戦乱の世を駆け抜けた尊い戦友。
忠勝っちゃん、ありがとう!!
大好きだよぉーーー!!


またオタッキーな記事になっちゃった。
良いんだ。
忠勝っちゃん、大好きだから。
やっぱりタイトル、『忠勝っちゃん』に戻そうかな。そのほうが私っぽいや。
それに、見ていて愛着が湧く。戻そうっと。


では、今日はこの辺で。
読んでくださって、ありがとうございました。
また明日。
おやすみなさい。

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