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『箱男と、ベルリンへ行く。』(十六)


『ベルリン休暇』

2月16日にベルリンに到着して四日目になりました。2月19日のことです。
この日も、大本営では監督やキャストの皆様も引き続き取材が入っているとのこと。
ただし、もはや私の出番ではないことは確か。
そして、関さんと三峰さんは、この日、17日に入れなかったというコープロダクションマーケットへワンデイチケットを購入の上、再度突撃するつもりだとか。
もちろん、私もコギトの一員、プロダクションとしての営業はとても大事……、けど、自分が行って、なにか役割を担えるか?というと甚だ、疑問。いや、疑問だと思いたい。
なぜなら、関さんと三峰さんは、明日以降も、ベルリンに滞在、さらにはその先、ロンドンへと渡り、プロダクション営業を引き続き行う予定、その間一日くらいはユルい一日もあるでしょう。翻って私は明日帰国、ここまで、ユルい一日なし。『一日くらい自由時間ほしいぞ』ってことなわけです。
 
「あのぉ、今日、僕って……」
「(喰い気味に)いいよ、お前おってもしょうがねえし」
よしっ、自由時間確保。でも、『お前おってもしょうがねえし』はちと淋しい、でも、自由時間の方がもっとうれしい。
 
うすうすわかっていたことではありますが、ベルリンはとにかく美術に明るい都市です。
ちょっと調べるだけでももう至る所にギャラリーが点在します。美術館も本当に豊富。
ノイエナショナルギャラリーは絶対に行きたい! ミースファンデルローエの建物を堪能するだけでも、午前中が潰れるはず。早く行かなきゃ。常設展にはなにが展示してあるかなぁ。リヒターは観れるかなぁ。もちろん、そのまま足を伸ばして絵画館へ行きましょう。ヤンファンエイク、ブリューゲル、クラナッハ、フェルメール、デューラー、もう、想像するだけで失神しそう。ここも三時間じゃ足りないだろうなぁ。飯食う時間もねえかもしれねえ。
バウハウスアーカイブも行かなきゃ。ここも絶対外せません。
そこから旧国立美術館も近い。ここには私があまり見たこのないドイツ古典主義やロマン主義の絵画がたくさんあるはず、楽しいぞぉ。あとは、街場のギャラリーを漁って、まだ見ぬアーティストを発掘するのだ。こりゃ、一日じゃ、足りねえな、でも、時間がある限り巡りたい。もう、そのつもりで、朝九時には準備万端、出かける気満々。
『ちょっとまて……、もしかして、今日って、月曜日じゃねえか……?』
はい、2月19日は月曜日です。
いままで上げたところ全部休み。休館。バウハウスアーカイブは改装工事で長期休業中。
 
俄然、私、鬱ですわ。はあ、もう、そんなに簡単に来られるわけじゃないのに。この2月19日はまさに乾坤一擲ですよ、それが丸つぶれ。
『いやいやいや、オレ、まだベルリンで行きたいとこ、あるじゃん』
忘れていたわけではありません。ただ、ミースファンデルローエだ、ヤンファンエイクだ、バウハウスだと舞い上がっていただけです。
本当は、こっちも本命。で、調べてみました。はい、月曜日、やってます。
いざ、出発!
ただ、懸念は、三峰さんと離れること、つまりWi-Fiと離れること。ま、いいか、このさい、国際ローミングで乗り切ろう、少しくらい値が張ってもあとで考えればいいや。
 
元気よく、宿舎を出て、今日は、この旅で初めてのヴェディング駅へ。地下鉄で、ハレッシェス・トーア駅へ。(ドイツ語はとにかく発音がムズい)
目指すは、ベルリン・ユダヤ博物館です。
 
実は、ユダヤ人に関する、その中でも彼らが蒙った最悪の災厄であるところのホロコーストにまつわる博物館は、世界に多く点在します。ヨーロッパはともかく、日本にすら存在します。
その中でも、特に有名な場所は、ワシントンにある、『ホロコースト・ミュージアム』と、ここベルリンにある、ベルリン・ユダヤ博物館ではないでしょうか。
もちろん、私は、両地へ行ったことがなかったわけですが、両者の違いはなんとなく書物などで読んで知っていました。
 
人間の営みの一つとして、『慰霊』ということがあります。人類的災厄に見舞われた出来事や場所を『慰霊』し、なにがしかの表象として、後世に残そうとする営みは、人間に備わった固有の行動のように思われます。例えば、それが人類的、とまで行かなくとも、人は近親者が死ねば、それをなにがしかに表象し、残そうとするでしょう、お墓のように。
私がぱっと思いつく国内最大の『慰霊』の場所は、広島平和記念公園です。
慰霊碑の『安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから』という碑文が有名ですね。
ここだけでなく、世界各地に、様々な出来事を元にした『慰霊』の場所があります。
それらがどのように表象されているか、私はたびたび気になり、時折、訪れたりしています。
 
その中でも、特に、このワシントンと併せて、このベルリン・ユダヤ博物館は、私が訪れたい場所の一つでした。
ホロコーストという大災厄をどう表象するかについて、ある種の被害者側である詩人として応答し続けたパウル・ツェランについては、数回前に触れたと思いますが、では、ミュージアムという形で、仮にも加害者側の国の人々がそれをどう表象するか、見ておかねばならないと強く思っていたからです。
 
同博物館の最寄り駅、ハレッシェス・トーア駅を降りると、折しもこぬか雨、『ベルリン・天使の詩』にも登場したメーリンク広場に出ます。

『天使の詩』のあの塔は、これとは別もの。でもよく似てます。

そこから歩いてすぐの場所にベルリン・ユダヤ博物館はありました。
ほとんど、開館時間直後に同博物館の入り口をくぐったにもかかわらず(しかも月曜日)、すでに私の他にお客さんは大勢いて、とくに若い方たちが列をなしているのを見て、わけもなくまんざらではないなぁと思ったりしながら、翻って、入館の身体検査は厳しく、これは、ある種のわけを忖度しながら、つまり、今まさに行われている戦争に頭の隅でいつも思いを致しながら、私は入館しました。
入ってみると、私が知っている同博物館の印象とは全く違います。通りに面したファサードはずいぶん歴史古い様相、ネットで見知ったあのポストモダン建築とはずいぶん違うので、一瞬、周辺をうろうろ迷ったほど。
で、古い建物を分け入っていくと、エスカレーターを下り、隣接する博物館へと進入していくという仕掛けになっています。
 
しばし、写真をたどりながら、疑似ツアー。

見えてきました。あのイカツめの建物がくだんのミュージアム。


入り口はどこー。
しかし、外観からも良建築だとわかります。
ところどころ『傷付いて』いますね。


外観からの『亡命の庭』、オリーブの木が見えます。


『the axis of the HOLOCAUST』と呼ばれる地階の通路。
傾斜がつけられ、複雑に曲がりくねっている。
『どこへつれて行かれるのか』


所々の壁には、当時のユダヤ人たちの記録が展示してあります。
それらを一つ一つ経験しながら、この突き当たりには……。


『VOIDED VOID』または『HOLOCAUST TOWER』の内部に入ります。
狭い、何もない、荒涼とした、不自然に切り取られた空間。
あるのは、遙か彼方、上方から射す光だけ。


しかし、そこには届きません。
他にあるのは、到底手の届かないはしご。
登りもできないし、その先に出口もない。


別の出口を出ると、そこは『The Garden of Exile』(亡命の庭)。


雨に湿るコンクリートの石碑群。


段々と上階へと登っていく途中に突如現れる
『Memory Void』Menashe Kadishmanによる彫刻インスタレーション。


無数の鉄の彫刻を踏みしめながら、ヴォイド(虚無)へと、
実際にわたし達は歩いて行くことができます。


踏めば、鉄の残響が館内に、不快に響きます。
私には、これらを踏んですすむ勇気はありませんでした。


建物内部の至るところに、不規則な梁やただの空間(ヴォイド)が横断しています。


戦時下におけるユダヤ人被害者地図。
ダントツ、ポーランドでの数が多いですね。あと、ソ連もエグい。
シオニズム双六!


シオニストテスト!
君のシオニズム度が測れるぞ。
下手な占いやるより、君も自分のシオニズム度を測ってみよう!


ユダヤ音楽聴き放題の部屋!
ディスコみたい。


私が聞いたのは、これ。
『jewish monkeys』
サブスクにあるよ。聞いてみてね。


いつの間にか、イスラエルの『ユダヤ文化』啓蒙のための夥しい展示群に。


地下から、段々と上方へ上がっていく順路となっていますが、上方へ行くにつれ、展示内容は、『ユダヤ文化』の啓蒙へと変化していきました。
ゆっくりと味わい、ユダヤ博物館一人ツアーは終わりました。
時に、ホロコーストという悲劇は雄弁に語られますが、しかし、ここ、ベルリン・ユダヤ博物館は、ホロコーストの持つ表象不可能性をいかに建築として表象するかが極限まで突き詰められている気がします。実際にそれに触れられて良かったですし、さらに、この博物館が、実は、『ユダヤ文化』ひいては、『シオニズム』の啓蒙、という役割をつよく担っているということも肌で触れられてよかったです。
私から見ると、いや、現在進行している戦争状況を鑑み、この博物館にあらためて触れると、この場所は、うまく言葉にできない、それこそ表象不可能な『矛盾』を、見事に体現しているのでした。
 
ああ、長くなってきた。
一回分で、一日消化したかったのに。
ユダヤ博物館の後、私は別の美術館へ行くのですが、その話は、また次回にしましょう。


(つづく)
(いながききよたか)


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