見出し画像

【コギトの本棚・小説】 「ベンツが欲しい」 誰もが知るあの名曲からタイトルを拝借して仕立てる掌編小説

Oh lord won't you buy me a Mercedes Benz.
My friends all drive Porsches, I must make amends.
Worked hard all my lifetime, no help from my friends.
So oh lord won't you buy me a Mercedes Benz.

Oh lord won't you buy me a color TV.
Dialing for Dollars is trying to find me.
I wait for delivery each day until 3.
So oh lord won't you buy me a color TV.

Oh lord won't you buy me a night on the town.
I'm counting on you lord, please don't let me down.
Prove that you love me and buy the next round.
Oh lord won't you buy me a night on the town.

神様、お願い、ベンツを買って
友達は皆ポルシェなの。見返してやらなきゃ。
人生はほんと大変、誰も助けてくれないし、
だから、まじで神様、ベンツ買ってください。

ねえ、神様、私にテレビ買ってよ。
そうしたら、ダイアリングフォーダラーズが(※)
私を見つけてくれるわ。三時までなら毎日待てるし、
だから、テレビ買ってよ、神様、お願い。

ねえ、神様、夜の街を全部あたしにちょうだい
当てにしてるのよ、だからがっかりさせないで
あたしを愛してること、証明してみせて、
御利益をちょうだいよ。
だから、神様、あたしに夜の街を全部ちょうだい

(※50年代から70年代にかけて、アメリカなどで放送された懸賞テレビ番組)

(J. Joplin, Bob Neuwirth)


 お金持ちがしあわせなんだってことは、大人になってから知った。それまでは、別に、そんなふうに思わなかった。そんなふうに思わなかったのは、ただお金持ちがどんな暮らしをしているのか知らなかったからだ。

 なんでもそうだ、知れば知るほどしあわせじゃなくなる。なんてね、思うわけですよ。なんか、テレビで喋ってるどっかのエライ人みたいだな。

 とにかく、私は、最近、大人になって、いろいろなことを知り始めているんだなと思う。

 朝は、寝てる間に過ぎてしまう。起きると、だいたいテレビドラマの再放送とかやってる時間で、そっからパンとかお菓子とかだらだら食べるから、出勤に間に合うか間に合わないかギリギリになって、急いで身支度とかするけど、私は元々化粧とかの才能があるみたいで、とりあえず30分もあれば、きれいになれる。

 そっから出勤、男の人とご飯食べて、誘いがない時は、そのままお店に行って、お店で男の人とお酒飲んで、お店出て、一緒にお酒飲んでた男の人と焼き肉とかお寿司とかまた食べて、帰る。

 でも、化粧とかの才能は、男の人から好かれる才能と近いみたいで、私は、大抵、お店以外でも男の人に誘われる。そのことは、お店のエライ人に褒められるから、嬉しい。おいしい物も食べられるし。でも、最近、外食飽きた、ちょっと手料理とか食べたいなと思うから、クックパッドとか見ながら自分で作ってみようと思うけど、大抵失敗して、もったいないことになる。天は二つの才能を与えないだっけ?実によくできてるなと思う。

 イケメンで頭いいお客さんもけっこういるけど、やっぱりみんなそれなりに足りないところがあるから、安心する。私が化粧とか男の人に好かれる才能はあるけど料理はできないように、お金持ちでイケメンでも、お酒飲めないとか、お尻ブツブツとか、だから、そういうのが知れたのは、よかった。いや、よくない。やっぱり知ることは不幸だ。

 こういう仕事を始めてから、子供のころ、私は超絶貧乏だったんだなって事がわかって、それからお金持ちって、すごくしあわせで、貧乏ってふしあわせだなって、わかって、私は、それだけでよかったのに、その先に、お金持ちでもしあわせじゃないこともあるんだ、っていうか、ほとんどの場合、そうだってことが最近わかって、私は、少々へこんでいる。いや、だいぶへこんでいる。

 一体、しあわせっていうのは、どういう状態のことを指すのか、わからなくなった。これも、知ることの一種の副作用?

 お尻ブツブツってどんなイケメンでもかなり落ち込むと思うけど、中には、もう少しシリアスな悩みを抱えた天から二物を与えられなかった人もいる、らしい。去年、私を誘ってくれた男の人は、すごくきれいな顔をしてて、お金もものすごくもってるっぽくて、おうちもでかいらしくて、奥さん美人で、息子さんもどこぞの進学校で勉強一番できて、それでもってセックスもすごくうまいんだけど、年老いたパパもママも、痴呆で、しかも介護が必要らしい。兄弟もいなくて、奥さんも介護はノーサンキューだから、自分で面倒見てるらしい。私は、お金持ってんだから、どっかの施設とかぶちこみゃいいじゃんと思ったけど、それはもちろん本人も思ってて、なんどか試したらしいけど、駄目だったらしい。というのは、痴呆が進んだ人の中には、すごく祭儀心が、間違えた、猜疑心が深くなる人も多いらしくて、彼の両親は二人ともそれで、施設にぶちこんでも、介護の人の二の腕噛みちぎったり、アツアツの味噌汁ぶっかけたりするもんだから、どの施設からもエヌジーくらって、ブラックリストにまでのったらしい。だから、彼は、職場の近くにマンション買って、そこにパパとママを住まわせて、一人で二人の面倒を見ているらしい。ここまで「らしい」を連発するのは、あくまで彼から聞いたことだから。この世界、ウソはもう別に悪い事じゃなくて、日常茶飯事だったりするから、皆、だいたいハナから信じたりしないし、特にこのウソつき野郎とかおもったりしないわけなんだけど、でも、私は、深刻な顔一つせずに、笑いながら、自分の名前も忘れかけてるパパとママのことを話す彼のことを、ちょっとは信じていいような気がしている。

 彼の名前は、アメリゴ。わたしは、「はあ?」って聞き返した。ちなみに、見た目も国籍もきっちり日本人なんだけど、本名らしい。(でた、らしい)

 アメリゴのパパは、アメリゴが生まれる前、生まれてくる子供に、アメリカって名付けようとしていたらしい。でも、アメリカってのは、よくわかんないけど、女の名前らしくて、アメリカを男の名前にすると、アメリゴになるんだって。だいたい、そもそも、アメリカとか、名づけようとすんなよ。もはや、キラキラネームでもねえよ。ちなみに、アメリゴのパパの名前は、信介っつうまっとうな名前らしくて、東大出て、大企業の取締役まで登りつめた人物らしい。頭いい人の考えることはわかんない。というか、信介の考えてることはわかんない。

 アメリゴは、始めからアメリゴだったから、別に、それでいいと思ってたらしい。だいたい名前で人にからかわれてきた人生らしいけど、特に不便は感じなかったんだって。でも、私が、「めちゃくちゃおかしいよ、なんで、んな名前つけたのよ、信介パパ」と会うたびに聞くから、アメリゴもその気になって、信介パパに聞いてみたけど、信介パパはとうの昔に正常な脳みそじゃなくて、「アメリゴ、なんじゃ、それ? がはははは」と大笑いしてたらしい。笑える。

 いや、笑えない。アメリゴは、永遠に、謎のアメリゴなわけだ。だから、それからは、私も、あえて、「なんでアメリゴなんだよ」とは聞かないようにしてあげた。  これも、天は二物をなんとか、ってやつの一つなのかな。でも、アメリゴ本人は、変な名前って思ってないみたいだし、別にふしあわせの一つには、私も数えてあげたくない気がしてる。

 アメリゴは、一応、自分の家族も持ってるわけだし、パパもママも要介護なわけだから、これ以上ややこしいことも面倒だろうと思って、私は、適度にアメリゴと付き合ってあげている。他に、誘ってくれるお店の客は何人もいたし、それで寂しさはまぎれるわけで、なにもアメリゴ一人にこだわる必要も、私にはない。だけど、アメリゴから誘われた時は、それがダブルブッキングだろうが、トリプルブッキングだろうが、全部断って、アメリゴと会うことにしてあげている。それが、私のアメリゴに対する好きってことの証明。

 とはいえ、最近、ダブルブッキングも、トリプルブッキングも、アメリゴはしてくれてない。連絡がない。私の脳みそは、大して、なんとも、要はさびしいとか、思ってないんだけど、首から下がアメリゴに会いたいって言ってると感じ始めていた。

 お店には、毎日出勤してて、お客は毎晩、わんさか来てて、ここに来る客たちは、だいたいお金は持ってるけど、その他が欠落してる人間たちで、そういう人を毎日相手するのに少し飽きた。逆の人種、ようは才能に満ちあふれてるけど、金がないみたいな人種に会ってみたいなと思ったけど、そういう人間はこの店どころか、この界隈にはいないんだから仕方がない。

 私は代わりに、別のことを考える。今この目の前の人達とアメリゴは違うような気が、私はしてる。なにが違うんだろうなとウィスキー飲みながら考えていた上の空の私の太ももに、隣の息がドブみたいな匂いのするお金持ちが触ったから、私は考えるのをやめて、にっこり笑って、ドブの手の上にそっと右手を当てて、握ってやった。したら、アメリゴのことについての考えがどっかにいっちゃって、このドブ野郎と思ったけど、また考えればいいやと諦めて、店が終わったあと焼き肉行かない?とドブから誘われたので、こころよくオーケーしてみた。

 ドブと約束して、外で待たせ、帰り支度してると、アメリゴから連絡がキターーーーーーー!!!!! どうしよう、まあ、なんとかなるかと思いながら、ドブにメールを入れた。『被災したママが福島から上京してるの。仮設住宅暮らしでノイローゼになっちゃって、調子が悪くなっちゃったの。帰んなきゃなの。次は必ずご一緒します。今晩は許して』こんな適当な言い訳でもなんとか乗り切れてしまうのは、私がけっこうキレイだからで、自分のキレイさに感謝しながら裏口から店を出て、歩けなくもない距離にあるアメリゴが待ってるホテルまでタクシー乗ってやったわ。シートにもたれ、アメリゴって他の客と何が違うか考えてたら、ドブから『お母さん、被災者なんだね、知らなかった。お母さん、大事にしてあげてね。僕にできることがあったらなんでも言ってください』とかいうメールが入り、またまたアメリゴについての考えがどっかいった。このドブ野郎!

 まさに肩の荷がおりたって感じで、アメリゴは、ホテルの最上階にあるレストランつうかバーみたいなとこで、「お父さんとお母さんが死んだんだ」と、少しの間連絡しなかったことを詫びてきた。

 あれ、私、なに考えてたんだっけ、そうだそうだ、ドブたちみたいなふしあわせな金持ちと、アメリゴみたいなふしあわせな金持ちってなにが違うんだろうとか考えてたんだ私、それをドブ野郎、ことごとく邪魔しやがって。でも、だいたいわかってきた。私が好きか嫌いかなだけだ、ドブは全く好きじゃなくて、アメリゴのことは、頭ではそんなに好きじゃないんだけど、首から下がだいぶ欲してるんだって答えがわかりかけてたけど、「お父さんとお母さんが死んだ」っていうアメリゴの言葉を聞いたら、ふっとそんなわかりかけた事が、また頭の後ろの方へとずるずる引き下がっていった。

 「そっか、奥さんと子供さんも大変だったんじゃん」

 「嫁も、子供も、お父さんとお母さんには会いに来なかったんだ。というか、葬式も挙げなかった。だから、僕が呼ばなかったていうのが本当なんだけど。チョクソウって知ってる?」

 「知らない、」

 「直葬ね、ただ、遺体を焼くだけってやつ。葬式とかもせずにね」

 「へえ、便利じゃん。めんどくさくなくて。私のときもそうして欲しいな。大事な人に、焼かれるだけでいいや」

 「そうだね」

 それから、アメリゴは、なぜパパとママが同時に死んだのか説明した。ま、私が気になったから聞いたんだけど。

 「マンション、二部屋買うんだったな」アメリゴは、そう笑った。

 「お父さんとお母さん、別々の部屋に住んでもらえばよかった」

 認知症っても、波があるらしくて、時々正気に戻る時があるらしくて、一瞬正気に戻ったママが、なんだかひどく自分とパパの置かれてる状況を悲しがって、パパを道連れに、自ら命を絶ったんだってさ。はあ、サガる、ヘコむし、なんかやりきれない、切ねえ、わだかまる、おまけにネムい、そして挙句の果てにサカッてきた、猛烈に、アメリゴとセックスしたくなってきた。

 介護の果てにパパとママに無理心中された、美人奥さんと出来のいい息子を持つ金持ちイケメンに、セックスしてもらって、私は帰った。はあ、いい気分だ、でもそれだけじゃない。アメリゴのパパとママってどんな人生だったんだろう、最期の日々を出来のいい息子に世話してもらって、しあわせだったんだろうか、それともふしあわせ? いや、どちらでもないかもしれない。どちらでもないんだったら、それはなに? 私は、猛烈に気になってきた。

 その気がかりは、次の日ドブと肉焼いてる時も、次の次の日、店長さんから、女の子たちの前で、売上一位の表彰されてる時も、消えなくて、どうしようもなくて、私は、普段は思いつかないようなことを思いつきはじめた。

 思いつきを行動に移すべきかどうか、迷う前にすでに私はアメリゴの家の近くについちゃった。その思いつきってのは、アメリゴのパパとママが何を考えていたのか、というより、アメリゴがパパとママにどう接してたか、いや違うな、とにかく、しあわせかふしあわせか、それとも全然ちがくて、第三の新たな幸福論があるのか。でも、もうパパもママも死んでるわけで、それを聞けるわけじゃない。それでも、私は、なんか、アメリゴに不意に、まさしく不意に、会ってみたくなったのだ。これって、いわゆる不倫相手という立場の人間としては、ルール違反、なんてことわかってるけど、私は、アメリゴの家庭を壊す気なんてさらさらないから、そこらへんはうまくやる自信がある。から、大丈夫だって。

 住んでるところは、今まで彼と交わした話の端々に出てきた地名をプロファイリングすればすぐにわかった。東急線沿線、渋谷に一本、目黒区、目黒通りから南へちょっと行ったところの、緑道のそば、はいビンゴ、アメリゴみっけ、え? でも今日日曜日じゃね? なんで働いてるわけ? っていうか、なんでアメリゴ、作業着? それも着古した、胸の所に株式会社ナニナニ製作所とか書かれてるやつ、しかもなんか、住宅街の中に突如現れた小さな町工場の中で、なんか機械相手にガッコンガッコンやってるんだけど……。日曜大工にしちゃ、おおがかりすぎじゃね? なんだよ、趣味で工場やってんのかよ、アメリゴ。私は、別に隠れるつもりもなくて、道の反対側からしばらくアメリゴを見つめてたんだけど、アメリゴはまったくこっちに気づかずに、ずっと作業に集中してた。そのうち、年食ったジジイが出て来て、これもまたアメリゴのやつよりさらに着古した作業着着てて、アメリゴの作業を手伝い始めて、またそのちょっとあと、今度はババアがお盆に湯呑み乗せて、お茶かなんかアメリゴとジジイの傍に置いて、「お父さん、ユタカ、お茶ここおいとくよ」とかなんとか言って、また奥の方へ消えて行った。

 私は、私の目と耳を疑った。アメリゴをユタカって呼んだよ、今 。

 やがて、奥さんらしきジーパン、パーカー姿の30女と、いかにも悪ガキって感じの男の子が姿を現して、工場の前のコンクリートの空き地で自転車の練習とか始めて、あーあ、こりゃなんか家内制手工業だわ、徹底的に家内制手工業のニオイがすると私は思って、いたたまれなくなって、イヤホン耳にぶっさして、アイフォンのボリュームマックスで、AKBの「前しか向かねえ」流しながら、元アメリゴ、現ユタカの工場の前を通り過ぎて行った。アメリゴは、(やっぱり、アメリゴはアメリゴだからそう呼ぶことにして)多分、絶対、私に気づいたけど、私は、何も見なかった、何も見なかったって心ん中で繰り返しながら、うちへ帰った。

 次の次の次の次の日、私はアメリゴと会った。前の日も、前の前の日も、前の前の前の日も、ようは私がユタカを遠巻きに眺めた日から、ずっとアメリゴは私に会いたいってメールよこして来て、そうだったんだけど、私は無視した。無視したっていうか、ずっとなにをどう返信するか考えてた。で、考えがまとまったから、私はアメリゴと会うことにしたのだった。

 アメリゴは、ポルシェの後ろがハッチバックになってるヤツで私を迎えにきた。それから、車に乗ったはいいけど、二人共無言で、気まずくて、その気まずさを解消するために、アメリゴは「どこ行こうか」って、つぶやいた。アメリゴにしちゃ、それは、頑張った方で、私はなんか、そういう男の頑張りにちょっと弱くて、夜景でも見に行こうか?って答えてあげた。

 私のルール違反の行動からわかったことを、もっかい整理すると、ようはアメリゴは、まったくアメリゴなんかじゃなくて、パパもママも健在で、彼等はパパとママっていうか、親父さんとおふくろさんって感じで、まったく大企業の取締役でも、重要ポストの人物でもなくて、町工場の三代目で、二代目とその家族たちと日夜旋盤にいそしむ日本を支える立派な職人さんなのだった。唯一ホントだったことは、パパの名前が信介だったってことだけ。はあ、って、まじでため息しか出ない。

 別に、いいんだよ、ウソでも、どってことない。むしろ、とてつもない妄想の結果、私の前でアメリゴという人物を作りあげきったアメリゴを褒めてあげたいくらいだ。けど、私はアメリゴを許してあげない。

 私が、心の底からイヤだったのは、アメリゴの中で、旋盤業は大企業よりも劣ってるってこと、その一点。だから、私は、アメリゴを許してあげるつもりが、今のところない。

 天は二物を与えない。これをもういっかいアメリゴに当てはめるとしたら、すごくまっとうなのに、妄想癖があるってところ。実にふしあわせだ。

 夜景の見える湾岸方面の橋の途中のパーキングで、車を降りて、私はアメリゴと二人で東京って場所を眺めた。  アメリゴがなにか言っていた、私に聞く気がなかったのか、背後を行き過ぎる車の音で私の耳に届かなかったのか、本当に聞こえなかった。アメリゴはもう一度、今度は少し大きな声で言った。

 「来週、君に会いに、お店に行くよ」

 「ふーん」

 「その時、なにかお土産を持っていきたいんだけど何がいい?」

 少し考えて、私は、「おみやげなんていらない、ユタカさん」と、車の音に負けないように、ちゃんとアメリゴに届くように言った。

 アメリゴは、いや、いい加減ユタカでいいや。でもやっぱりだめだ。アメリゴって呼びたくなる、アメリゴは得意の曖昧な笑い方で声も出さずに笑った。

 「車の免許、取ったって言ってたよね。ベンツはどう?」

 それは、なんの代償によるベンツなんだろう、ウソの代償、これからも私がアメリゴと、今までと変わらず付き合うってことの代償、アメリゴの壮大な妄想に付き合ってあげることへの代償?なら、安い。

 「ねえ、あれ、私、ずっと思ってたんだけど、あれが欲しいな」

 私は目の前の向こうにひろがる東京を指さした。アメリゴは首をひねった。

 「カモメ?」

確かに、東京と私の指の間をカモメが一羽飛んでたけど、バカ、アメリゴ、よく見ろ、私は夜の東京の街を指さしてんだよ。

 「違う、夜の東京の街、全部」

 「そっか、それが答えか」

 アメリゴはちょっと悲しそうな顔をして、「送って行くよ」とつぶやいた。それは、あれだね? 私が無理なお願いをして、困らせて、もうこれ以上、今までのようには付き合えないって、暗に答えてるって思っちゃった証拠だね? でも違うんだよ、アメリゴ君。

 私は、アメリゴが車に乗りこんでも、しばらくその場から動かなかった。背後で、アメリゴが私を待っているのがわかったけど、私は時間をかけて、目の前の景色を楽しんだ。夜の東京の街を名残惜しみながら、私は、そっと手のひらを掲げてみた。

 ほら、これで、夜の東京は私のもの。

 片目をつぶって見てみると、ちょうど東京全部がそのまま私の手の平の上に乗っちゃって、すべては私の思い通りになるような気がするじゃない。アメリゴ、私が望んだのは、そういう些細なことなんだよ。ウソはウソでいいんだよ、だって、ウソを壊したのは私なんだから、だから、ウソを楽しみ続ければよかったんだよ。

 ふと、手を握った。握った手の中には東京はなかった。アメリゴが待ってる、さ、最後のドライブをしながら、帰りますか。

 助手席で、目を閉じて、私はさっきまで私の手の中にあった東京の中へと戻っていく。そして思う。ほら、やっぱり、知ることは痛みだ。でも、痛みってのも、なかなかいいものなんだって。


いながききよたか 2014.04.10

#コギトの本棚 #小説 #掌編小説 #ベンツ #Benz #ジャニスジョップリン #いながききよたか #コギトワークス

よろしければ、サポート頂けますと幸いです。