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「行きつ戻りつ」(2020年度卒業公演インタビュー企画特番)後編

〈「身体を認める」について。前編の続き〉

岡澤:あと、あれもそうかも。郵送特典とかも、触れることができる、というのがあると思うんだけど、触る対象があることで、自分の身体を再確認する?機会だな、とすごい思っていて、今回オンライン上に、身体が存在することができないからこそ、なぜこれを演劇と呼ぶんだろう、みたいなこともあったりして、うーん、なんか、直接触れる?とか、自分の身体を確認する、みたいなことがちょっとでもできたらいいな、と思って。郵送特典を始めたりしたのも、身体という存在を打ち消さないでいられるように、ってことなのかな、って思いました。

――郵送特典をプレゼントっておっしゃってたと思うんですけど、このプレゼントの響きだけで、わくわくしたりとか、そういう力があると思うし。身体というのがあって、プレゼントって今聞いたんですけど、プレゼントって聞いたときの期待感とか嬉しさというか。。あれ何を言ってるんだろ笑

岡澤:笑 ああ、でも、すごいその通りだなと思って。手渡すものが嫌なものじゃないはず、じゃないですか。プレゼントって。なんかこう、相手のために、というか、相手に向けて、良いんじゃないかなってものを手渡すイメージってプレゼントのいいところだと思っていて、そういう言葉遣いをしたのかもしれないな、って思いました。

――オンラインである以上、お客さんにも自然に想像してもらったり、空気感を感じとってもらったりってことが難しいっていうのがありましたけど。それでもそういうことをしてもらおう、って思ったときに、「プレゼント」という言葉を使ってもらったら、それと関連するような、それこそ身体とか、動作とかが連想されて、オンラインを通しても、周りの空気感をつかもうという、心の働き?脳の働き?笑 みたいなのが、自然になっていきやすいのかな、と思いました~

岡澤:なんか、そうだね、なんだろ。すごいイメージのための言葉として、「プレゼント」って個人的に好きだし、いいものだなって私は思っていて。わくわく感だったり、手渡すって動作だったり。あと、なんだろな、こう、二者がいて初めて成り立つというか。自分とか、自分たちとか、いろいろなプレゼントが行なわれていたんじゃないかな、と思ったりしていて。なんだろな、細かく言うと、今回は5つ班があるから、その一個ずつがお客さんに対するプレゼントとも言えるし、一つの脚本をやってるから、それすべて込みでプレゼントって捉え方もできるし、もっと大きく言えば、ウェブサイトが、ああいうヴィジュアルだったり、ポスティングとかで届いていったり、様々な手段・表し方そういうのも含めてプレゼントって言えるし、何だろ、うん。「身体を認める」。その、届ける対象としての身体を私たちの側から認めるっていうのもそうだし、相手を認めると同時に、それはプレゼントを行うことによって、自分の身体を認めるってことになると思うので、イメージとしてすごい好きな言葉だなあ、と思う。

――今公演のコンセプトだった「上演をプレゼントする」って言い方もすごく素敵だな、と思って。相手を大事に思うという必要最低限のものがあれば、どんな関係性でもあり得るものなので。関係性とか、プレゼントに乗せる思いを制限しないというか。今回の公演のイメージが、それこそずっと日常が続いてて、ちょっと靴脱いで上がってみて、寄り道してまた靴履いて帰っていく、みたいな感じで。演劇を観るのは、私は結構、非日常に行くみたいに思うけれど、今回の稽古はもっと、学校の帰りにみんなで駄菓子屋さん寄って、わーい!ってなって、じゃばいばい、みたいな。ちょっと楽しい、けど日常、という。そういう立ち位置だからこそ、弾かない、というか。スピッツ好きなのでちょっと、巻き込んでいってしまうんですが笑。。

岡澤:どうぞどうぞ笑。

――去年、スピッツ好きなんです、って話をしたときに、ゆかさんがネット上の記事を持ってきてくださったと思うんですけど、それに、スピッツの歌詞は「君と僕の世界」みたいな、閉鎖的なことが書いてあって、でもその「君と僕」っていうのが誰にでも当てはまる、というのがスピッツの魅力だ、みたいなことが書いてあった気がして。それにすごく納得したんですけど、今回の公演はそれに近い?「場」っていう言い方をするには、来た人に限られてしまうけれど、でもそれが誰であってもありうるし、弾いているわけじゃない、というイメージがありました

岡澤:それはすごい、嬉しいです。初期のころの危惧として、インタビューを基に今回は制作しているのを、座組でもそうだし、お客さんにも明言していることではあるんだけど、インタビューされた人たちだけの劇になったら、すごい嫌だな、っていうふうに思っていて。それは何でかっていうと、インタビューを受けてくれた人たち自身も、一種の戸惑いとして、自分なんかがって気持ちもあったり、する、ので。そう。座組だったり、お客さんだったりからしたら、インタビューされた人って当事者なんだろうけど、インタビューされた人自身は、自分は当事者なんだろうか、って迷ってるくらいだから。実体としては「≒」って言ってしまっても差し支えないくらいなのに、そういう閉鎖的な作品になってしまうのって、嫌だなって思っていて。企画を立ち上げた人間としては、そうなるの嫌だなっていうのと、そうならないようにという、そのためにやってるわけじゃないな、という思いと。そう、『シェアリングエンパワーメント』っていう本の引用をさせてもらったんだけど、あれで言ってることが私の考えていることに近いな、と思っていて。すごい個人的な、それぞれの個々の経験みたいなのを扱ってはいるんだけど、でも見ている人だったり、作る側もそうなんだけど、似たようなこと思ったことあるな、とか、これ分かるかもな、とか、あと、自分とは違うかもしれないけど、こういう考え方があるな、とかそういうことってあると思っていて。なんか、そういう意味で閉鎖的なようで、本当に閉鎖的なわけではないっていうのはあるし、そういうふうに座組の人に感じてもらうのは嬉しいし、なんか、それはやっぱり、座組でこういうふうに作ってこれたから、表し方として、今ある形になったのかな、って思うと、すごく嬉しいです。

――顔を見せないことで、余白の部分が映像に生まれた、という話がありました。お客さんはどうしても、聞き手とか受け取る人、受け身の立場であることが多くなると思うんですけど、映像作品にそういう、余白の部分があることで、お客さん1人1人の頭の中に浮かんできたことが、作品の内容と混ざる?というか。それがあると、座組のメンバーがお客さんの話を直接聞いたわけではもちろんないんだけれど、自分の話を聴いてもらった、というような感覚を持ってもらえたりもするのかな、と思います。

岡澤:「プレゼント」の言葉のイメージにまた紐づけて話したいんだけど、プレゼントってもちろん、贈る側と贈られる側がいると思うし、一見贈る側だけが主体的で、受け取る側が受け身な感じがすると思うんだけど。比べたらそうかもしれないけど、実は受け取る側って、受け取るという主体的な行動をしているこう、受け取りにいかないと、届かないわけじゃないですか、贈る側が贈っていることが。なんかその、「受け取る」ってことが、今回の上演にあてはめると、見てくれた人が、自分の思ったことが出て来たりだとか、自分の経験に照らし合わせてみたときに、分かるな、とか、分からないな、とか笑 そういうふうに思ってもらうことが、受け取りに行くっていう、主体的な行動なのかな、とちょっと思いました。

――確かに、そうですね。あの、プレゼントの話題が出てきたので、ちょっと私もプレゼントのことに戻っちゃうんですけど、JITTERIN'JINNってグループで「プレゼント」って歌があって。なんか、設定としては、たぶん彼氏さん?にもらったプレゼントがずっと並べ立てて歌詞になってるっていう。

岡澤:笑 あ、なんか知ってるかも。

――なんかその、この歌はちょっと、悲しい歌で、あんまりいい例じゃないかもしれないんですけど、プレゼントの羅列から2人の関係性の変化が見えるっていうのが、ある種、プレゼントの持つ力が出てるのかなって。最初のころはなんか、良さげなやつが出てきて笑

岡澤:笑

――だんだん、彼氏さん側の気持ちが抜けていくのがわかって、彼女さん側がサビで、「最後のプレゼントをあげる」、みたいなのを言ったり。ちょっとこれは怖い気持ちとか、悲しい気持ちの例になっちゃって良くないかもしれないですけど笑 プレゼントがいろんな気持ちを含みこめるっていうのは、ありますよね。お客さんの気持ちも含みこめるし、もちろん役者さんの気持ちも含みこめるし。

岡澤:そうね、関係が生まれるってすごい、素敵だな、って思って。こう、渡す渡されるの中でつながりができるじゃないですか。この、2者の間で。なんかそれってすごい素敵だなって思うし、「場」の話にもつながってくるんだけど、「場」ってすごい雑多っていうイメージあるって話、出たと思うんだけど、関係がすごいいっぱいあるな、って思って。

――そうですね。

岡澤:いろんなつながりが、「場」に共存するっていうのが、あるなって。その関係性もどんどん、いろんなところにつながってっちゃうんだけど笑、相手と自分との関係性って、だからこそ、その人自身、相手の存在、引いては存在してる場所って身体だから、身体を認め合いながらの関係性なのかな、ってすごい思っていて。今回、そうだね、座組を見ていても思うことだけど、自分のやることを自分ごととして捉えて、相手に何か伝えるときに、ちゃんと相手が受け取りやすいというか、受け取ってトゲトゲしていたくないような形、っていうのかな。なるべく思っていることが、分かりやすく伝わるように、とか。なんか、きちんと手渡すっていうことを丁寧にやってるなあ、って印象があって。各所で。それはすごく、嬉しいことだなあ、と思います。プレゼントが丁寧に、いろんなところで行われていることによって、お客さんに届くときにも、受け取ったときにいい気持ちになるかはわからないけど、嫌な気持ちにはならないだろうな、という自信がある。それを持てるような、作品になったんじゃないかな、と思うと、ほんとに嬉しいですね。

――嫌な気持ちにならないっていう範囲内で、いろんな気持ちを含みこんでいけるような感じ…笑?なのかなと。

岡澤:なんか、人によっては、もしかしたら、嫌な気持ちというか、こう、辛い気持ち、悲しい気持ちになったりすることもあるとは思うんだけど、なんか総じて観劇体験として見たときに、見て後悔するものにはなっていない、と思っています。そう、どんな気持ちを抱いたとしても、それはその人の気持ちなわけだから、認めるという意味でも大事にしたいし、でも、うーん、大事にしたいからこそ、その気持ちはその気持ちとして持っててもらいたい。だけど、こう、なんか、見て後悔するものとかでは全然ないというふうになってる、はい、なってます!

――じゃあ、最後に一問だけ!ゆかさんが公演期間中に「春を感じた瞬間」は?(編集の都合上カットされてしまった回もありましたが、実は他のインタビュー企画に参加した団員にも同し質問をしていました。)

岡澤:春を感じた瞬間!そうだなあ、あ、なんか日記読んでて、ピンクだったかな?外で稽古してみた日に、梅が咲いてるみたいなことが書いてあって。あ、もう梅が咲く時期なんだ、って思って。毎年、卒業公演の時期って、アトリエに行く途中、池みたいなところに梅が一本、あるんだけど、あの花が咲く時期とちょうど重なってて。「卒公=梅が咲く」みたいな。イメージがあるんだけど、あ、梅咲いてるんだ~っていうのは、例年の卒公の感じ、あんまりない今回だからこそ、あ、なんか、卒公だなあ、って思ったっていう。春だなあ、って思った。

↑確かに、梅あったなあ。去年、誰も見ていない隙に香りを嗅ぎに行った、気がする…(画像は由佳さんからいただきました)

――ありがとうございました!こんな感じで、インタビューを締めさせていただきたいと思います~

岡澤:ありがとうございました。

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広報という立場を利用して、個人的にいろいろおしゃべりしてみたかった願望を叶えようとしたところ、当初の予定より遥かに長いインタビューとなってしまいました…。由佳さん、ご協力ありがとうございました!そして演出お疲れ様でした。
さて、『ほらまたね。』の配信は、本日3月7日が最終日です!まだご覧になっていない方、(ちょっと速足で)ぜひお立ち寄りください。まだ終わってないぜ…!お待ちしております!! 

そして今公演のnoteを最後まで見守ってくださった皆さん、お付き合いありがとうございました。いつかまた「アトリエで」お会いしましょう。お元気でお過ごしくださいね。長文お読みくださり、ありがとうございました。