マガジンのカバー画像

研究。

16
詩論を中心に独学おじさんの考察あれこれ。
運営しているクリエイター

#詩人

わたくしの吉原幸子研究2022年

☆吉原幸子研究その1。2022年1月1日から2月7日に記す。 2022から40を引くと1982。40年前わたくしは吉原幸子という詩人がこの世にいることを知らなかった。中1だった。興味はベストヒットUSAが教えてくれる洋楽のヒットチャートに限られていた。文学にも詩にも無関心だった。1932年生まれの吉原幸子さんは50歳。現代詩のど真ん中にいた。雑誌「現代詩ラ・メール」を新川和江さんと創刊したのが1983年であるからいよいよ戦闘開始の時期にあたっている。1982年9

時間による支配から人類を解放するための第三試論:四季派の詩人たちを例に。

様々な詩論を通して「時間」の束縛から解放される道を探る。戦争に反対する。 1. 竹内勝太郎氏は「詩論一」の中で次のように云っている。 《表現と云うことを取り除けば芸術は成り立たないと一般には考えられているであろう。然し私の詩に要求する処は先ず最初にこの表現の否定でなければならぬ。》(『竹内勝太郎全集』思潮社。第三巻。17頁)。 竹内勝太郎氏が上記の言葉を記したのは1932年9月21日である。 私たちは小学生の頃から美術や音楽の時間に「表現しなさい」と教えられる。また国語の時

時間による支配から人類を解放するための第四試論:分類詩学を構想する。

耳の詩・目の詩 理性の詩・感情の詩 美術系・音楽系 1. 詩は耳にするものか。それとも目にするものか。私たちは文字に書かれたものとして詩を認識しているのではないか。本をパラパラとめくり。行分けされ。余白の多くなっている箇所を見ると。「あっ詩が載っている」と思う。句点や読点がなければなおのこと。つまり形式を見て判断している人が大半を占めるのではないか。これは詩が目にするもの(視覚に訴えるもの)であることをあらわしている。 ところが世の中には詩が音楽に乗って流れている。何気なく