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久しぶりに観た「恋する惑星」はどうしてこんなに胸に刺さってるんだろう

「恋する惑星」という映画を知っていますか?

 1994年の香港映画で、ぼくが学生のころにやっていて、観に行った映画です。当時は、監督ウォン・カーウァイのおしゃれな映像とポップな色彩が話題になっていましたね。

 今回、本当に久しぶりに観たんですけど、やっぱり良かったですね~、というか、なぜだか心に深く刺さってしまったような感じになってしまいました。

 映画は2部構成のような作りで、金城武がメインの前半と、フェイ・ウォンとトニー・レオンがメインの後半とで構成されていますが、深く印象に残るのは断然後半のストーリーの方ですね。


 ストーリー的には、フェイ・ウォンが勝手に好きな人の家に入り込んで掃除をしたり、相手の男トニー・レオンがそれに気づかなかったり、気づいても自然に受け入れたりと、非現実的な状況が展開するのですが、そんなこともひっくるめて、全部が素敵なんですね。


 そして、どうしてなのか、観終わった後もずっとこの映画が胸に刺さってしまって抜けない、というか、心の底にオリのように溜まってしまった、という現象に陥ってしまいました。

 少し揺らせば、そのオリがまるでスノードームの雪のように感情が揺さぶられてしまうみたいな感じなんです。 切ないような、哀しいような。

 以前に観た時にはそんな想いは抱かなかったように思うんだけど、やっぱ年のせいでしょうかね。

 ウォン・カーウァイの淡くて詩的な映像には、そのような想いを喚起させるものがあるのかもしれませんね。

 それと、これまで積み重ねてきたいろんな経験も影響しているんでしょう。


 色んなものが、儚くて、かけがえのないもの、かけがえのない時間のように思えてくるんです。


 恋、失恋、すれ違い、届かぬ想い、でも届けたい想い、名残惜しさ、移り変わり、夢、そのような儚いものばかりが集まってできているのが、この惑星であり、この映画。

 原題は「重慶森林」ですが、「恋する惑星」という邦題はとてもいいと思いますね。
 フェイ・ウォンもとてもチャーミングだったし、彼女の歌う「夢中人」(挿入歌)も印象的でしたね。


 今の若い人たちが観たら、どんな風に感じるんでしょうね?



読んでいただいて、とてもうれしいです!