”期待”とは

書くことで、嫌な思考の渦から少しでも身を引きたい。
書くことで、整理されたり
あれ、これ大したことないって思えたり
負の感情からの回避として使わせてもらう。

唐突だけれど、
私は生来他人に期待してしまう傾向がある。
期待と言っても、
「これをやってくれるかもしれない」
とか
「~~に気が付いてくれるかもしれない」
とか、多くを求める期待のつもりは微塵もなく、
ただ、時間通りに約束の場所に来るとか
前に言ったことを覚えているとか
そんな些細な、”期待”なのだけれど。
これを”些細な”と言っている時点で問題なのだろうか。

そして、さらに質の悪いことに
私は他人の期待を察して、あるいは勝手に作り上げて
無意識下にそれに応えようと頑張っている

相手の期待に応えたとき、
感謝されたとき、褒められたとき
私は、なんでもできちゃう!という気になる


かれこれ20数年生きてきて感じることは、
思った以上に周りは周囲に”期待”していない。
そして、もちろん私の勝手な期待に応えてくれなんかしない。
”期待に応えてくれない”
なんてそんな他責的なこと言いたくないのだけど。


Twitterや本では
「他人は思い通りにならなくて当たり前だから
まずは、自分が他人へ期待することをやめるが良い」
みたいなのを目にする。
意図的に他人に期待しない努力を試みた。

けど、期待って実は
それが裏切られたとか、うまくいかなかったときにしか
自分が”期待”していたことに気が付かない。

だから、”期待”してしまうのは仕方がないけど
自分が”期待”していたんだな、と思い知ったときは
「所詮他人なんだから、みんなそれぞれの想いや
考えがあって行動しているんだ。落ち込んでたって仕方ない」
と、自分に言い聞かせて
セルフアフターケアをしている。



他人に期待しないが吉論は
一度浮かんだ期待を打ち消すということなのかな…
例えば、気になるあの人からの連絡、来ないかなぁ。。
「ダメダメ!そんなの期待してたって、来ない可能性の方が高いんだし!」
とか頭の中で打ち消すみたいな。
落胆を避けるための”回避”としてそれは普通に行われているか、、!



とにかく、私は他人への”期待”をやめられないことに
しばしばがっかりしています。
(自分にも”期待”して裏切られている。。)



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