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はねられた野良猫を抱えて病院へ行ったお話。

もう2年以上前のことになります。まだ薄暗い早朝に自転車に乗って朝練に向かっていた時、側溝の中にうずくまっている猫を見つけました。

一人暮らしを始めたばかりの私は学校に行って友達に会うまで声を出すことがないのが寂しくて、普段から道端にいる猫に「おはよ」と声をかけていました。

「おはよ」
「にゃあ、にゃあ、にゃあ」

挨拶を返してくれたのかと思ったけれど、なんだか様子が変で前脚だけ動かしてずっと鳴いていました。私は自転車を道端に停めて猫を側溝から道路に出してみると外傷は無さそうに見えたけど、一歩も歩けないどころか体を起こすのも辛そうでした。

なんでそんなことができたのか何も考えていなかったのか今では全く覚えていませんが、着ていたアウターで猫をくるんで両手抱えて自転車を道端に停めたままとあるところを目指して全速力で走りました。

20分ぐらい走って着いたのは動物病院。
実はその1年ほど前に巣から落ちた雀を拾って診てもらったことがあったので、とりあえずそこに行くことしか頭にありませんでした。しかし、まだ朝7時前なので当然病院は開いておらず、ドアを叩いてインターフォンを連打して「すみませーん、すみませーん」と叫びました。今考えればすごく迷惑な客です。

病院の前にあった階段で猫を抱えて座り込んでいると、出勤してきた白髪でひげもじゃの先生が中へ入れてくれました。部屋の電気をつけながら「あの時の子か、次はどうしたの。」と聞いてくれました。雀を拾ってきた女子大生のインパクトは大きかったようです。

外傷はないけど弱っているとのことで、検査と入院をお願いしました。その日は大事なテストがあったのでとりあえず走って自転車を取りに行って(笑)、大学へ。

大学の帰りに病院へ行くと、検査をしていただいた結果、車に撥ねられたのではないかとのことでした。また、体の状態から野良猫ではないかと言われました。

明らかに朝より元気がなさそうにゲージの中で寝ていたにゃあちゃん(テスト中に名前を決めました)。私の姿を見てふらふらしながらも立ちあがってくれました。その様子を見て先生はびっくりしていました。

それから1日3回は病院に顔を出しました。
私を見るとゲージの出口に顔を寄せてくれたにゃあちゃん。
いよいよ立ち上がれなくなったけど撫でてあげるとごろごろいうにゃあちゃん。
もう顔をあげることもできなくなったけどずっと手を舐めてくるにゃあちゃん。


どんどん愛着が湧いてしまったにゃあちゃんは、3日目に他界しました。


先生が気を遣って用意してくれた部屋で、両手で抱えて大泣きしました。

Twitter等で「#迷い猫」と投稿して飼い主を探していましたが最後まで見つからず、先生に相談して火葬しました。



ちょっと経ってから先生にお礼のお菓子を持って行きました。検査も入院も火葬もしてくれたのに、大学生の私を気遣ってすごく安い値段にしてくれたからです。

「本当にありがとうございました」と頭を下げた私に
「もう何も拾ってこないでね」と笑った先生。

ひげもじゃなのに笑顔がよく伝わる先生がとっても素敵でした。



今でも道端で猫に出会うと思い出します。

にゃあちゃんが野良猫だったなら3日間でどうしてあんなに私のことを呼んでくれるようになったのか、とか。

野良猫じゃなかったとしたら最期を看取れなかった飼い主の気持ちは、とか。飼い主に会いに行きたかったんじゃないのか、とか。

あの時よく自転車をほったらかしにして病院に走ったな、とか。

本当は手を差し伸べるべきじゃなかったのだろうか、とか。

また同じことが起こったらどうするだろうか、とか。


世間には色んな意見があると思うけど、
私は同じことが起こってもまたなんの迷いもなく抱えて病院へ走ると思うし、
ひとりで世界の片隅で息を引き取ろうとする小さな動物にも毛布をかけて最後の温もりをあげられる人でありたい。

それは最後まで私を見つけると一生懸命反応してくれたにゃあちゃんがありがとうと言ってくれていたように感じるから。



最後まで読んでくださってありがとうございました。

そしてたくさんお世話になった先生、本当にありがとうございました。



大学4年間を振り返ってみて、どうしてもにゃあちゃんのことを残しておきたくなって書きました。







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