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まことお兄さんありがとう。

1日24時間しかない。1日24時間もある。さて、どっちだろう。
子育てでみたら圧倒的に前者だ。インスタやアルバスで去年の今頃の写真を見ると「え!」と思う。
ありふれた感想だけど、本当に昨日の事の様なのだ。

さて、それが夫婦とか仕事とかになるとどうだろうかと考えてみると、24時間が長く感じる事があったりする。

誤解があってはならないが、決して妻や仕事が嫌いな訳では無い。
どちらも自分を助けてくれている存在だし、妻や仕事との関わりを通して自分という人間を作ってくれている存在。
双方に感謝しているし、これからも貢献し続けていきたい。

けど1日24時間、1年365日の大部分を家族と仕事で占めている中で、掛け違えたボタンみたいに夫婦の仲がぎこちなくなってしまう場面はあるし、働いていれば誰かの言動が気に障る場面もある。取引先とか、会社という組織を超えた関係性でうまくいかない場面だってある筈。
それが発生してしまう事自体は仕方がないと思う。
実際にそういう場面に遭遇した時、1日が長く感じてしまうし、時間が経てば解決するだろうという事も、そもそも時間の経過が一気に遅くなって感じてしまう。

1日24時間が永遠に過ぎない様に感じてしまっている時、そこでかかる悪いストレスをどうやって解放していくのか。その方法は一つでも多いと良いと感じている。

独身の時だったらそういう時にはライブハウスに行っていた。
拳を上げて、汗まみれになって、同じような不器用そうな仲間を担いで、たまに自分も担いでもらっていた。
あと、野球場の外野スタンドに陣取って、大きな声でかっとばせー!と叫んで、そしてスクワット応援に励んでいた(カープファン)。
そうすると不思議とパワーが湧いてまた明日から頑張れたりしていた。
だからその時はそれで良かった。

子供が小さい今はまず、何よりも子供の生活リズムを尊重する必要がある。
自分に使える時間とお金(それな)は圧倒的に少ないから、それをクリアした上で子供の時間と自分のストレス発散を両立していける手段として、ハンドドリップでコーヒーを淹れる事を覚えた。それは自分にとって革命的な事だった。

でも、それだけじゃ解決しない事がある。いくらコーヒーを淹れても心のモヤモヤが奥底に残っている。
今日はそういう日だった。

でも、それは意外な手段で解決した。
娘がお母さんといっしょに夢中になって以降、夫婦でファンになっていたまことお兄さんの最後の出演回の録画を見て、不覚にも泣いてしまったのだ。
ちなみに奥さんはリアルタイムで見て既に泣いて、その後も録画を見るたび泣いていたらしい。

まことお兄さんが卒業する寂しさ、最後の演出、地方公演のシーンの、まことお兄さんの少しウルっとしている瞳。

ひとしきり泣くと、不思議な事にコーヒーでは流しきれなかったモヤモヤは涙と一緒に流れてしまっていた。

まことお兄さん、ありがとう。
今日、自分にとってのストレス発散の方法を一つ学びました。
泣けば良いんだよ。

P.S
なんとファミリーコンサートに当選したので、ゲストでやってくるまことお兄さんに会える事になった。
日頃の行いが良かったんだろうな〜。
夫婦で楽しみにしている。

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