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雨の日。マックスヴェーバーに魅了されて。

 皆さんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?
今日は生憎の雨。雨の日は寝坊しても許される(気になる)ので俺は好きだ。
たまにはのんびりグダグダ生活でも送ろうではないか。
今回は、先日読んだマックス・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と精神」 について述べていこうと思う。
彼は宗教的倫理と経済学を結びつけるという偉業を成し遂げた政治学者、社会学者、経済学者である。(肩書きが実に多い。落合陽一氏のよう。)
以前池上彰氏がこの本を、大学生のうちに読むべき本として日経新聞にて紹介していた。池上彰氏も太鼓判を押すこの作品!

とにもかくにも、さぁはじめよう!

 プロテスタンティズムの倫理と精神は実に面白かった。
資本主義社会が形成されていく過程と宗教的な変化(詳しく説明すると古くからのカトリック的な伝統主義からルターやカルヴァンを経て)を照らし合わせる時点で、彼の思考に脱帽するばかり。

彼の主張は、商人たちを内面から動かしてる営利精神や営利原理といったものが、社会の到るところへ浸透した結果、近代資本主義が生まれた。との解釈は誤りである。営利精神は後から派生したものだと。

まあ中国の例をとってみれば分かりやすい。古くから西欧よりも中国の方がより商業的自由があったのにもかかわらず、資本主義経済は根付かなかった。逆に西欧においてはいち早く資本主義社会の土壌が生まれた。
更に深入りすると、カルヴィニズム(正確にはピューリタニズム)から生み出された「予定説」という概念がキーポイントになる。そこから内面的孤立化が生じ、更には個人主義へ帰結。功利主義的な見方へと変化したとも言える。

 神への報いに答える唯一の活動が"労働"であるとカルヴァン派は主張する。そうして、労働を「天職」と見なすことが近代の労働者の特徴となった。
ピューリタニズムを主張する者が国家的特権に立つ独占企業など"政府の権力"に抵抗した、という歴史により注視する必要があると思う。そこから天職概念に加え競争概念が生まれたわけか。

最後に本文を引用して終わりにしよう。グッとくるものがある。

「営利活動は〜今では純粋な競争の感情に結びつく傾向があり、その結果、スポーツの性格を帯びることさえ稀ではない。将来この鉄の檻の中に住む者は誰なのか、そして、この巨大な発展が終わるとき、全く新しい預言者たちが現れるのか、あるいはかつての思想や理想の力強い復活が起こるのか、それとも、、まだ誰にも分からない。
こうした文化発展の最後に現れる"未人"たちにとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。
精神のない専門人 心情のない享楽人。これらは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう、と。」

歴史を学ぶことには意義がある、とつくづく感じる。
ヴェーバーは、今後も、問いかけ続けるのだろう、と思いつつ。

では!またの日を!

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