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8月6日。Hiroshima marks 75 years since nuclear attack. 恒久平和を願って。

私はベランダで蜘蛛を飼っている。厳密に言うと、蜘蛛を放任している。
なぜそんなことをしているのかというと、理由は一つ。
ベランダで育てているバジルに虫がたかるからだ。
蜘蛛は私のベランダ全体に糸を張り巡らせており、そこに不注意な虫は飛び込む。
つまり、蜘蛛はベランダの番人。

今日は8月6日。広島に原爆が投下された日。
彼ら被爆者の思いとは裏腹に、国際情勢は、「核無き世界」との溝が日に日に深まっている。

アメリカ対中露の構図が徐々に深刻化していき、中東や南米、様々な地域で軋轢が生じている。
また、核の傘に頼っている周辺国の日本や韓国、NATO加盟の欧州諸国は、板挟み状態と都合の良いことばかり並べて、未だ身を潜めている。

2017年9月20日、ノーベル平和賞を受賞した「ICAN」の働きかけにより、核兵器の全廃と根絶を目的とした画期的な条約「 核兵器禁止条約」が起草、採択された。

ただ、同条約は現時点での批准国が40カ国と、未発効のまま。
発効されたとしても、第三国適用の可能性は極めて低い。
さらに言えば今後、核を禁止したとしても、イタチごっこのように、それに代わる新たな兵器(サイバー空間や宇宙領域、ウイルスなど)が台頭してくるだろう。

それでも「恒久平和」という全人類共通の願いを叶えるうえで、同条約の発効は大変意味のあることだと思う。

今日の国際情勢下における、日本国の微妙な立ち位置からしても、批准が困難であることは容易に理解できる。
ただ、これからはそうはいってられない。

網を張り巡らすベランダの番人、蜘蛛に頼ってばかりの僕も変わらくてはならんのだ。
虫が集まるバジルは平和の象徴、虫を愛せるような寛大な心を持って、包囲網なんて早いうち取っ払ってしまおう。

そうそう、核兵器の全廃を論じる際に出てくるのが、理想主義と現実主義の対立。それに関してちょいとばかり私見を。

僕は、理想論には大別して二つの類型があると考える。
一つはそれを掲げることによってプラスの作用を生み出すもの、もう一方はマイナスの作用を引き起こすもの。

プラスに働くものとは至極普遍的な、有徳で定言命法で、人類共通のもの、対してマイナスをもたらすものとは、偏狭で、理想と現実の乖離が相当な悪影響につながるものである。
(恐らくだが、今僕はカントのような義務論的考えに苛まれている。)
まぁこればかりは主観性が関わってくるので一概に境界を画定することは不可能なのだが。

この「核無き世界」という理想論は間違いなく前者ではあるまいか?

僕はそう信じたい。



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