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スパゲティ、パスタ戦争

パスタとスパゲティに関して物申したいと思う。
 
私が子供の頃は、
パスタという言葉はなく、
イタリアの麺、ああいう食べ物は全てスパゲティだった。
味噌醤油文化の日常において、
時々出てくるトマト文化の非日常感は、
子供心に少しワクワクする食べ物であった。
 
しかしいつの頃からか、
パスタという言葉が流行りだし、
スパゲティという言い方は影を潜めてしまった。

女性を食事に誘う時、
「スパゲティ屋に行かない?」というより、
「パスタ屋に行かない?」と言う方が
何故かオシャレ感さえ漂う。
スパゲティというと、
若干恥ずかしい感じさえ滲むようになってしまった。

しかし、そもそもスパゲティはパスタの1ジャンルだ。
首都高がパスタなら、湾岸線はスパゲティなのだ。
「首都高走らない?」と言うよりも
「湾岸線走らない?」と言ったほうがむしろオシャレではないか?
しかし、物知り顔な港区女子たちは、
夜な夜な夜景の見えるリストランテで、
ここのパスタはラグー・アッラ・ボロニェーゼのタリアテッレが美味しいのよ、
などとマウントを取ってくる。どうせ最近知ったくせに
お前にはマカロニサラダがお似合いだ。
 
 
パスタだろうが
スパゲティだろうがどちらでも良い。
デニムでなくジーパンで良い。
カップルでなくアベックで良い。
日本人なのだから、通じれば良いのだ。
仮にきしめんのようなパスタが出てきても、
タリアテッレなどとスカした言い方はせず、
「この平打ちスパゲッティー、おいしいねー」
と言っていたい。

スカした女子からすれば、
「私は本場の正しい言い方をしているだけ。
むしろ全部スパゲティといってしまう
貴方は無知な人」
とマウントを取ってくるであろう。

しかし、そんなに海外が好きなら、
海外に行ってしまえばいい。
なぜ外国の方が優れているのか。
それを知っている貴方はなぜ私より優れているのか。
明治時代からの、極東アジアの劣等感からくる
欧米への憧れ文化を引きずる、
この令和の時代にはもはや古い人。
私はむしろずんだ餅やだぶ汁にオシャレを感じる。
マウンティング女子たちよ、そろそろ気がつくべきなのだ。

ちなみに、
最後に申し上げておくと、
私はマリトッツォは世間で流行る前に、
誰よりも早く食べた。

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