見出し画像

山と海で大きく息をつく

筑波山に登り始めるときは、決まって元気に、陽気に、なんだってできるような快活さを備えている。だけど、その日の岩は濡れたコンビニより滑るし、土は木の根と石で不安定だった。頂上に近づくにつれて、全能感はなくなっていき、自分の体の限界に気づいていく。登りきると、疲労感は体にのしかかる。自分は大きな自然と比べて、小さな存在だと知らされる。広く小さなまちを見て、疲れているのだけど、心は早朝の霧が次第に晴れるような感覚になる。癒されるというより、自然に諭される。

初日の出を見に行くときも、綺麗な陽を浴びる想像でワクワクしながら車を走らせた。しかし夜明け前は、冷え込んだ。針で撫でられるような風が絶え間なく吹く。砂浜は広く、海と陸の境界線までは遠い。しかし、徐々に雲は桜の花びらのようになり、昇る太陽は空を色づけていった。広がる海は、人間が見ることができる限界を教えてくれる。自分を大きな目で反省するいい機会になる。でも、寒い。

山と海にいくと、自分の心の外縁が広がっていくような気がする。一方で、体の限界を知る。自分は小さな存在で、ちっぽけなんだけど、それでいいんじゃないかな、と思える。僕は、そこでなら大きく息をつける。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?