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サトヤス、[ALEXANDROS]から勇退だってさ

「[ALEXANDROS]庄村聡泰 ベストアルバム発売を持って勇退」

その知らせは午前中、不穏な時間帯のFCからのメールだった。普段なら決まって夕方にライブフォトの更新や番協の募集などのお知らせをするメールが午前中に来るなんて、嫌な予感しかしなかった。

案の定、不安を唆すタイトルだった。お昼の12時を回ると公式サイトをはじめ、各音楽サイトが発表した。予想通りだった。

サトヤス、勇退だってさ。

正直、こうなることはリスナーの私も分かっていたんだ。「局所性ジストニア」という病名を聞いた時から、ドラマー生命が危ないかもしれないと思った。なぜなら上記の記事通り、有名ドラマーがその病気にかかっているからだ。完治したミュージシャンもいれば、リハビリ中のミュージシャンもいるのが事実である。サトヤスは、後者だった。

さいたまスーパーアリーナでのファイナルでは一時復活を遂げたが、完全復活ではなかった。ラストの曲が名曲「ワタリドリ」だったのだが、あんなに寂しそうな「ワタリドリ」をはじめて聴いた。「以上[ALEXANDROS]でした、ありがとうございました」って謙虚してるんじゃないよ、いつも洋平さん「We are [ALEXANDROS] mother fxxker!!」とか言ってるくせにさ。ライブハウスみたいに叫んでよ、まーくんもギターかき鳴らしてよ、ヒロさんもまーくんに負けないようにベース鳴らしてるじゃん、サトヤスもドラムがむしゃらに叩いてよ、あの適当にかき鳴らす音が無かった、最後の曲なのに、物寂しかった。

「サトヤス勇退」その知らせを聞いた時、物凄い虚無感に押しつぶされた。バンド脱退でよくある「音楽性の違い」とは違い、サトヤスはドラムが叩けなくなり、バンドを脱退したのだ。プロ野球選手が肩を壊して野球が出来なくなり引退したのと同じことなのだ。バンドを解散してまた新たにバンドを組んで音楽をやるのではない、サトヤスは音楽が出来ないのだ。私はたくさんのバンドが好きで、たくさんのバンドのライブに通っているけれど、[ALEXANDROS]に対するリスペクトは別格である。人生を豊かにしてくれたバンドのドラムが病気で脱退だなんて、このバンド人生、これほど残酷なことはないと思った。

帰宅してYouTubeの配信をみた。あの4人が揃っている姿に安堵した。メンバー全員からの言葉があった。彼らの発する言葉が全て愛でしかなかった。和気あいあいとしたいつもと変わらぬ雰囲気、もうライブではあのMCが聞けないと思うと余計に辛かった。

「ドラムを叩く時だけ右足が動かない。叩くと10分で右足が動かなくなる。街も普通に歩けるし、それ以外は元気だ」そうにこやかに話すサトヤスの姿が辛かった。そんなことある?もはやドラムを叩くのを阻止するかのようじゃないか。サトヤスの叩くドラムが大好きだった、特にサトヤスが叩く「Waitress,Waitress!」と「Stimulator」が好きで、ダイナミックでパワフルながらも丁寧なドラミング、曲を支えながらフロント3人の背中をドンっと押すような強い音が好きだった。

なんでドラマー生命を止めたのがよりによってサトヤスなんだよ、なんで10周年を控えたタイミングでの試練なんだよ。本人やメンバー、スタッフが一番悔しいはずなのに、なぜかリスナーの私が一番悔しいと思ってしまった。

私は年末「BIGMAMAのリアド脱退」の発表から不穏な空気を感じた。私に限らずドロスファンはだいたい思ったと思う。リアドがドロスに加入するのではないか、と。リアドがドロスのサポートに専念するのではないか、と。
上記の記事では「仮にサトヤスは戻ってきたら、リアドはどこに戻るのか?」と思い書いた。だが、結論サトヤスは帰ってこれなかった。となるとリアドのドロス加入説が濃厚になる。加入で無くても専属サポートという形もあり得る。もう時期、点と点が繋がっていくことになるだろうか。

先日、遠征先で偶然洋平さんと会った。あまりにも突然の出来事で、伝えたいことは山ほどあったものの失礼にあたるのでは?と思ったりして何を話せばいいか分からず、結局「またライブに行きます」とテンプレート通りの会話をした。洋平さんは「またよろしくね」と色付きのサングラス越しに私の目を見て手を軽く合わせ、気さくに返してくれた。(洋平さんは毎回たくさんのファンに声をかけられているし、私と会ったことなぞおそらく覚えてないと思うが)私はその「またよろしくね」をサトヤスが帰ってきたドロスのライブだと勝手に捉えていた。それは既に叶わぬ願いだった。

バンドのライブに通いはじめて早10年が経とうとしていて、はじめて人生変わったぐらい好きなバンドからメンバーが抜けた。まだまだサトヤスのドラムを聴きたかったし、サトヤスなら復活すると思ってた。フェスでBIGMAMAと日割り被って、同じ日にサトヤスとリアドのドラムが見れる日が戻ってくると信じていた。

洋平さんはよく「俺らは変わったと言われるが、それはあなたが変わっていないだけだ。これからいろいろ変わると思うけど、俺らを受け入れられなければ離れればいい」とラジオやライブのMCで話したのを何度か耳にした。私はその洋平さんの言葉でドロスについていこうと思った。もしかすると他のアーティストが同じことを話していたらカチンときてしまっているかもしれないが、[ALEXANDROS]にはついて行きたかったのだ。世の中に無数のバンドが転がっていて、その中でも[ALEXANDROS]だけは信じられたのだ。そのことは先日の沖縄でも似た様はことを話していて、いつもと同じこと言ってるなと思ったから疑いはしなかった。今思うとその「変わること」はサトヤスの勇退のことだと思う。

どうしても見て欲しいライブ動画がある。それは去年の「Sleepless in Japan Tour」のライブハウス編でのツアーファイナル、沖縄ナムラホールのライブだった。私のカメラロールに収まっている[ALEXANDROS]のドラム・サトヤスの勇姿だ。「元[Champagne]の皆さんです」の紹介から始まった「For Freedom」。この時はおそらくサトヤスの病気が発覚する前、完璧な[ALEXANDROS]のライブだ。
「自由にしていい!」洋平さんのその言葉通り、奇跡の撮影O Kだった。なぜかドロスのライブではダイバーを毛嫌いする人は多いけど、私は[ALEXANDROS]のダイバーはとてもカッコいいと思う。特に男子が飛んでると燃える。構わず飛んでいく「For Freedom」のダイバーもカッコ良かった。これだよ、これがライブハウスの[ALEXANDROS]だよと思って泣きながら震える手で撮ったのだ。


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人柄の良いサトヤスなら人脈もあると思うし、ファッションセンスにも長けているからミュージシャン以外でも活躍できる場は多いと思う。でも、[ALEXNADROS]を勇退してもという大きな看板は一生背負っていて欲しい。職場の先輩でも、友人の友人でも、飲み仲間でも無い、[ALEXANDROS]のドラムの庄村聡泰に出会えたことが誇りなのだ。

アリーナワンマンで堂々と叩く姿、ステージに立つたびにファンを獲得するような圧巻のフェスでのステージング、ライブハウスでリフトしてもらった時にドラムまで見えた景色、思い出すとキリがないけど、全てサトヤスが洋平さんの背中越しに見ていた景色と同じぐらいにサトヤスがドラムセットに座っていた頃のステージは美しかったのではないだろうか。

こんなに前向きにメンバーを送り出せるバンドも希少だと思う。配信を見て家ではちゃめちゃ泣いたけど、寂しさ半分、安心半分だった。きっと彼らはどこまで行ってもサトヤスの存在を連れていくんだと思った。「サトヤスに見せたかった景色がこれだ」そう言いながら、ドロスは今以上にもっともっと飛んでいく気がするのだ。

どこかの道でお会いできる日があるならば(私の謎の運の良さではあると思う)、そのときは1ファンとして声援を送りたい。彼のバンド人生を微塵ながらも、支えられて幸せだった。

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遠征先で偶然お会いした時に撮っていただいた写真。こういう時にこういう写真を堂々と上げるんだ。小顔でオーラが洗練されててかっこいいでしょ。自慢とか思われてもいいのだ、自慢なのだから。あの時はありがとうございました。[ALEXANDROS]のサトヤスさんが一生大好きだ。胸張って勇退しても、私の心で[ALEXNADROS]のドラムのサトヤスさんで生きさせてもらうよ。

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