見出し画像

極楽浄土は地上にあった【ちりぬるを/椎名林檎と中嶋イッキュウ】

情報解禁から3日経ったが、未だに理解が出来ないのだ、あの歌姫・椎名林檎と大好きなイッキュウさんがコラボしたことも、林檎さんからイッキュウさんに向けたコメントも…


tricotは好きだが

初めに、私はtricotが大好きである。

今まで見たライブの本数やSUSU by Ikkyu Nakajimaも含めて買ったグッズなど総額を数えたくないぐらいには現場に現在進行形で通っている(今週の個展も行く気満々である)

しかし、そんなイッキュウさんを好きだからこそ首を傾げる節がある。まずは林檎さんのコメントを読んでみよう。

「亡くなった人や動物に対して必ずしも永遠の別れを告げる必要はないと私は思っており、1曲目の『ちりぬるを』ではその隠された呪詛を描きたかったんです。

なので、弔いの場では忌み言葉とされているような語句も敢えて使っているのですが、それを私が一人で歌うとグロテスクなものになってしまうんじゃないかと。

そこで、中嶋イッキュウさんの持つ清潔さ、誰にも侵せない神秘性を拝借しました」

ぶっちゃけ、イッキュウさんの歌声を「艶っぽい」「色気がある」と思ったことはあるが、「清潔」「神秘性」と感じたことは一度も無い。

というのは、古来のtricotファンなら心当たりしかないと思う。

まず、コロナ以前のtricotのライブはかなり激しく、あの目まぐるしい変拍子でもライブのフロアではモッシュやダイブが当たり前にあったし、なんならよくメンバーも客席にダイブしてきたり、客席に降りて演奏したりするなど、かなりぶっ飛んでいてアクティブだった。

ここまでならよくあるロックバンドのライブなので特になんとも思わないが、他にも様々な形態での企画のライブを開催している。

昨年は「蜜着」というイベントを開催し、対象チケットの購入者はリハーサルから本番まで撮影可能、さらには打ち上げまで参加でき、1スタッフとしてライブに参加出来るという一見してファンとしては大変嬉しいがどう考えても狂ったライブイベントを遂行した(そして私も行った)。

一番意味不明なのがTENGAとコラボしているのだ。絶対使わないのに。ある年、女性限定ライブを開催したのだが、その際にTENGAと大々的にコラボレーションし、会場でTENGAが売り出している女性用のデリケートゾーン用ボディソープのサンプルが配布されるという怪奇イベントが発生した。しかもライブ中にはメンバーが客席にTENGAを投げ込み、ライブ中に客席からゴキブリが出た時よりもドン引いた悲鳴が上がった事例もある。

ここまで音楽的な話を全くしていないのだが、百聞は一見に如かず、椎名林檎さんのファンの方は絶対に触れもしないようなtricotの変拍子を聴いてみれくれ。この曲結構ライブでよくやってるけど、未だに最後まで拍子が取り切れたことない。

私が思う椎名林檎姫

そんな私も椎名林檎というカリスマ歌姫の圧倒的存在感は無論存じている。

だがしかし、正直椎名林檎も東京事変も詳しくも無ければ、かといって音楽人生で強く影響を受けているという訳でもない。

だからこそ、ここからは「tricotのファンから見た椎名林檎」として林檎さんを勝手に紐解いてみたいと思う。

曲の解釈

ファンの熱狂っぷりから林檎さんの存在こそが宗教的とも思うが、おそらく林檎さんが宗教に肩入れしていると言うより、一匹狼で宗教や神そのものよりかは、宗教として成立するまでの過程や、神を信仰する人の心理に魅力を感じているのではないか?と思っている。

それは仏教、神道、キリスト教など含まれるが、特にこの曲では仏教が色濃く出ているように思う。

おそらく「ちりぬるを」は「いろはにほへと」のアンサーソングに位置するが、「いろはにほへと ちりぬるを」は「諸行無常」という意味だ。

現代語訳すると「香がよく色も鮮やかに咲き誇っている花もやがては散ってしまう」と言った意味になる。

「ちりぬるを」の曲の意味としてはMVの喪服姿や「最期」と表記しているあたり「恋人/大切な人や動物との死別の歌」であることは明白だ。

コメント冒頭の「亡くなった人や動物に対して必ずしも永遠の別れを告げる必要はないと私は思っており」の部分だが、私も共感できるのだ。

例え近しい人が故人となった場合、「故人の存在を思い出すだけで故人が生きていると同等に捉えても良い」ということを提唱していると思えるからだ。

”死”に焦点を当てると輪廻転生の話に見えるが、この曲は諸行無常と是生滅法の曲だと思う。

「世の中のあらゆる存在は無常(常に変化し続けるもの)であり、生じては滅するということが本質である。この生滅の世界を超脱しおおせた、寂滅(涅槃)の境地こそが真実の楽である」

前半の「諸行無常」「是生滅法」を意訳すれば、「世の中は常に移り変わって当然で、生まれてから死ぬのも当然」と言った内容である。後半の意味はその生死の迷いを超越すれば、本当の幸せに辿り着けると言ったものだ。

当然、現代でも忌み嫌われる”死”だがこの曲では「死別は当然のこと」と言うことを言いたいのかもしれない。相手方がこの世を去った場合も、自分がこの世を去った場合にも。

グロテスク性を緩和する錠剤

林檎さんは「自身が歌唱するとグロテスクになる」とおっしゃっているが、林檎さんの声質だけで話すと私はそうは思っておらず、どちらかというと陰陽で言えば陽だし、かつアンニュイながらも先鋭で艶っぽい印象を受けるので「グロテスク」と感じたことは皆無だった。

林檎さん本人が思っている「グロテスク」はおそらく「罪と罰」のようなドストエフスキーの原作小説にもあるように、宗教による思想や貧困が引き起こす社会問題を題材としたエッジの効いた歌に対してそう思っているのだと思う。

同時に、自身の圧倒的影響力でもしかしたら直接的な言葉を使っておらずとも、最悪は彼女の言葉で誰かを死に至らせてしまう可能性があってしまうと思ったのでは?と思うのである。

.

「ちりぬるを」に必要な要素として、林檎さんがこの曲に欲しかったのは第一にポップ性だと思う。

アルバムの1曲目から死別の歌が来る訳で、そんなヘビーでグロテスクな曲を緩和するには、”毒されない絶対的なポップ要素が必要"と考えたのではないだろうか。

そこで白羽の矢が立ったのが、我らが中嶋イッキュウという訳だ。

ボーカリストとしてのイッキュウさんは、tricotの音楽をジャンル分けすれば変拍子が多用されるためマスロックやプログレなど玄人向けになりがちだが、同等に強いポップ性も兼ねそろえている。同時にジェニーハイではポップシンガーとしての頭角を見せており、申し分の無い実力者である。

.

「林檎さんは何を思ってイッキュウさんの歌声を清潔だと感じたのか?」が気になって仕方が無くて長々とこの記事を書いている訳だが、ここで絶対的要素として必要だったのが清潔さ・神秘性が出てくる。

「神秘的な歌声」と聞かれれば、手嶌葵さんや今回コラボしているAIさんのような、浄化されるような透明感のあるウィスパーボイスや、教会などで歌われるようなソウルフルなゴスペルを得意とする方々を思い浮かべる。

そして”神秘性”を形容すれば、「ミステリアス」「妖艶」「儚さ」「浄化」「透明感」「天の上」「手に届かない存在」などだ。それに当てはめると、私にとっては林檎さんの方が格段に神秘性を感じる。

おそらく今後何かの縁でライブに行き、生で林檎さんを拝見したとしても、「存在した?」と目の前にいても何度も確認すると思う。生まれたときから絶大な影響力を誇ってきた林檎さんは、もはや天女のような存在である。

.

しかし一方で、tricotはライブバンドのためライブの本数も多く、生歌を聴ける機会は他のロックバンドに比べても比較的多いため、ミステリアスな存在とは言い難い。

パッと思いつく限り、イッキュウさんの歌い方で”神秘的で儚い” ”透明感がある”と感じ取れる歌い方が、「ポークジンジャー」や「G.N.S」のウィスパーボイスや、「秘蜜」のような甘ったるい曲が顕著だ。

当たり前のようにイッキュウさんの歌声を聴いていたが、改めて聴き返せば、イッキュウさんの歌声は他の女性ボーカルに比べて音域は低く(今回の参加アーティストだとリーダーズのSUZUKAさんやAIさんに近い)、この時点でボーカリストとして特異的なのだが、それこそある種の無個性であるように思う。

歌声を聴けばイッキュウさんだと分かるが、かと言ってモノマネ出来るか?の観点で話せば、歌声にも歌い方にも癖が無いので非常に難しいと思う。これはかなり恵まれたギフトでは無いだろうか。

同じ水が流れる川でもピンポイントで神泉が湧き出ている場所があるように、丁度いい塩梅のイッキュウさんの歌声に林檎さんは目をつけたのではないだろうか?と第三者の私は思うのである。

地上の極楽浄土

歌詞に木蓮の花が出てくる。

極楽浄土に咲く花とされる蓮と姿かたちが蓮の花に似ている木蓮は、崇高な花としても名高い。そのため仏教と関連づけられることが多い。

「阿弥陀経」には、以下のような文がある。

極楽浄土に咲く荘厳なる蓮の花のありさまを語っていて、そこに咲く青い花には青い光が射し青く輝き、黄色の花には黄色の光、赤い花には赤の光、白い花には白の光が射し、それぞれが光り輝いて、どれもすばらしく、その香りは気高く清浄である

「同じ蓮の花だが、それぞれの色が、それぞれの魅力を解き放っている」と言った意味なのだが、まさに今作様々なアーティストとコラボしていることと重なる。

そもそも極楽浄土とは何かと言うと、阿弥陀如来が作ったとされる天国のようなものなのだが(厳密には極楽浄土が天国という訳では無い)、この極楽浄土は「七宝」と言って、金、銀、瑠璃、水晶、白い貝、赤い真珠、メノウ(現在のエメラルド)で出来た世界だとされている。

今回参加したのは、幅広い世代の7アーティスト。

「放生会」というアルバムは、椎名林檎が創り出した”地上の極楽浄土”では無いだろうか。


最後までお読み頂きありがとうございます!頂戴したサポート代はライブハウス支援に使わせていただきます。