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過不足のない部屋のこと

 随分と気温も湿度も秋めいてきましたね。
 この季節はつい1秒前まで夏だったのがほんとうに一気に秋になってしまったりして、なんて言っていたらすぐに冬の入り口あたりまで連れてこられて、センチメンタルな歌ばっかり聴いて、星を見上げては泣いたりするんだ、みなさん元気ですか、わたしはやっぱりほんの少しだけ、多分気温が下がったぶんだけ、さみしいような気がしています。

 さて今日は、noteをはじめよう、と思い立った日に書くはずだった部屋のはなし(家具のはなし)をしたいと思います。それは旅のはなしでもあります。でもわたしはただの絵を描く人で、とくに家具や旅について詳しい者ではないので、感覚みたいなことの話です、きっとよくわからないはなしです、ゆるしてください。

 9月に2週間ほど旅行をしてきました。お仕事の予定はなにもない、ほんとうのバカンス。夫が昔住んでいた国と、わたしが行きたかった街ひとつと、島(海がプールみたいな色をしている)に行ってきました。

 ホテル3つとアパートメント1つに滞在していたのですが、どこも完璧ではなく、その部屋部屋の欠点があり、なんとわたしはそこに心を打たれました。

 あたらしい家具でなくても、最新の設備でなくても、部屋のなかで家具の素材が統一されていなくても、物理的にどこかが欠けていても、全部が「清潔すぎ」ていなくても、便利ではなくても、心地よく過ごせることに気づけたことが、わたしには大切でした。この空間にも、いまのわたしにも、過不足がない感じ。

 そもそもあたらしいものや便利なものの、すべてを使いこなせる度量がわたしにはないのだということも改めて気づきました(使いこなせるひとは、もちろん便利なあたらしいものをどんどんつくったり、見つけたり、使いこなしたり、していけば良いのだと思います、羨ましいなあ、iphoneアップデートしましたか? わたしはとりあえず自分と夫の絵文字をつくってあそびました)。

 部屋だけでなく、街全体もそうだった気がします。すこし不便で、使い込まれ、あいされている。あなたもわたしも完璧ではないことをみんなが知っている感じ。

 このnoteを書いている途中で、古いものについて、以前ツイッターでこのように呟いたことを思い出しました。

 今回感じたことは、このことにも通じているかもしれません(因みに、このツイートのときにだいすきなお店で買ったコンパクトミラーはずっとお気に入りで、旅にも連れていきました。最近またそのお店でお買い物をして、それらも大のお気に入りなので、またなにかで紹介させてください)。


 突然ですが、冬に引越しをする予定です。

 そこで必要になる家具たちのことを考えるとき、わたしは今回の旅で感じたことをよく思い返すことにしています。完璧でないわたしに、わたしたちに、過不足のない家具。ずっとあいしていける、あるいはずっとあいされてきた、あるいはわたしたちの何かにもう馴染んでいるような家具(どうぞ出会えますように)。

 実家から、一人暮らしをするときにもらってきた(借りてきた)もので、気に入っているものがあります。すみれの絵の描いた石鹸うけ、青い花のちいさいティーカップとソーサー、べっこうのような模様のバレッタ、ばらの絵の描いた母の昔の灰皿(筆を洗うときの器にしている)……。これらはきっと間違いなくあいされてきて、いまわたしの生活にあるものものです。(そういえば、あいされてきたものたちは、総じてロマンチックのような気がする)

 次に引っ越すときも、旅でみつけたものや母から譲り受けたものに似合うわたしや、部屋や、気持ちであれば良いなと思います。


 よくわからない話になってごめんね! どうしても書き留めておきたかったのでした。忘れてしまいそうでしょ。

 あしたは今日より、すこしだけ気温が高いようです。

 さみしい気持ちが減りますように。

 



おいしいお茶をいただきます。